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回廊の外

白い廊下を抜けた瞬間、夜気が肺に刺さった。


魔法庁の外周回廊――外壁に沿って走る通路は灯りが少ない。石の冷たさと風の匂いが「外だ」と教えてくる。


レンは足を止めない。封筒は胸元で硬く、角が肋骨を叩く。


回廊の先に、上へ登る非常階段。

二段飛ばしで駆け上がり、踊り場の窓を肩で押し開けた。


屋根。


瓦の列が月を拾い、遠くの街明かりが低く瞬く。


レンは屋根へ滑り出る。瓦が鳴る前に踏み切り、棟の影に沿って走った。


その途中で、空気が整う。


白いものが、屋根の縁に立っていた。


白マント。細い肩。長い髪。

風が吹いているのに、布の揺れが少ない。

その白がレンの脳内で勝手に「当年の夜」を呼び起こす。


――白影。


女の視線は、レンの胸元――封筒の位置に落ちている。


「止まれ」


声は小さい。だが命令より強い。

レンは返事をせず、走ったまま剣を抜いた。ここで足を止めれば、相手の狙いどおりに撃たれる。


白い女の指先が動いた。


「《穿光せんこう》」


詠唱は短い。ほとんど息の一部。

白い槍のような光が空を裂いて飛ぶ。


レンは剣を「斜め」に置いた。刃で受けない。角で殺さない。滑らせる。


「――《斜受しゃじゅ》!」


光槍が剣身を擦り、火花にも似た白い散りが走る。

直撃のはずの軌道が、屋根の外へ逸れて消えた。


(硬い。……でも、いける)


