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水仙はソファに力なく寄りかかっていた。手にはショッキングピンクの携帯電話が握られている。まるで抜け殻のように、顔には生気がない。頭が回らないのか、思考を拒否しているのか。判然としないまま、水仙は動けないでいた。
「――――っ!」
空隙だらけの思考に、けたたましい音が響き渡った。びくん、と身体が震える。その音を鳴らしているのは、果たして水仙の携帯だった。
ふ、と一つ息を吐いてから携帯を取る。ナンバーは非通知。小さく舌打ちしながら、通話ボタンを押した。
『あー、柳水仙さん? 間違ってたら申し訳ねぇ』
耳に届いたのは、聞き覚えがない男の声。頭に僅かなりと熱が戻ってくる。これは手掛かりだと直感する。情報は一片たりとも逃す事はできない。短く、合っている、ということだけを伝える。
『あっしは山之内組で若者頭やっとります、久慈利一と申しやす。先日はウチの若いのが世話ンなったようで』
低い声とは裏腹に軽妙な口調。電話を通してすら感じ取れる威圧感は、そこらのチンピラでは出せまい。舌打ちを堪えながら、水仙は思いだす。そういえば、この前五人程可愛がった事があった、と。
『おめぇさん、割と名の知れた殺し屋じゃあないですか。まあ、そんなお人に襲われたンじゃあ、ウチの若いのじゃどうにもなりませんわなぁ』
通話口の向こうから豪快に笑っている声が響く。肝は座っているらしい。社交辞令とも言える軽い言葉を無視しながら、久慈の向こう側の音を聞き取ろうと集中してゆく。
『だからと言って、このまんま泣き寝入りってのも出来ませんでねぇ。あっしら極道でしてね、メンツ潰されたら黙ってるわけにもいかんのです』
声音から感情は読み取れない。余程場馴れしていなければ、こうはいくまい。少しばかり感心していたが、その後ろから聞こえてきた声に唇が歪む。
『おー、おめぇさん達、あんまり乱暴するンじゃないよ。売り物なンだ、あんまり傷つけるな。―――っと、すいませんね。少し後ろが騒がしくて』
聞こえてきた声は悲鳴。助けてと懇願する声。成程、生きていればそれで価値があると。生きている限りは何をしても許されると。そういうことか。
『あっしらも泣く泣くですよ? おめぇさん、えらい強いっていうから搦め手ということで。月並みですがね、生かしておいて欲しいならそれなりの誠意ってもンを見せて貰えやしませんかねぇ』
布が破れる音と悲鳴が、久慈の声に混じって聞こえて来る。冷めきっていた心に、火が灯った。
「殺すなら殺せばいいと思いますけど? その代わり、アンタら全員地獄逝き。いや、もう遅いけど」
声は低く冷ややかに。されど心は熱湯の如く煮え立っていて。
彼女が壊される。最早加速した感情は心臓を焦がす程に熱く滾っている。早く、早く迎えに行かなければ。耐えられない。今ならまだ間に合うかもしれないのだ。
立ち上がり、クローゼットに向かう。
『おお、怖い、怖い。ま、良いですわ。おめぇさんが強情張るってぇなら、おめぇさんの身内が一人一人消えるだけなんでね』
すまないねぇ、と最後の言葉を残し、電話は切れた。携帯に最早用はない。乱暴にデニムのショートパンツのポケットに突っ込み、クローゼットを開く。壁に立て掛けていた白木の仕込み刀を引っ掴み、ついでにサマージャケットも取り出す。少し前、美影に見繕って貰ったものだ。
ギリ、と歯を食い縛る音が聞こえた。四法院美影との記憶は、決してどうでも良いものではなかった。心の中で否定していたが、それは温かいモノ。揺るぎない、価値ある過去に違いない。
――――在る所には在るのが価値というものだ。
認めよう。全く持って、その通りだ。
四法院美影をはじめとする三人の知人。
いや、知人ではない。
柳水仙の、初めての“友人”だ。
今になってそれに気付くとは、何と愚か。
しかし、今に至っては懺悔など後にする。
今は、美影の捜索と、無価値な罪人共の抹殺が最優先だ。
肘を覆っていた包帯を引きちぎるように取り去る。脳内麻薬でも出ているのか、違和感は全くなかった。
ドアを蹴破るように部屋の外へ躍り出る。携帯から聞こえた音声では居場所の特定にまで至らない。 そう遠くない場所である事を祈りながら、水仙は走り出した。
遠くで雷鳴の轟く音が聞こえる。
雨の足音も、聞こえてきた。




