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仕訳人、始めました  作者: 伊乃
第四章『自宅謹慎、承ります』
64/67

4-2

 リビングのソファに座り、背もたれに頭を預ける。髪はソファの後ろに垂れさせれば後は待機するだけである。

 遅れて戻ってきた美影からコップを受け取るのも毎回の事だ。きりっと冷えたミネラルウォーターを飲みながら髪を乾かして貰い、ぼんやりとするのが水仙の日課である。自堕落、という言葉が脳裏を掠めるが、無視した。楽だし、これで良いと思います。


「うむ。今日も素晴らしく輝いているな。手触り極上だ。舐めたいというより食べたい程に。この髪で美影を縛ってくれ。それだけで絶頂間違いない」


 変態の言葉は無視するに限る。ドライヤーを持ちながら鼻息を荒くしている美影を自然にスルーして水仙は立ち上がった。


「冷蔵庫なんもなかった。はよ買いにいけメイドー」


 至れり尽くせりにも関わらず、傍若無人。しっしっ、と指先で美影を追い払うような仕草をするも、当の美影は気にしていないらしい。うむ、と文句を言うでもなく頷き、ドライヤーを片付けてから立ち上がった。


「今日は何にしようか。リクエストはあるか?」


 美影はパーカーを引っ掛けながら問い掛ける。タンクトップだけで出歩くには少しばかり肌寒いとの判断だろう。玄関先でスニーカーを履きながら水仙に視線を向けていた。


「なんでもいいわー。変態の好きな物にしてください」

「食べたいモノは柳だな。性的な意味で」

「大体言う事はわかってた。とっとと行け変態」


 はいはい、と楽しそうな笑みを残し、美影は出て行った。ふう、と小さく息を吐き、包帯に包まれた右肘を見下ろす。

 怪我の具合としてはほぼ完治。もう少しかかるかと思ったが、思い他早く骨は繋がった。これも献身的な美影の看護によるものなのだろうか。礼くらいは言っても良い気がしたが、言えば調子に乗るだろうから言わない事にした。

 肘は固定していない。包帯をしているのはあまり無茶をしないように、と思ってのことで、もう必要というわけではない。

 軽く力を入れてみる。問題なし。

 腕を動かしてみる。問題なし。

 より強く、早く。


「――――――っ」


 違和感あり。痛いというわけではないが、イメージと実際の動きに差異があった。こればかりは少し時間を置いて合致させていかなければならないだろう。しばらくは左手生活か、と呟いてソファに腰を下ろす。

 水仙は両効きである。正確には左も使えるようにした。右が使えなくなった時を想定して左も同様の修練を積んだ。箸も使えるし、文字も書ける。実際、左手で問題なく食事を取る水仙を見て、美影が驚く程度には自然に動かせた。

 だが、やはり得意なのは右手であることに変わりはない。また石動沙織のような怪物と相対したとしたら、右が使えないのは致命的だ。完全に治るまで対決は避けたい。


「――――電話?」


 テーブルに置いたままの携帯がけたたましくメロディを奏でている。画面を見れば少し前に出ていった四法院美影の名前が表示されていた。通話ボタンをタッチ、携帯を耳に当て。


「なにか―――――」


 忘れ物?と言いかけた言葉が途中で止まる。雑音が酷い。走っているのだろうか、風の音と荒い息遣いが聞こえた。


『やな…ぎっ! 追いかけら―――て――――』


 途絶え途絶えに聞こえてくる声は切迫している。状況が掴めないまま、訳のわからない焦燥感が沸き上がってきた。


「どうしたんさ? なんだって?」


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