次。


「《穿光》」


二発目。角度が変わる。

レンは半歩、外へ。剣をまた斜めに置く。《斜受》。

滑った光が瓦を抉り、焼けた匂いが追いかけてくる。


女が淡々と名乗った。


「魔法庁執行官。

序列第四位 ―― ミレイユ・ラングレー」


名乗りながら三発目。


「《穿光》」


レンは受ける――が、今度は「欠拍」を混ぜる。


わざと、逃げる方向を「見せる」。

肩を落として、腰を外へ流す。つま先も瓦を擦って外側へ向ける。

(次も外へ逃げる)――そう相手に思わせるための姿勢。


女の指先が僅かに追随する。視線がレンの「逃げ先」に先回りした。

そして――来る。


光槍が放たれる。

速い。だが速さより先に「落ちる場所」が決まっている。レンの外側、半歩先。

逃げるならそこだ。そこへ刺す。正しい狙い。


レンは、その「正しさ」を利用する。


逃げる動作の途中で――突然、身体から音が消えた。


止まった。


足が止まったのではない。

足は動こうとしているのに、腰だけが一瞬、噛み合わない。


刹那、ほんの欠けた一拍。

視界の端で瓦がきしみ、心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。


その欠けた一拍に、女の魔法は吸い込まれた。

光槍は「逃げ先」に落ちる。――レンが行くはずだった場所に。


次の瞬間、レンは反対へ爆ぜた。


「――《欠拍けっぱく》!」


止まった分だけ、逆方向への初速が鋭くなる。

身体がばねみたいに戻り、瓦の上を斜めに滑る。


光槍が――空を刺した。


レンの背後で、白い光が屋根の端を穿ち、瓦が溶けて爆ぜる。

熱が背中を舐める。破片が飛ぶ。

だが槍は、もう修正できない。出た魔法は、戻らない。


女の腕が、わずかに遅れた。

狙いを修正するための遅れ。

その遅れが、レンの求めていた隙だ。


レンは光が外れた熱が消える前に、前へ出た。


瓦を蹴る音が一つ。

踏み込みは短い。だが速い。


レンの剣先が伸びる。斬るのではなく、胸元を「突くぞ」と見せる突きだ。

剣先が喉の高さまで来た瞬間、女の肩がほんの僅かに引けた。


――引いた。これが狙い。


女が後ろへ一歩退く。

その一歩で、指先を振って魔法を撃つ余裕が消える。


レンは息を整え、距離を保ったまま、ここで聞くべき言葉を叩きつける。

まだやれる。まだ、頭が回る。今しかない。


「――エルムフォード村を知ってるか」


女はレンの目を正面から見た。


「……エルムフォード? なぜ、その名を知っている」


レンは間髪入れず、言葉を刃みたいに投げた。


「答えろ。……あの夜、エルムフォードに救援に来た白マントの女――お前か」


女の瞳が、明確に揺れた。

だが揺れは一瞬で、冷静が覆い被さる。


「白マント……? 何を言っている。誰に聞いた」


「誰にも聞いてない。俺が見た」


レンは喉の奥の砂を噛み砕くみたいに続けた。


「――俺はエルムフォードの生き残りだ」


空気が止まった。


女は半拍だけ黙った。判断を一枚めくる沈黙。

そして、短く息を吐く。


「……まだ、生き残りがいたとはな」


その一言にだけ、僅かな感慨が混じった。

だが次の瞬間、声が元の冷たさに戻る。


「計画が変わった。連行して尋問する必要はない」


レンは剣先を少しだけ上げる。相手の「次」を読む。


「代わりに――ここで死ね」


宣告と同時に、また魔法。


「《穿光》」


レンは《斜受》で逸らす。

逸らした瞬間、二発目。三発目。

数で押す。呼吸を削る。動きを縛る。


レンが防いだと思った瞬間だった。


女が、初めて剣を抜いた。


細身の剣。白銀の剣身。柄の中心に小さな魔石。

剣が淡く光り、刃の周囲に白い線がまとわりつく。


魔法剣。


白い一閃が、レンの視界を切った。


レンは反射で受ける。

刃と刃が噛み合った瞬間――金属の衝突の後ろから、魔力の打撃が来る。


レンの腕が痺れ、膝が沈む。


「……魔法庁の奴が、剣まで使うのかよ!」


「執行官だ」


突き。払う。刺す。


白い女の剣は速い。正確で、無駄がない。

受けるたび、腕が押し戻される。痺れが溜まり、指が開きかける。

このまま続けば、いずれ剣を落とす。だからレンは、受けるのをやめた。


レンは息を吸い、剣を腰まで落とした。

刃が月光を拾って、薄く光る。


「……来い」


女が踏み込む。

レンはその一歩に合わせて、地面を蹴った。


――一瞬、世界が前へ跳ぶ。


レンの身体が消えたように見え、次の瞬間、女の懐にいた。


剣が斜めに走る。

光の軌跡が一閃、白マントの前を切り裂く。


女が剣で受けた。

受けた金属音が鳴るより早く、レンは二段目へ繋げる。


今度は横薙ぎ。

刃の先から白い火花が散り、空気そのものが震えて「壁」みたいな衝撃が押し出された。


女が半歩退く。

退いた分だけ、レンの勢いが生きる。


レンは止まらない。三段目。

足を踏み替え、回転しながら斬り上げる。

斬り上げた刃の光が、女の視界を一瞬だけ奪った。


その一瞬で、レンはさらに前へ。

剣先を喉の高さへ置く。刺すためじゃない。動けば当たる位置に置く。


女が下がる。

下がったからこそ、レンは確信する。――今は魔法を撃つ余裕がない。


「……っ」


女は距離を取り直すように剣を振り、同時に口を動かした。息の使い方が変わる。


詠唱だ。


(撃たせるな――!)


レンは剣を振り下ろさない。振り下ろすと遅い。

踏み込みだけでもう一度、距離を消す。


剣が短く光り、レンの刃が女の口元の前を横切った。

喋れば刃に触れる。触れれば声が切れる。


だが女は剣で受ける。受けながら、詠唱を続ける。

火花が散り、声がその火花の間を抜けていく。


「《白環はくかん》」


白い輪が足元に浮かび、レンの足首を絡め取った。

踏み出そうとすると、見えない鎖が引き戻す。

身体の動きが遅れる。――技の勢いが殺される。


女はその瞬間を逃さない。

剣で来る。そこに魔力が乗る。受けた場所から痺れが増える。


レンは一度だけ、動く方向を見せた。

次の瞬間、逆へ跳ぶ。――だが足が引かれて、わずかに遅れた。


刃が頬を掠め、熱い血が流れる。


女の呼吸が整う。

剣で押さえ、輪で縛り、次の詠唱へ入る準備ができている。


このままなら、次は受け切れない。


女の剣が光った。


白い光が刃にまとわりつく。熱でも炎でもない。もっと冷たい、骨の奥まで届く光だ。


レンは一歩下がろうとして――足が動かなかった。


足首が引かれる。白い輪が絡んだまま、瓦の上に縫い付けられたみたいに。

踏み出す力だけが空回りして、脛の筋が悲鳴を上げる。


(動け。……動けって)


腕も重い。

剣を上げるだけで、指がほどけそうになる。痺れが指先に溜まって、握っている感覚が薄い。

息を吸うたび、喉の奥が乾いて痛い。


女は迷わない。

剣先が真っすぐレンに向く。――視界の中心が、その一点に縫い留められる。


女が短く詠唱する。


「《終穿しゅうせん》」


音が少ない。

だから怖い。合図がない。逃げる時間がない。


刃の先に、白い槍が生まれる。細く、静かで、やけに綺麗だ。

綺麗なのに、あれが刺さった瞬間のことだけは想像できる。

胸が抜ける。肺が裂ける。息が終わる。


レンは剣を上げようとする。

上げたつもりなのに、剣先が上がらない。腕が言うことを聞かない。

痺れが肘を越えて肩へ登ってきて、身体の半分が自分のものじゃなくなる。


(……やばい)


喉の奥が勝手に鳴った。

怖い、という言葉を出す余裕すらない。ただ、胃の底が冷える。


胸元が重い。封筒だ。

硬い角が、肋骨に食い込んでいる。

この紙一枚のせいで、ここまで来た。ここで終わるのか。


エルムフォードの夜が一瞬だけ戻る。

火の匂い。叫び。黒い影。

そして――白いマント。


レンは歯を食いしばる。

唇の内側が切れて、鉄の味が広がった。


(まだだ。死ぬなら、せめて――)


足を引きちぎるつもりで踏ん張る。

だが輪が締まって、踵が瓦から浮かない。


女の手が、静かに落ちる。

「撃つ」という動作が、あまりにも淡々としている。


白い槍が放たれる。


レンは剣を出した。間に合うかじゃない。出すしかない。

視界が白で埋まる。耳が遠くなる。

胸の奥で、何かが「終わる」と囁いた。


(――死ぬ)


その瞬間。


黒い雷のような魔力が、横から叩き込まれた。

白い槍と正面からぶつかり、爆ぜる。


熱と衝撃が屋根を揺らし、白い光が霧になる。

レンの頬を熱風が撫でた。――死が、すれ違った。


女の剣先が、僅かに止まる。

止まった視線が、屋根の端へ向く。


瓦礫が外側から粉々に砕けた。

粉塵の向こうに、黒い影が立つ。


「いやあ、今のは危なかったね」


場違いなほど軽い声。

影は、笑っている。


「執行官序列第四位。さすがだ。――でもさ」


黒い影の視線が、レンへ滑る。


「君も、けっこう粘るじゃないか」


白と黒が、同じ屋根に立つ。

レンは息を吸う。封筒は胸の中で硬く鳴った。


――ここから先は、戦いの質が変わる。


(つづく)

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