21
喉が枯れるまで泣き叫んだ後に一体何が残るというのだろうか。それでも、泣きたいと思うことは傲慢なことなのか。
夜空を見上げ、思い出すのは誰なのか。今日は月が綺麗なのに胸が痛いのは、きっとあの人の所為。
「行こうか」
隣にいる艶やかな漆黒の狼の頭を一撫でして、私は歩き出した。
どこに向かうかは分からない。どこかに行かないといけないということだけが今の私に分かることだ。
私が歩き出すと狼は後ろを付いてくる。だが、一瞬の内に私の前に出て目の前の闇に警戒をし始めた。
「どうしたの……えっ?」
暗闇から現れたのは、この世のものとは思えないほど美しい獣だった。
こんな夜に似合わない金色に輝く鬣に空のような透き通るほどの蒼の瞳。まさしく百獣の王に相応しい獣だった。
胸がどくんっと鼓動し、苦しい。闇から現れたのは獣なのに、その獣は似ている。彼に似ていると胸が跳ねた。
狼がアルフレートに似ているように、目の前にいる獣もまたレオンに似ていた。
「レオン……」
「残念ですが、そこにいる獅子は僕ではありませんよ」
金色の獣の奥の闇から現れたのは見知った彼の姿だった。
獣と同じ綺麗な金色の髪に透き通るほど美しい蒼の瞳の人物。彼こそ、私をこの世界に召喚した人だ。
私はもう一度だけ彼の名を呟いた。レオン、と。
「りいな」
酷く甘い声で私の名を呼ぶレオンはどこか寂しそうにも見えた。
私とレオンの間には獣が二匹いるのに緊張感なんてない。あるのは速まる鼓動だけだ。それが緊張だという人もいれば、それは恋だという人もいるだろう。
「あいつは……アルフレートは死んだのですか」
蒼の瞳には漆黒の狼が映し出されていた。アルフレートと共にいて、残された狼を見つめたレオンは瞳はそっと閉ざす。
小さく呟いた言葉は私の耳にも届いた。僕は死ぬことが出来るのだろうか、とレオンは呟いたのだ。
その言葉に胸が苦しくなる。私はどんなことをしても生きたいと願うのに、世の中はそう思わない人がいるのだということを思い知らされる。
それがレオン以外の他の人だったらそうは思わないだろう。この世界で初めて会い、居場所をくれたレオンだからこそ、そう思うのだ。
「レオンはまだ死にたいと思ってるの?」
「生きる意味なんてありませんから」
それは前にも聞いたことだ。この世界で生きる意味はない、とレオンは言う。死んでもいいと彼は言う。
それはどうしてなのか。どうして、そんなにレオンは貼り付けた笑みを浮かべているのか。
前までは知らなくていいと思っていた。だけど、アルフレートがいなくなった今は全てのことを知りたいと願う。知らないままでは赦されないのだと。
「どうして、貴方は死にたいの?」
「僕はあいつみたいに強くないですから。生きたい、僕を恐れた人を見返したい、そんなこと思いません。ただ、死にたいといつも願うだけですよ」
あいつ、その人物はすぐにアルフレートのことだと気付く。言っている内容もきっとアルフレートのことで、自分と比べているのだろう。
生きたいと願ったアルフレート。死にたいと願うレオン。二人は似てないのに、どこか似ている。
私は未だに警戒を解かない狼の頭を優しく撫で、レオンと彼の前にいる獣に近付いた。
近付く私を威嚇するわけでもなく、ただ獣は見つめる。レオンと同じ何の色も入り混じってない蒼の瞳で。
「レーヴェ」
レーヴェと呼ばれた獣はレオンの後ろに下がる。私が彼に近付きやすくしたんだ。
胸が苦しいまま、私は一歩ずつ彼に近付く。腰に差したアルフレートの剣の柄を握り締めながら。
「貴女はどうして生きたいのですか?」
「私は生きたいと願った人達に守られて生きてこれた。その命を守りたいと思うのはいけないことなの?」
レオンは笑みを浮かべた。顔に貼り付いた笑みを。
彼はどうしてそんな笑いしかしないのか。さっきも思ったことをまた思う。
