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剣の五年

村が燃える匂いは、火が消えたあとも残る。


煙の粒が肺の奥に沈んで、息を吐くたび喉がざらつく。五年経っても――夢の中だけの話じゃない。雨の匂いに混じった焦げを嗅いだ瞬間、背中の皮膚が勝手に縮む。


王都へ向かう街道の脇で、俺は立ち止まり、靴底の泥を払った。冬の土は重い。凍った小石が混ざっていて、踏みしめるたび鈍い音がした。


俺の名前はレン。


立派な姓なんてない。村が消えた日、名簿からも消えた。


王都の門は石の要塞みたいにそびえている。


商人のための門じゃない。戦のための門だ。荷車の列が門前で蛇のように折れ曲がり、検問の兵は笑わない。笑う余裕がないのだ。


今の世の中、いつ死んでもおかしくない。


門の外壁には、新しい紙が貼られていた。


「勇者捜索隊 募集」


この世界には、「刻印」がある。


生まれたばかりの赤子の額や胸に、ふいに現れる紋。


勇者の刻印は剣と肉体を極限に強くし、魔法の刻印は魔力の器を広げる。だが極限まで広げるのは、賢者の刻印だけだ。 勇者の刻印と同じく、それはこの世界にただ一つしか存在しない。


そしてその刻印は――神の祝福として扱われるより先に、国家の資産として扱われる。


門の脇で、赤子を抱えた女が泣いていた。


赤子の額を覗き込む役人の手は白い手袋。爪先まで汚れないように作られた手だ。


その背後の看板に、くっきりと刻まれた文字が見えた。


魔法庁


魔法の管理と育成――という名目。


だが実態は、「戦場で使える魔法」を作る工房だ。剣より遠く、矢より速く、人を殺せる子どもを。


「……刻印が出ております。魔法系の兆候」


役人は淡々と言った。祝福ではなく、分類。


母親は安堵と恐怖を同時に飲み込んだ顔で、何度も頭を下げた。


「ありがとうございます、ありがとうございます……」


礼なのか命乞いなのか、俺には区別がつかなかった。


魔法庁の男が続ける。


「三日以内に点検所へ。未申告は「隠匿」扱いになります」


隠匿。


その言葉は柔らかい顔で言われるほど、首を絞める。


隠したくて隠すんじゃない。隠さなきゃ守れないものがある。


でも国は、隠した理由を聞かない。理由を話しても、届かない。国が欲しいのは手順だけだ。


俺はその場を通り過ぎた。


卑怯だと分かっている。だが、守るべきものがない人間は、正義のフリをしやすい。


俺は正義のフリをしたくなくて、目を逸らした。


王都に入ると匂いが変わる。


香辛料、糞尿、油、湿った布、鉄。人が密集して生きる匂いだ。


石畳は硬く、足音がよく響く。足音が響く街は、逃げにくい街でもある。


俺は復讐をする。


魔王を殺す。魔王軍を殺す。


そのために強くならなければならない。


だから俺は、勇者捜索隊に入る。


募集の場所は王都北区の徴募庁だった。


庁舎の前に並ぶのは同じような男たち。傭兵あがり、没落貴族、農村の次男坊。


顔に共通しているのは「金がない」という疲れだ。


列の中で、俺は自分の指を見た。


剣だこが硬く盛り上がり、爪の隙間に黒い線が残っている。剣の柄の汚れだ。


五年、毎日握った。木剣でも鉄でも。腕が裂けても握り直した。


天賦はない。


勇者の刻印もない。魔法の刻印もない。


それでも俺は強くなった。――「普通の人間の限界」に、少しずつ近づいてきた自覚はある。


受付の机で役人が言った。


「志願理由」


「魔王討伐」


俺が答えると、役人は笑いかけて途中でやめた。


笑ってはいけない決まりでもあるのか、ただ疲れているだけか。


「適性試験は明日。武技と隊行動。合格者は当日夕刻に発表」


紙を渡され、俺は庁舎を出た。


夕方。王都の広場に人だかりができていた。


兵が柵を作り、その向こうで訓練用の藁人形が並べられている。


誰かが石を投げて笑った。軽い挑発。観衆の笑い。


次の瞬間――空気が変わった。


風が吸い込まれるみたいに止まり、広場のざわめきが布で覆われたように薄くなる。


輪の中心に、白いマントの少女が立っていた。


細い肩。


それなのに、彼女が歩いたところだけ地面の砂が静かに浮いた。見えない指が空を撫でているみたいに。


誰かが囁く。


「……魔法庁の」


「いや、あれは――」


「史上最強だってよ」


少女が手を上げる。


祈りに似た仕草。だが祈りなら、こんな冷たさは生まれない。


白い光が藁人形の列をなぞった。


光は燃えない。爆ぜもしない。ただ、存在を「切り分ける」みたいに線でなぞる。


次の瞬間、藁人形がすべて膝から崩れた。


切断面が遅れて落ち、藁が音もなく広がる。観衆が息を呑む。兵すら動けない。


――強い。


圧倒的に。


少女はすぐ手を下ろした。


袖がわずかに震えている。寒いからじゃない。


自分の指をぎゅっと握りしめ、見えない場所に爪を立てた。


火の夜、見えなかったはずの「白い影」が、今になって形を持とうとしている。


広場がざわめきを取り戻し、人々が口々に叫ぶ。


「フィオナ!」


「最強だ!」


「王国の英雄だ ! 」


「勇者がいなくても勝てる!」


そこで初めて、俺は彼女の名を知った。


フィオナ。


名を知った瞬間、距離が近づく。


距離が近づくと、痛みも近づく。


俺は拳を握った。


指の皮が硬すぎて痛みは遅れてくる。それでも握った。


明日の試験に受かる。


この少女と同じ隊になる。


それが復讐への最短だ。


そして――最短はたぶん、一番危険だ。

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