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前世、わたしは巻き毛であったか



 魔導士の部屋を出てから、リヴリンは申し訳なさそうにロメリーの顔色をうかがった。


「すみませんでした、あの、さきほどの」


 全然大丈夫ではなかったが、これも人助けだと思ってにこりと笑ってみせる。


「ああ、大丈夫ですよ。なんとかいたしますから。それよりも、魔導士がおっしゃっていたように記憶の混濁があるのでは? 前世の記憶と夢の記憶では扱いも違うのでしょうけれど、あまりひどいようならもっと位の高い神官にご相談されるべきです」


 掃除道具を取りに行く彼女についていきながら、ロメリーは数日前に出した手紙を反芻する。己の見解も添えてしたためたのだが、彼女の夢を「願望の発露」と一言で済ませてはならない気がしてきた。

 相棒は、この影響力の強い夢について何を語るだろう。やはりじぶんたちの手には終えないところまで来ているのだろうか。


 城唯一の神官たるロメリーでも解決できないと暗に伝えたせいか、リヴリンの頬からはほとんど血の気が失せていた。ひとを癒すはずの神官が手をこまねくしかない現状は、とてつもなく心苦しい。


 もしも旅を続けていたら、そういった歯がゆさはたくさん感じたことだろう。そしてだんだんと対処の仕方を覚えて、もしかしたらリヴリンの苦悩を軽くする術も見つけられたかもしれない。

 ロメリーには経験が足りない。徳も足りない。素養があって神官になっても、力を使うための技術がなければなんの意味もないのだ。


「リヴリン。あなたは剣を持ちたいですか」

「え?」


 階段下の用具入れからほうきを取り出しているリヴリンに、問いかける。


「夢の中のあなたのように、剣を持ちたいですか」

「えっ、と」

「あなたの夢が何を表すのか、正直わたしにははかりかねます。けれどもあなたが望むのなら、魔導士にご提案申し上げた護身術の件、ただのごまかしとせずに実際に企画してみようと思うのです」


 リヴリンはぱくっと口を開けて、ロメリーをまじまじと見つめた。


「わたしも夢を見ました。あなたの夢です。赤毛で、巻き毛で、体格がよくて、この城の騎士と同じ上着を着た立派な騎士でした」

「わ、私は、夢の中の私は巻き毛ではありませんよ!」


 とっさにそれだけは否定したかったのか、リヴリンの必死な返答に思わず笑みがこぼれる。


「ええ、もちろんそうでしょう。わたしの夢ですから、わたしの見たものしか夢には現れないのです」

「私はまっすぐな赤毛で、骨太で、背も高くて、同僚と剣を交えて楽しそうに笑っていました。けれども同僚に勝つのは難しくて、いつも剣を吹き飛ばされてしまうのです」

「そのたび、動きが直線的すぎる、と同僚に叱られて?」

「そう! そうです! ロメリー様、なぜおわかりになるのです?」

「きっと想像ですよ。夢の中というのはなんでもありなのです。おそらく今夜の夢では、カーリー・リヴリンの赤毛はまっすぐになっていることでしょう」

「でしたら何も言うことはありませんわ」


 リヴリンがほっとしたように微笑む。それからロメリーが見た夢では、カーリー・リヴリンはどんな女性になっていたのかを聞きたがった。


 ほうきの柄を握りしめる彼女に、ロメリーは明るい声で話して聞かせた。


「金のラインの入った上着を着ているのです。王族の近衛騎士でしょう。王女と呼ぶ相手がいたので、おそらくその方の護衛を務めていたように思います。口笛の上手な、豪胆な女性でした」

「ええ、ええ、まさしくその通りです。王女や私の同僚の姿も見たのですか?」

「残念ながらはっきりとは。けれども王女はリリアン様にとてもよく似ていたようだとさきほど気が付きました」

「そうなのですか……! 神官というのは感受性が高いと聞いておりましたが、私の突拍子もない話にここまで寄り添っていただけるとは思っておりませんでした。どうぞ、この不敬をお許しください。そして、できたらまた、私のくだらない夢の話を聞いてくださいませんか?」


 ロメリーは一度うなずいたが、話すだけでは記憶の整理がつかないことも考えて「ただし異常を感じたらすぐにおっしゃってください。町の教会に問い合わせるには最低十二日必要になりますから」と言い添えた。


「あまり大事にはしたくないので、できればそうなってほしくないのですが」

「じぶんをしっかり持つことです。リヴリン、あなたはカーリー・リヴリンです。夢の中のあなたと今のあなたは違う。似ているようでも、違うのです。けれども彼女に近づきたいと思うのはあなたの自由ですよ」


 今のあなたに剣は必要ですか?