この国の第二王子という立場に産まれ、生きてきたレオンはなぜ死にたいと願うのか。望めばなんでも手に入るという立場なのに。
それとも、そう思っているのは私だけで本当は何も手に入らない立場なのだろうか。私はこの世界を、目の前にいるレオンを知らなすぎた。
「貴女みたいな人はこの世界では眩しすぎるのですよ。だから、あいつも貴女を愛してしまった」
まるで愛することが罪のように話す。愛することは罪じゃないはずなのに、素晴らしいことなのに彼はそれは罪だと笑う。
愛することが罪ならば、何が赦されることなのだろうか。
「この世界は醜いだけです。美しいものなんてありませんでした。貴女が来るまでは……」
一歩だけ空いていた距離を一瞬の内に詰め、レオンは私を腕の中に閉じ込めた。温かいぬくもりが全身を包み込む。
夜の寒さで冷え切った体は素直で彼の体温を奪おうと寄り添う。
人というものは醜くて愚かだ。つい最近まではあの人のことを考えていたのに、今は違う人のことを考える。すぐに人は人を裏切る。
「私は醜いだけ。貴方が言うこの世界みたいに」
「いいえ、貴女は眩しいですよ。僕から見た貴女は眩しくて手に入れたいのに手に入れられない存在です」
それは伸ばしても掴めない星と一緒だ。決して手に入れられないものだから欲しくなる。
それでも、私は手に入れたかった。だから掴んだんだ、あの手を。
「……レオンって意外に馬鹿なんだ」
「初めて言われましたよ」
私の頬を撫で始めたレオンの手にそっと自分自身の手を添える。あの時にあの人に言ったように私はレオンに囁いた。
だけど、言う言葉は違う。だって今度は私が手に入れるんじゃない。レオンが手に入れたいものなんだ。
「私は決して手に入らないものなんかじゃない」
手に添えた手をギュッと握り締められる。骨が折れるんじゃないかと疑ってしまうほど強く手を握られた。
「貴女は本当に馬鹿ですね。僕よりもずっと貴女の方が馬鹿だ」
この時、初めて見た。青空のように透き通るほど美しい蒼の瞳から零れ落ちる透明な雫を。
ぽたりと私の頬に一粒だけ雫が落ちる。それを拭うことはせずに、私は手を握られてない方の手で彼の頬を撫でた。
「ううん、私より貴方が馬鹿だよ。だって、貴方はこれから私に利用されるから」
「ふふ、いいですよ。利用でもなんでもして下さい。僕が今を生きているのは貴女がいるから」
貴女が守れと言ったからですよ。そう囁く声は甘ったるい。酷く甘くて、自分がこれからしようとしていることを忘れさせるほどだった。
だけど忘れてはいけない。私は逃げてはいけないんだ。
「私はこの世界では力も何もないけど勇者なんだよね?」
「そうですね。勇者として召喚されました」
「なら、私は魔王を倒す権利はあるんだよね」
人とは思えないほどの美しい人物。その人物を倒すために召喚されたのが私なら好都合なんだ。
これは私怨で、勇者とか魔王とかは関係なかった。だけど私は理由が欲しかった。魔王を倒す理由を欲していた。
力がない私が強いと思われる魔王に立ち向かうなんて自殺行為だ。そのためにレオンを道連れにしようとしている。なんて身勝手な女なのだろう。それを了承するレオンもまた馬鹿な男だ。
「レオンは強いんだよね?」
「えぇ、強いですよ。だから、貴女を守って差し上げましょう。貴女が魔王を倒すその瞬間まで」
顔に貼り付けた笑みはいつもと変わらないのに、彼はどこか嬉しそうだとも思った。それが私の見間違いだったとしても私は嬉しかった。
レオンは抱き締めていた私を離し、その場に跪く。私の手を取り、手の甲に唇を寄せた。
「魔王を倒す瞬間まで僕は貴女のものですよ。何なりと命令して下さい、僕だけのりいな」
夜は似合わないと思っていた彼は艶やかに微笑んでみせた。この夜にぴったりな笑みをみせたのだ。




