2.笑顔
その少女は、不思議な子だった。百五十を少し上回るくらいの身長に、血色があまり良くない肌。しかし、その肌はきめ細やかで、少女独特の儚さと可愛らしさを持っている。黒くてさらさらした髪はとても長く、ベッドに座っていると髪がベッドの上にふわりと広がる。少し大きめのパジャマを着ているため、はっきりとは分からないが、その身体は思わず折れるのではないかと思ってしまうほど細い。
彼女は、おとなしそうな見た目に似合わず朗らかで、天真爛漫だった。僕のごくありふれた話を聞いてはそのたびに楽しそうに笑ってくれた。彼女は学校に行ったことがないらしいから、僕の話がすごく面白く聞こえるのだろう。
僕は頑張って少しでも面白おかしく話した。運動会、体育祭、文化祭などの行事から始まって、友人のとった奇怪な行動、果ては自分の恥ずかしい失敗談に至るまで。
思い返すと、自分で思っている以上に様々なことがあったのに、今更ながら気づいた。
彼女が笑ってくれるのが嬉しくて、彼女の元を訪ねる前の日には、明日は何を話そう、どんな顔が見れるだろう、と考えるようになった。
僕は、彼女の笑顔が好きだった。
初めて会った日。僕が初めて彼女の笑顔に魅せられた日。
僕はいつの間にか彼女と一緒にいたい、と思うようになった。だから、意を決して、少女に頼んだ。
「……ねえ、また、来てもいい?」
彼女は少し目を見開くと、すぐに満面の笑みを咲かせて頷いた。
その無垢な笑顔が、眩しかった。
ああ、こんな顔ができる子がいるのか、と思った。もっと彼女の笑顔が見たい、彼女を喜ばせたい、と思った。
彼女の元に通い始めて二週間ほどたったある日のことだった。
唐突に彼女は言った。
「つきあって」
「はうぇっ?」
喉が変に絞まった。
彼女がじーっと僕を見つめている。黒く艶のある瞳孔に吸い込まれる錯覚が僕を襲う。魅力的な目をずっと見ていたいという思いに反し、無性に恥ずかしくて目をそらした。
そのまま少しの沈黙。
やがて、くつくつと笑いが響く。僕はやっと彼女の狙いに気づき、露骨に拗ねた顔をしてみる。
「……」
「いや、ごめんごめん。からかうだけのつもりだったんだけど、君が予想以上にいい反応してくれるから。そんなんじゃまともに女友達もいないんじゃない?」
図星だ。
「……別にいいじゃんか。女子ってどうしても苦手だし……」
未だくすくす笑いながら彼女は言う。
「君らしいね」
「そーですか」
「つきあってって言ったのは、私の散歩」
きっと、リハビリか、適度な運動のために病院内を歩くとかそんなんだろう。
「運動?」
「うん。今までは一人のときに簡単に済ませちゃってたんだけどね。君と回ってみるのも面白そうかなって」
「面白いかはわからないけど……。素直に嬉しいよ」
「じゃあ行こうか」
そういって彼女は手を伸ばす。
きょとんとする僕に、彼女は悪戯な笑顔を浮かべた。
「デートは男性がエスコートするものでしょ?」
「だから、君は僕をからかい過ぎだって何度言ったら――」
彼女の手を引きながら、ゆっくりと歩を進める。
「ごめんって」
そういって、彼女は手に少し力をこめる。
彼女の手の柔らかさと体温にどぎまぎしてしまい、言葉に詰まる。
「ほら、はやくいこ?」
そのまま、決して強くはない力で、彼女は僕を引っ張る。
病室に戻るまで、彼女が手を離すことはなかった。