 そう訊ねると、リヴリンは思案するようにそっとまつげを伏せるのだった。






「神官殿」


 一瞬、魔導士に呼ばれたのかと思った。

 勢いよく振り向き、たった今交わしたリヴリンとの会話を聞かれたかと案じる。


「王女」


 魔法の講義を諦めたのか、ロメリーたちを追いかけてきたのか。王女がドレスのスカートを持ち上げて、こちらへやってくる。

 硬質な床を叩く靴音が、やたら響いていた。


「いかがなさいました? 王女が使用人の領域にいらっしゃるのは関心いたしませんよ」

「そう言わないで、神官殿。魔導士に追い払われてしまったのよ」


 彼女は追い付くやそう言って笑った。夢の話は聞いていなかったふうだが、あえてそうしている可能性もある。

 うかつだった。廊下で繊細な話をするなんて神官らしからぬ無神経さだった。夢に悩まされ、あまつさえ記憶の混濁が見られるだなんて城主代行に知られれば解雇もありえない話ではない。リリアンは冷酷無比な人柄ではなさそうだけれども、楽観視できるほど彼女のひととなりを知っているわけではないのだ。


「リヴリン、先に魔導士のお部屋へ。清掃は任せます」

「は、はい」


 リヴリンを遠ざけると、王女の視線が彼女を追いかけた。ロメリーはそれをじっと観察し、王女がこちらに向き直る前に表情を作る。


「それで、何かご用が、」

「逃がされちゃった、わね?」


 けれども王女のその一言で、微笑が崩れた。


「……なんのお話でしょう?」

「逆に聞くわ。とぼけてどうしようというの?」


 うっそりと微笑んで、彼女はロメリーを見つめる。

 背丈は同じほど。王女の銀の瞳と、神官の銀の瞳が互いを写していた。


 身分はまるで違うけれど、ロメリーの眼は王女と同じ系統の色彩を持っている。王女よりも濃度が薄い、薄灰ともいえるシルバー。王女が銀灰だとすると、ロメリーは白銀だろうか。すべての色彩を無に帰す強い純黒の髪が、その双眸からさらに色を奪うようだった。金と黒の髪色は、似ても似つかない。


「あの子は夢を見ているのではないわ。あなたも薄々気が付いているのではなくて?」


 リリアンの瞳に、鮮烈な光が宿っているのを見た。

 ナイフに炎を当てたような銀の光沢が、彼女の抑えきれない激情の発露なのだと感じた。

 思わず、息を飲む。

 彼女の雰囲気が、いつもと違う。その潤んだ唇に、笑みがない。


「あれは夢ではない。彼女の前世だ。思い出さずにいることは、私が許さない。絶対に」


 ひくりと喉がひきつる。今、目の前にいる王の子は何を語った?

 めまいを覚えるほどに力のある言葉だ。すぐには受け止め切れない。


「王女……あなたは、いったい……?」


 相手が王女リリアンと知っていて、不躾に誰何することしかできなかった。


「未練を残した者。それも、とても強く」


 彼女はその身を焼くほどの怨みに耐えているのだろうか、と頭の片隅で思った。王族らしく歯を見せずに微笑んだ彼女の顔には、とてつもなく濃い陰が降りていた。


 王女は誰だ。

 いったい誰だ。

 前世の記憶を持つということは、前世の人格をも受け継いでいるということなのだろうか。だとしたら、前世で負った傷や痛み、恨み、悲しみ、そして憎しみまでも、今世のじぶんが抱えているということだ。


 ふたりぶんの傷。

 ふたりぶんの感情。

 ふたりぶんの人生。

 そんなものを抱えて、どうしてすこやかに過ごせる。


 やはり魔導士の言った通り、前世の記憶が戻るとき、そのひとの生涯は地獄となるのかもしれない。


「私の他にも未練を残した者がいるのなら、それを放置させはしない。神官殿、あなたに思い出すべき記憶がないというなら、私の邪魔をしないでほしいの」

「なぜ。魔導士のお話を、あなたもお聞きになったはずでしょう。それでも前世からの縁を素敵だとおっしゃったあの言葉は嘘なのですか」

「いいえ、嘘じゃない。素敵でしょうよ、なぜならもう一度やり直すことができるのだもの。これは私の、私たちの矜持。すべてを忘れてのうのうと生きていけるほど、やすい誇りではないわ」


 珠のような王女の白肌が、深い憤りの色に染まる。暗くて、土気色で、牢獄に囚われた死刑囚のごとくやつれた表情。

 ロメリーは幻覚を見たようにぎゅっと目を瞑り、そろりとまぶたを持ち上げる。


「恨みの声に、耳を傾けてはなりません」

「なかったことにはできない罪が、ここにあるのに?」

「……いけません。あなたのそれは、王女リリアン様とは関係のないことです。前世の罪を、今世で負ってはならないのです。今世、あなたの周りにいる方々の前世の罪まで裁かねばいられなくなってしまいます」

「それがどうした?」

「王女……」


 たいした罪ではなかったのなら、最初から記憶など戻ってはいない。と王女は断じた。


「私は裁きたい。一度の罰で洗われることのない魂の罪を、すべて裁きたいの」

「それでは今世で罪を犯すことになります! 罪と罰にまみれた転生を繰り返してなんの意味があるというのです!?」

「原初の罪が償われるのなら、それでかまわない」

「王女……、なぜ、なぜそこまで」

「恨んでいるから。絶対に、許しはしない」


 王女にそこまでさせる、深い業とは。


「神官殿。さっき、兵団派遣の許可証が送られてきたわ。あなたは私たちのことよりも、もっと他にやるべきことがあるわね」


 窓を開け放ったように、ふと表情を変えて王女は言った。そこにはもう、激しい前世の感情はなかった。


「王女……」

「派遣隊は六日後に到着予定だそうよ。侍従長が主体にはなるでしょうけれど、彼らの身の回りのこと、よろしく頼むわね」

「王女!」

「邪魔だけは、しないで。それだけでいいの。命令よ」


 厳密に言えば、王族とはいえただの王女が神官の行動を制限することはできない。命令系統がそもそも違う。

 それでも表立って反抗するには、高い地位が必要だ。ロメリーには、この場で立礼するより他にできることはなかった。



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