うわばみ
ゆらり、ゆらりと小舟が渡る。
お櫃の中には、真っ赤なご飯。
逆さ杉にて、お櫃は沈む。
「浮き上がった……龍神様が、生贄を受け入れてくださらなかった……」
赤飯よりも紅い、かがちの眼が水底から覗いた。
※
「っぱ、こんな日の熱燗は大雪渓よな!」
俺こと宮元克彰は、今日も今日とて昼間から酒を飲んでいた。
「克彰。お前にも招集がかかった」
うちのジジイが珍しく道着の上から鎧まで着ている。
「なんだぁ? これから戦でもあるってのか? プププ」
「笑いごとではない。我ら宮元本家が、この度万字の大蛇の討伐を命ぜられたのだ」
「はぁ?」
俺は聞き間違えたかなと思って酒を呷るも、ジジイは真剣な顔でこちらを見ている。
「今更、お前に何を期待することもない。だが、人の話を聞く時くらいは酒をやめたらどうだ」
「へいへーい」
俺は升を置き、ジジイの話を聞くこととした。
「我が家は代々、この蘆名湖で湖を見張っていた。1000年後、またこの地に災いをもたらすという、龍を誅するためにな」
「へー」
俺はジジイの話を聞きながらボリボリと豆を食っていた。ジジイは額に青筋を浮かべながらも、辛抱強く俺に話を続ける。
「たった今、龍の目覚めが確認された。そもそも今年は雨ばかりで、そんな兆しがずっとあったのだ。そこで、第一および最終防衛ラインとしての我が家で、まずは龍を迎え撃つ」
「はぁ?」
「お前さんの両親も、婆さんも、犬も皆準備を整えている。お前さんも覚悟を固めておけ」
ジジイはそこまで言うと、扉を閉めて出て行った。
「つってもよぉ、酒カスの俺に何ができるってんだよぉ」
俺は文句を言いつつも、豆を片手に升を傾けた。
※
「来たか」
湖を破るようにして頭を出した大蛇は、鬼灯のような両眼で宮元家一同を睥睨していた。
【番人は其方等か。此のまま薙ぎ払えば容易いが、其れでは詰まらぬ】
大蛇はするすると縮み、朝服を纏った細目の男の姿をとった。湖を歩いて進み、遂に人々の前までやってきた。
【名乗れ。一方ずつ力を示し、此方を悦ばせよ】
その声ならぬ声を皮切りに、宮元家の戦いが始まった。
「宮元信和、参る!」
まずはジジイと呼ばれた克彰の祖父が名乗りを上げた。鯉口を切り、いつでも刀を抜けるように構える。
「はぁっ!」
ビィンという音と共に、居合は指の一本で止められた。
「なかなか、悪くない」
「宮元一馬、特技は弓だ」
博物館に貯蔵されているような大弓をギリギリと引くのは、克彰の父であった。
引き絞られた弓から放たれた一射は、過たずに頭を射抜くだろうと思われた。
「残念」
一瞬のけ反った大蛇だったが、再度上げた顔は無傷であった。否、頬に硬質な鱗の輝きがある。
人の姿を取ろうとも、大蛇は化生であった。
「宮元静香!」
槍を突き刺さんと突進した克彰の母は、穂先が届く前に払い除けられ、バランスを崩して転んだ。
「まだまだぁ!」
返す刀で入れる一撃も、易々と大蛇に止められる。だが、狙いはそこではなかった。
キィンという音と共に、大蛇の鱗がわずかに焦げる。
「何だ、貴様のそれは」
猟銃を撃ったのは、自衛隊にも所属する克彰の弟の彰人だった。
一気に彰人に向かった意識を、静香が穂先を掬い上げて牽制する。
「あんたの相手は私よ!」
大蛇はニヤリと笑って、穂先を鷲掴みにした。
※
「はぁ、静かだな……」
湖畔の居酒屋で、克彰は一人酒を呷る。
段々と剣戟や銃声がうるさくなってきているが、克彰の中では静かなイメージが良かったのだ。
特にこのブッシュミルズよシングルモルト10年には、レモンの薄切りに塩を乗せたやつがいい。
克彰はそう信じてやまないのに、外の音は喧しくて仕方がない。
「うっさい! 酒飲ませろや!」
耐えかねた克彰が店の扉を開けると、家族がバタバタと倒れており、その先には、蛇とも人間とも取れぬ者が立っていた。
【弱い、弱い。此方に本気に差せよう等と思い上がるな、人間】
「あの、すんません」
克彰はまず、くたばりかけている家族ではなく、元気そうに立っている蛇人間に話を聞くこととしたのだ。
【其方も番人か。だが、本に酒臭い】
「あっ、すみませんっす」
ここで克彰は、蛇人間に話が通じなさそうだと見切りをつけて、家族に話しかけに行った。
しかし大蛇は話をやめない。
【嘗て、人間は此方に酒を寄越した。此方は、捧げ物と有らば、受け取らぬ事も無い】
「ちょっと、スマホとか持ってます? 救急車呼ばないと」
