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第5話 狼になったボクを父が半殺しにした

 アンジェリーナが目を覚ました。頭を振りながらゆっくりと立ちあがる。顔をあげると真一が倒れていて、傍にエプロンドレス姿の人形のような少女が立っている。


 彼女はマンモスを探した。が、見当たらない。


 マンモスから逃げ回ったことは憶えていた。まして戦っていたことなど記憶になかった。


 彼女は倒れている真一に近づき、彼の顔をのぞいた。息をしていない。


「死んでいるの?」


 少女は静かにうなずいて、「ええ。あなたも牛みたいな乳をしているわりには頑張りました」と語った。


 アンジェリーナには少女の声が聞こえた。それは耳からというよりも頭の中に直接響くような気がする。少女の言葉は理解できるが、何を頑張ったのか、わからない。


 ところで、この小さな少女は何なんだ。少女にしても小さすぎる。まるで少女が抱えるアンティーク・ドールじゃない。それが話しかけてくる。気味が悪い。

 

 それより気になったのが、『牛のような乳』だった。


 ――まあ、そんなことはいい。それより――

 

 アンジェリーナは真一の顔をながめた。しばらくして両手を彼の胸の上にのせた。天を仰ぎ、呪文を唱えはじめる。古き記憶の中、わずかに憶えている呪文。小さい頃、誰かは知らないが、大ケガをして泣いているアンジェリーナにささやいた呪文だった。


「何をしてますの?」と、少女はたずねたが、アンジェリーナは答えずに続ける。


 しかし、何も起こらなかった。


「ムダですわ。十二神将を呼び出して牛鬼を消滅させたのよ。それも修行もしていないシロウトの子供が……。生きかえるわけがありません」


 アンジェリーナはあきらめて、真一の胸から手を離した。


 その時だった。真一の体が痙攣を起こした。痙攣は激しくなり、真一の体が宙に浮くほど震えた。


「どうしたの? 何が起きたの?」アンジェリーナが五十センチの少女にたずねた。


「わかりません。でも今、あなたがやったことが何か影響しているのは確かですわ」


「どうなるの?」


 少女にもわからなかったようだ。


◇◆◇


 絶滅種のブースの暗闇でダイアウルフの剥製の眼が赤く光った。


◇◆◇


 アンジェリーナは見ているしかなかった。

 

 突然、真一の痙攣がとまった。眼を見開いたが、その眼は人の眼ではない。黒眼は縦に長く、まさに獣のようだった。


「まずいわ。何かが真一の体に憑依しました。逃げるのよ!」と少女が叫んだ。


 真一の口元が前に突き出してきた。歯が鋭く尖り、特に八重歯は長く伸び、唾液で濡れる。


 アンジェリーナは少女を連れて逃げ出した。


 振り返ると、真一がゆっくりと立ちあがった。背中をはじめ、腕、足、胸、肩の筋肉が異様に盛り上がっていく。髪の毛が長く伸び、体中からも毛が生え出した。それはまるで獣の剛毛だった。


 真一は天を仰ぎ吠えた。天窓から満月が見える。真一の体は狼に変化していた。


 狼と目が合った。狼が追いかけてくる。腕をまるで前足のように使い、餌を狩る獣のような異常な速さで床を駆け、時には壁を蹴り、追ってくる。


 真一の牙がまさに小さな少女の首筋に達しようとした時、天井から無数の弾丸が真一に降り注いだ。真一は悲鳴をあげて、床に伏した。


◇◆◇


 何本ものロープが天井から垂れて、武装した兵士たちがそのロープを伝って下りてくる。


 兵士たちは床に倒れた獣に銃を構えた。


 獣の耳が動いた。兵士たちの間で緊張が走る。次の瞬間、獣に変わった真一が兵士に向かって飛びかかった。すると突然、人影が割って入ってきた。回し蹴りが真一の首筋あたりに入った。真一の首は異常なほど、くの字に曲がり、壁に吹きとばされた。真一の体は壁にめり込んだ。めり込んだだけではない。その人影の回し蹴りの気は、壁自体を大きな碗状にへこませた。


