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仕訳人、始めました  作者: 伊乃
第二章『面倒事、承ります』
22/67

3-1

 ―――――逢魔が刻。

 遠く昔は大禍刻と呼ばれた時間。生活の音はその時ばかりは消失し、災いを運ぶ魔の物だけが動きまわる。

 一瞬の間隙であり、夢と現の分水嶺。

 確かに、そこには災厄が横たわっていた。


「さて、この辺りで良いでしょう」


 水仙の前を歩いていた女―――石動沙織が振り返る。涼やかな瞳は、真っ直ぐに水仙を見つめていた。距離は十メートル程。お互いの顔は逆光と薄暗闇の中で判別がしづらい。だが、沙織の視線はしっかりと水仙を捉えていた。


「おねーさん、匂いがキツイねー」


 対する水仙もまた、沙織を両の瞳で捉えている。常の眠たげな、どこか虚ろな瞳のまま、目の前の女を観察していた。


「そうでしょうか。今日のパルファンはそこまで香る物ではありませんが」


 薄くグロスを重ねた唇が弧を描く。顔全体は要として知れず、唇だけが暗闇に浮き上がるように紅の月を形作っていた。


「ぱるふぁんってなーに? 美味しいの?」


 対する沙織の視界に納まる水仙の姿も光が強すぎて判然としない。ブレザーのポケットに無造作に突っ込まれた手と、物騒な靴に包まれた足が確認出来ているだけまだ良いが。


「香水の事です。聞き慣れない言葉だとは思いますが、覚えておくと自慢できますよ」


 探り合いにもならない無益な雑談。害意がないことのアピールなのか、それとも既に牽制の意味があるのか。当人だけにしかわからないことではあるが、詰まっていても良いだろう距離はしかし、一向に詰まる気配はない。


「へー。匂いの誤魔化しに使えるっていう自慢? でも、全然消せてないよね―――――血の匂い」


 呑気な口調のまま、言葉を槍として一歩踏み込む。


「いえいえ、消えていますよ」


 さらりと言葉をかわし、腕に抱かれていた虎のぬいぐるみを持ち直す。ねえ?などとぬいぐるみに言葉をかけながら、くすくすと忍び笑いが聞こえた。


「―――――貴女の血の香りに比べたら、とてもとても」


 打ち合う言葉を選択する。

 あっは。

 少女の短い笑い声。

 色濃く漂い始める殺意の香り。

 薄暗闇は更にその闇を深め、光は慄くように地平線へと隠れてゆく。


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