大蛇は克彰にぬっと肉薄した。
【類稀な煙の香り、此の様な酒が有ると言うのか。小僧、此方に酒を捧げるのだ】
「酒飲みたいんすか?」
克彰は怪訝な目で蛇人間たる大蛇を見上げる。
「俺は嫌っすよ、自分の店に蛇とか入れたくねっす」
「此れなら良いだろう」
蛇人間は先ほどの人間の姿になった。
「いいっすよ、どうぞ」
克彰はぼろぼろの家族を置いて、大蛇を自分の店に招いたのであった。
「で、まずは何飲みますか?」
「何が有ると言う」
「結構何でもあるんで。じゃあ、どんな気分ですか」
「爽快、そして退屈だな」
大蛇の答えに克彰は一つ頷くと、店の奥から黒い缶とナチュラルチーズを出してきた。
「Old Rasputin Russian Imperial Stout。黒ビールだ。今のあんたに合うと思うよ」
ビールは、シュパっと小気味良い音を鳴らし、シュワ……と泡が溶けていくような感触が楽しい。
これは、退屈な時にこそ飲みたいビールであった。
「さぁ、召し上がれ」
大蛇は躊躇いなくビールを一気に呷った。
そして、器を見てわなわなと震えている。
「何だ、此れは。何だ、此れは」
「何だって、ビールだよ。黒ビールの中でも、言ってみればロシアンインペリアルスタウトってやつだな。うまいだろ、退屈なんてしていられないくらいにな」
大蛇は半ば放心しながら頷いた。
克彰はにししと笑うと、残ったチーズを自分の口に放り込んだ。
「じゃ、次はこれだ。あんたも知っていそうな日本酒だが、これはどうだ」
次に克彰は、大蛇の前に三本の日本酒を並べた。上善如水、大國、津島屋だ。
克彰は升を三つ出し、それぞれの日本酒をなみなみ注いで出した。
大蛇はまずはそれぞれ一口、そして、大國をまずは飲み干した。
「いい飲みっぷりだね、さすが蛇さん」
「此れは、甘い。酒とは思えぬ程に、果物の様な甘さと瑞々しさがある」
次に大蛇は、津島屋を全て飲んだ。
「はぁ。苦味とは、これ程まで味わい深くなる物か。飲み易くも、鼻に抜ける酒精が堪らんな」
最後に上善如水を飲み、「これは水だ」と答えた。
「もっと寄越せ」
「まぁまぁ、他にもあるから。今度はこれなんてどうだ?」
克彰が次に置いたのは、「砂丘長いも焼酎」であった。トクトクとグラスに注いで、少しだけ氷を入れる。
「長芋とな?」
「そうだよ、あんたの時代にもあったんじゃないか、ヤマノイモがさ」
克彰は沸かしていたお湯にむかごを放り込んで、さっと湯掻いてからザルで皿に上げ、上からパラパラと塩をかけて大蛇に出した。
「あー……】
既に焼酎を飲んでいた大蛇は、二股に分かれた舌をチロチロとむかごの皿へと向けている。
【此方のぉ、時代にはぁー此んな美味い物は無かった】
ぐいっと大蛇は酒を呷ると、【もっとだぁー】と管を巻き始めた。克彰の位置からは見えないのだが、下半身がとぐろを巻き始めてもいた。
「次は何がいいかなぁ、あっ、最初俺の口の匂いでうまそうっていってたやつがいいっすかね?」
そう言って克彰が出してきたのは、ティーリングブラックピッツのピーテッドシングルモルトだった。
【黒いぃ、酒が多いなぁぁ】
すっかり蛇の姿となった大蛇だが、まだ舌はちろちろと器を舐めている。
「こいつぁガツンとスモーキーですよ」
もう限界かなと思い始めた克彰は、敢えて小さく細長いお猪口にウイスキーを注いで出した。
【こんなぁんじゃあ、うまく飲めないだろぉぉ】
「小さくなればいいんですよ。舌も細くなるし、たくさん飲んだ気になれるでしょうから」
【そうか、そうか!】
大蛇はするすると小さな蛇となり、ぴちゃぴちゃとお猪口に首を突っ込んで飲んでいた。
「では、お客さん。会計をいただきますね」
とうとう酒を飲み終わり、べろべろに酔っ払ってしまった大蛇を捕まえた克彰は、そんなことを言い始めた。
【会計ぃ?】
「あっ、お財布持ってない系? じゃっ、身体で支払ってねー」
そう言うと、克彰は台所の包丁であっさりと大蛇の首を刎ねてしまった。
「ハブ酒っての、一回やってみたかったんだよな」
※
「で、大蛇はどうなった?!」
「え、今飲んでるやつだよ」
家族の治療祝いに、克彰が振舞ったのは、大蛇を漬け込んで作った特製の蛇酒だった。
その時の皆の顔は見ものであったと、後に克彰は語るのであった。
めでたしめでたし。
酒は飲んでも呑まれるな!
お酒は二十歳になってから!