「バカ息子が……狼なんぞに体を乗っ取られおって。ほんと、父親として情けない」


 真一を蹴り上げたのは父親の真行(しんぎょう)だった。


 壁にめり込んだ狼は壁から体をゆっくりとはがし、地面に降りた。頑丈な体なのだろう。それでも真行の蹴りが相当応えている。足腰がふらついていた。狼は真行をにらんだ。


 情けなさそうに首を振る真行。


 狼は牙を向いて真行に突進する。真行に飛びかかろうとしたとき、眼の前を真行の足が上がった。次の瞬間、上げた足の踵が真一の脳天に振りおろされた。そのまま地面にたたきつけられ、真一の顔は床にめり込んだ。


「父親もわからないほど、狂いおって」


 真行は素早く真一の背中に乗り、両手を揃えて真一の背中においた。気合いとともに父親の気が真一の背中に打ちつけられる。何度も何度も打ちつける度に真一の体は床に深くめり込んでいく。次第に真一の剛毛は抜け、顔も体も元の真一に戻っていった。


 武装した兵士たちが館内をあわただしくしている中、毛布に包まれたアンジェリーナが片隅で座っていた。


 意識のない真一が担架に運ばれていく。


 真一を見送る真行に一人の兵士が近づいてきた。


「部長、息子さんは大丈夫ですか?」


「狼に体を乗っ取られていたが、僅かに息子の気は残っていた。今まで飲み続けた護符が役にたったのだろう。しばらく休めば、元のバカ息子に戻るはず」


「そうですか……それはよかった」


「本当、お恥ずかしい限りだ」


「真行様」と、足元で声がした。


 足元に、ズボンを引っぱる五十センチの少女が立っている。


「無邪鬼か、息子が迷惑をかけたな」


「いえ、私は何も……でも、さすが真行様のご子息であらせられるだけのことはございます。結局、私を食べようともせずに牛鬼を倒したのですから」


「牛鬼か……。今回の展示で牛鬼を封印していた仏像は含まれていなかったはず」


「え!  でも……」と、無邪鬼は不安がっている。


「何者かが、こっそりとまぎれこませたのだろう」と、言うと鼻で笑い、「奴らも、そろそろ動き出したということだ」


 悪しきものたちが『親方様』を取り返すために始めた戦を無邪鬼は知っている。あの忌まわしいできごとを思い出したのだろう、不安な顔をしていた。


「まあ、よい。無邪鬼、つかれただろう。父の元に送ってあげよう。それまで休むがいい」


「お願いします」


 真行が印を切ると、無邪鬼は人型の護符に戻った。真行はそれを胸ポケットに入れた。


兵士が真行に耳打ちした。


「彼女はどうされます?」


 真行と兵士はアンジェリーナを見た。


「そうだな」と、真行はアンジェリーナに近づいて横に座ると、


「息子が世話になったな」


「……」


「さて、大体のことは聞いたので、君の身柄は警察の方に引き渡す。いいね?」


 心配そうな顔をするアンジェリーナに真行が、


「安心したまえ。君のことは私の機関から報告してあるので何も問題はない。それより、ここで起こったことはすべて忘れるんだね。それは君のためでもある」と、つけ加えた。


 アンジェリーナは黙ってうなずいた。


「そうだ。ひとつ聞きたいのだが、カトルーシャ・ランツュゴヴナって名前に心当たりはない?」


 アンジェリーナは首を振った。


「そうか……」


――カトルーシャ・ランツュゴヴナ――とは、キエフの伝説の魔女である。ロシアのある聖堂に所蔵されている絵画にその魔女は描かれていた。真行はその絵画に描かれていた魔女にアンジェリーナが似ていることに気付いた。その絵には夜の禿山に集う異形なモノたちの淫らな酒宴が描かれてあった。その絵の中心にカトルーシャ・ランツュゴヴナはいた。うすら笑みを浮かべ、異形たちの宴を見ている。伝説ではカトルーシャの瞳は碧かった。それはまるで海の深淵を思わせたそうだ。透き通っているがうす暗く、どこまでも深い。そんな瞳をアンジェリーナも持っていたのだ。


