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仕訳人、始めました  作者: 伊乃
序章
2/67

コトのハジマリ

 天気の良い日だった。底抜けの青空には雲の一つもない。太陽は暖かい日差しを惜しみなく地上へと送っていた。

 季節は桜の咲く頃、というよりは少し遅いくらいか。満開の花は少しばかり減り、所々に新緑の葉が見え始めている。兎にも角にも、麗らかな春の陽だった。


「………んがっ」


 柔らかい日差しが降り注ぐ河川敷。少しばかりみっともない音が聞こえた。丈の伸び始めてきた雑草の中、土手縁に寝転がっている少女が見える。ぽっかりと空いた口は、先ほどの奇妙な音を発した何よりの証拠だった。


「……誰よ、るさんちまんって」


 温い風が吹き抜けてゆく。幼さを残した声音もまた、その風に流された。

 少女の閉じられていた瞼が微かに震える。再度の睡眠を欲したが、日差しに負けたらしい。ゆっくり、ゆっくりと開かれてゆく。半分ほど開いたところで、ぴったりとその動きは止まってしまったが。

 開いたままの口から、くあ、と可愛らしい欠伸が漏れる。一応手で隠そうとはしたが、頭の下に敷いていたせいか痺れて動きそうになかったため、即座に諦めた。


 ――――腕、痺れてると動けない気がするんですけど。


 少女はぼんやりとそんな事を考えながら、感覚のなくなっている腕に意識を向ける。あーダメだわー動けないわー時間かけるしかないわー。

 しかし、ダメ人間の思考を切断するかのようにデニムのポケットに入っている携帯が震える。雑踏や河川敷で遊ぶ子供の声に紛れるように、着信メロディが微かに聞こえた。


「ぬえーい」


 奇妙な掛け声とともに少女の身体が転がる。絹のような黒髪が陽光を跳ね返した。腰辺りまで伸びた髪には、寝転がっていたせいか千切れた草が所々に付いているが、少女は頓着しない。

 うつ伏せの姿勢で固まった腕を無理やり伸ばし、血が巡る感触を意識する。じんじんと痺れてくる感じは嫌なモノではあるが、絶対無理と断じられる程のものでもないと感じるのは自分だけだろうか。などと考えているうちに少女の腕は自由を取り戻した。

 デニムの尻ポケットに突っこんでいた携帯を取り出す。華美な装飾や、ストラップなど一切ない、全く持って可愛げのない黒一色の長方形。新しくも古くも無い折り畳み式のそれを開き、届いたメッセージを確認する。


「………あっは」


 メールの内容を確認し、少女は笑った。

 それは笑顔とは似ても似つかない笑み。

 目は虚ろに半分開いたまま。

 唇の端は歪に曲げられただけ。

 声は、機械の如く無機質。


「はいはい、お仕事ですねー。はいはい」


 ぼんやりとした口調のまま、再度転がり、仰向けに戻る。音も無く立ち上がり、力いっぱいの伸びを一つ。小さめのTシャツが捲れ、肌が露出するが当然気にしない。平均よりもふくよかな胸も強調されていたりするが、やっぱり気にしない。

 ふ、と息を吐き出し、両手をだらりと下げる。目はやはり半開きのままであるが、整った顔には生気が戻っていた。

 デニムに携帯をねじ込み、ゆっくりと歩き出す。目的はあるのかないのか、その歩みは酷く緩慢なものだ。

 少女が履く物にしてはごついと表現するに相応しい靴が草をかき分けてゆく。思い出したように、左手が長い黒髪に触れる。美しく流れる髪を乱雑に梳き、付着していた雑草を払いのけた。

 少女は土手縁を登りきる。

 一際強い風が吹き抜けた。

 舞い上がる草と舞い散る桜の花びら。

 道行く人が目を閉じた一瞬のこと。

 少女の姿は幻の如く消え失せていた。


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