その1
その日も、ルディアス・マクガルデは タイクツしていたのだった。
父は例によって騎士団長に助力を請われて出かけていたし、母は……今はどこにいるのかすら分からないし、そう滅多には帰ってこない(その代わり、帰ってきてくれたらいつも珍しいお土産を(物も話も)たくさん持ち帰ってくれるし、しばらくは嫌というほど遊んでくれる)。
お手伝いのクリスおばさんは、いつものように家事の出来ない両親に代わって洗濯や掃除・夕食の調理などにてんてこまいだし、書庫にあった子供向けの本はほとんど読破してしまっていて、目新しいものは何も無かった。
いつもなら相手にしてくれる家庭教師のケッヘルさんは、今日に限って仕事が終わるや否や、そそくさと帰ってしまった。彼女とデートらしい。これだから大人ってやつは。
仕方なく庭に置いてある籐籠で、手足を畳んで箱型になって日向ぼっこしていた猫のチビ(今でこそデカイが、拾った当初は手のひらサイズだったらしい)を撫で回していたら、ウザそうに顔をしかめられた。尻尾が不機嫌そうにバサバサと振られている。
猫という生き物は、そこにいるだけで眠気を振り撒いている……とは父親の弁。
確かにそうかも知れない。チビの真っ白で柔らかい毛並みを行きつ戻りつ、もふもふと堪能していると欠伸が漏れてしまった。
当のチビは表情こそウザそうだが、今はもう尻尾も振っていない。多分撫でられているうちに、自分も眠くなってきたのだろう。
ゴロンと身体を横たえると、目を閉じてしまった。
「坊ちゃん、おやつの時間ですよー」
いつの間にやらウトウトしてしまっていたらしい。クリスおばさんの声に目を開くと、チビは彼の腕を枕にしてスヤスヤと寝息を立てていた。
何だろう、何かひどく楽しい夢を見ていた気がするのだが、思い出せない。
「また、会えるかな?」
無意識に呟いて寝ぼけた眼をこすりこすり、猫を起こさないようにそぉっと腕を引き抜いて彼は立ち上がった。ブーツとパンツにたくさんついた草と猫毛を払い落としつつ、元気な返事をおばさんに返す。
おばさんの作ってくれるお菓子は絶品なのだ。今日は多分、ミルクをたっぷり入れた紅茶と採れ立てリンゴで作ってくれたアップルパイだろう。生クリームがたっぷり添えてあれば嬉しい――
「……で、まんまと返してしまったわけですか」
頭痛をこらえるかのように片手をコメカミにやりながら、彼が言う……そらまた始まった、お説教だ。そう思いつつ、ケイオスはさっさと両手で自分の耳をふさいだ。いつものことなので、この次に何が来るのかも分かる。
「――アンタ一体何考えてるんですかっっ! こ、こ、こんなチャンスを無駄にするなんて!!」
あたり一体がその怒声にビリビリと震えた。古ぼけた根城の壁も天井も相当脆くなっているので、いつ崩壊してもおかしくはない――はずだったが、そこはそれ、自分が結界を張って防いでいるので大丈夫だろう。
「怒鳴らないでよ、フライス。ボクだって、これでも頑張ったんだよ?」
でもあまりにもあの子、ルディって言ったっけ? 純粋無垢でね~。ついついほだされちゃった。てへへ。
頭を掻きながら言ってみると、フライスが床に手をついている。ぶつぶつと唱えているのは、多分呪文。
どこか他人事のような気持ちで思う。あ、こりゃヤバイわ。
ふと、フライスが顔を上げた。床にはボンヤリと魔方陣が光る。彼が息を吸う。予想通り怒声が放たれる。
「アンタってヒトは~~~~~!!!」
閃光が瞬いて爆音が――
……しなかった。
フライスの描いた魔法陣に重なるようにして、もう一つの魔法陣が光っていた。自分が彼の魔法をキャンセルするために、瞬時に描いたものだ。この程度の魔法なら、呪文の詠唱すら必要は無い。
しかしそのくらいのことはフライスも予想していたのだろう。怒りの表情はそのままに、まくしたててくる。
「バカ、ホントに大バカ! お父上の――先代魔王サマの、憎き仇の息子ですよ!? なんで捕らえて殺さないんですかっ」
「ん~そんなこと言われてもなぁ。ボク、父上の666番目の子供だよ? ほとんど父に会ったことも無いしなぁ」
ていうかさ、何でボクが次の魔王継がなきゃいけないの?
何度目かの同じ問いを口にすると、フライスが奇声を発しながら髪をかきむしっている。
いつもそんなにカリカリして、カルシウムが足りてないんじゃないのかと思う。
「あーーーーもうホントやってらんねぇーーーーーなんでこんなバカ息子が一番魔力持ってんだよーーーーーなんでオレこんなバカ息子の教育係しなきゃなんねーんだよぉーーーーー」
……そんなこといわれても。
だがつまるところ、この魔力さえ無ければ自分は「魔王」なんて面倒な立場にいなくて済むのだが。
「大体さぁフライス、冷静に考えてごらんよ。明らかに父上の方が悪いじゃん。破っちゃならない「均衡」と「法則」を犯したのは、父上でしょ? ぶっちゃけ消し炭にされても自業自得ジャン」