真行は立ちあがると、兵士の一人に、


「後は任せてもいいかな?」


「わかりました」と、兵士は規律正しく敬礼をした。


 真行の頭上から一本のロープが下りてくる。彼はそのロープを掴むと、


「じゃあ、彼女が待っているから」


ロープは真行の体を引っぱりあげ、博物館の上空に旋回するヘリまで真行を運んだ。


 ニューヨークの夜の街は人々の喧騒に満ち、車は騒音とともに流れ星のように街を流れていく。


 しかし、その遥か上空は闇と静けさに支配されていた。それら静寂さをかき消すかのように三機のヘリコプターが整列を組んで飛びすぎて行く。


 その先頭のヘリコプターには真行が乗っていた。博物館では、狼に体を乗っ取られた息子を半殺しの目にあわしたことが嘘のように清々しい顔をし、鼻歌まで歌っている。


操縦席の男が真行に花束を渡し、


「間もなく、ホテルの上空につきます。それと息子さん、うちの機関の医療部門に搬送されて無事だと連絡がありました」


 真行は静かにうなずくと、花束を片手にドアを開けた。外の空気が一気に入り込む。眼下を見下ろすと、ビルの谷間に街のネオンと車のライトが見える。


 花束を口に咥え、ヘリから飛び降りた。

 背中からグライダーの羽が広がり、滑空し、あるホテルの屋上に舞い降りる。グライダーの羽をはずして、急いで建物に入った。


◇◆◇


 真行が部屋のドアを開けると、部屋の灯りは消えていた。


 まさか息子の件で呼び出されるとは思っていなかったが、それで彼女が帰ってしまうはずがない。きっと部屋にいる。真行には自信があった。彼は部屋の奥へと進んだ。寝室を開けたが彼女はいない。しかし、背後から彼女の声がした。


「おなか、すかして待っていたのよ」


 彼女は窓際のテーブルにいた。まるで気づかなかった。真行ともあろうものが気づかなかったのだ。それほどまで彼女は完璧に気配を殺していた。


丸いテーブルには二人分の料理が置かれてあった。その一つの料理を前に彼女は座っている。彼女の薄いシルクのドレスは彼女の美しい肢体をなぞり、足元まで伸びていた。背中が大きく開き、胸元の谷間を垣間見せている。


「ごめん、待たせて」真行が笑みを浮かべていった。


「もう、待ちきれない」彼女はそういうと席を立ち真行に向かって駆けだした。勢いのまま真行の首に抱きついた。


「ああ、我慢できないわ」


 女の眼はまさに血走っていた。瞳の黒い部位は血のように真っ赤に染まり、白い部分にも無数の血管が浮き出ている。女は口を大きく開けた。粘液が糸を引き、すべての歯は尖っている。かわいい八重歯が伸び、獰猛そうな牙に変わっていく。その牙が真行の首筋に刺さろうとしていた。


「悪いけど首筋に歯型をつけないでくれる。妻に殺されるので……」


 真行は女の変貌を気にもしないで微笑んでいる。


 女は混乱しているようだ。女はこの二百年間、『真』の姿を見せて驚かない人間に会ったことはないのだろう。だが、生き血への渇きを抑えられないのは明らかだった。


 女は再び真行の首筋に牙を立てようとした。しかし、真行に殴られ女は飛んだ。ベランダの窓を破り、階下に落ちて行った。


 割れた窓から、大量の風が入り込んだ。待機していたヘリが上ってきた。ヘリは高度を上げると、下方には網の袋に吊らされた女が入っていた。女は牙をむき出し、真行を威嚇する。突然、女は微笑んだ。すると彼女の体にいくつもの線が浮き上がり、線に沿って体の一部が欠け、欠けた部分が蝙蝠の形に変わっていく。


真行はじっと女をみつめ、首を振った。


遥か遠い山影から太陽がのぞいた。


女は悲鳴をあげた。日の光を浴びて体は燃えだして灰になって消えた。


こうして真行は、ここ数カ月間追っていたバンパイアを退治することができた。


 外資系の企業に勤めていることになっている真行だったが、実はモンスターや魔物などの退治・捕獲を専門とする企業に勤めていた。顧客は専ら各国の政府である。


真行は大きくため息をついた。


――バカ息子のお陰で数ヶ月の調査が無駄になるところだった――


 高校にもなった息子のことで頭を悩ませ、そのことで妻と話しあわなければならない。


妻が息子を溺愛しているのは知っている。自分の言うことなんて聞かないだろうし、今まで息子にかまっていなかったことを怒るに決まっている。そのことを覚悟して妻と話をしなければならない。気が重い。


――バンパイアを追いかけている方がよっぽど気が楽でいい――


 真行はもう一度、深くため息をついた。

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