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第3話 世界一可愛い後輩と夏空

「センパイ! ついに高校生活初めての夏休みですよ! 何します何します?」 


 終業式と、そのついでのロングホームルームが終わると、櫻田が犬っころよろしく大はしゃぎの様子で俺の席までやってきた。こいつの言葉をすべて馬鹿正直に捉えると、とても人懐っこい可愛らしい後輩だと思うこともできるのだが、残念ながら櫻田検定三級を脳内で取得した俺には、彼女の言葉はその文面通りの言葉として捉えることができない。

 以下、俺の脳内翻訳機が翻訳した櫻田語。


『センパイ! 二度目の夏休みを迎えましたが気分はいかがですか? それはそうと、夏休みもパシリに使うのでよろしくお願いしますね☆』


 いや、さすがに曲解しすぎか? あのサッカーをした日を境に、こいつにパシリとして使われる回数は少し減っているしなあ。......とは言え、普段の言動はあまり変わらないし用心するに越したことはないだろう。

 まあ、用心するしない関係なく、この夏休みはこいつに構ってやれる時間は限られてくるんだけど。俺は先ほど貰った通知表を櫻田の見えるように机の上に出しながら、したり顔で櫻田に言う。


「残念だったな櫻田。俺はこの夏休み補習があるんだ」


 櫻田は、「またまたぁ」と言いながら俺の通知表を手に取り、順繰りに成績を確認していく。最初の内はその調子のままに目を動かしていくのだが、とある一点を見たところで目の動きは止まり、黙って俺に通知表を返してきたかと思ったら、分かりやすくため息を吐いてから、三段階くらい声のトーンを落として一言。


「あのセンパイ、嫌味とかじゃなく単純な疑問なんですけど、私があれだけ勉強に付き合ってあげたというのになんでこんな有様になったんですか?」


 そう、実は今回の期末テストでは、俺の苦手科目である数学の対策を櫻田に見てもらっていたのだ。正直、素直に褒めることはあまりしたくないのだが、櫻田の教え方というのはかなり分かりやすかった。

 そのおかげで、なんとか平均点+αである60点台後半は取れたのだが......


「中間テストがひどすぎたんだよなあ」


 そう言うと、櫻田も何かを諦めたかのように「ああ、そうでしたね」とつぶやいた。何を隠そうこの俺、高瀬碧唯(あおい)は、一学期中間テストの数学Aにおいて一桁台の点数を叩きだし、ぶっちぎりの最下位をとってしまったのだ。

 だから、たとえ期末で60点後半を取ったとしても、学期平均では赤点のボーダーである40点を軽く下回ってしまう。

 まあ、過去のことは悔やんでも仕方がないよね! というわけで俺はこの夏、教師とほぼマンツーマンで数学をみっちりと勉強します!


 そう櫻田に告げるも、彼女はなんだか満足いっていない様子で俺を見つめる。そして、そんな状態が十秒ほど続いたかと思えば、突然櫻田は頓珍漢なことを言い出した。


「でもセンパイ、学校で補習を受けたところで全く集中しませんよね?」


 酷い言いぐさだが、間違ってはいないので下手に否定ができない。しかし、それがどうしたのだろうか。


「ふふん、こんなときこそ世界一可愛い後輩ちゃんの出番ですよ! 私が直々に勉強を教えてあげましょう!」


 またいつもの冗談かと半分呆れながら聞いていたところ、どうやら今回の櫻田は本気なようで。ちょっと交渉してきますと言うと、彼女は俺が制止するより早く、教室を出て職員室の方へと歩いて行ってしまった。本当、こいつって思い付きだけで行動してるよな。

 ......しかし、どうしようかこの状況。あいつが教師と交渉(?)をしている間隙を縫って帰宅をすることはできるが、そんなことをしてしまっては今後あいつに何をされるか分かったものではない。かと言って、このまま櫻田の言っていた事が本当になってしまったら最後、俺の夏休みは勉強とパシリだけで終了してしまうこととなる。

 

 いや、待てよ? そもそもなぜ俺はあいつの案が教師に許可される前提で今後を想定しているんだ? よく考えてみたら、今回俺が呼び出されたのは自由参加の補習ではなく、成績をどうにかするための補習なわけで、いくら成績上位者である櫻田とは言えど、個人指導だけで済ませるなんてことは許可されるはずがないのではないだろう。うん、そうだ。俺は先生を信じているぞ————


「————センパイ、無事許可が下りました!」


 ........................。


「あれ、どうしたんですか、浮かない顔して。夏休みの間私とずっと一緒に入れるんですよ! ほら喜んで喜んで!」

「夏休みの間ずっと一緒にいなきゃいけないから俺は浮かない顔をしているんだよ」


 今年......いや、今世紀最大級のため息が俺の口から漏れ出す。いっそのこと、魂も一緒に抜けていってくれたらどれだけよかったことか。


「それにしても、よく先生が許可を出したよな。お前どんな手を使ったんだよ」

「『どんな手』って失礼ですねセンパイ。それじゃあまるで、私がいけないことをしているみたいじゃないですか」

「おう、よく分かってるじゃねえか。その通りだよ」

「まあ、割と説得は簡単でしたよ。『高瀬君が秋の模試で数学偏差値60以上取れなかったら、高瀬君の冬休みの課題5倍にしてもいいですから』って言っただけで——ってセンパイ、どうしたんですかそんなに興奮して」

「.........お前、自分が何を言っているか分かっているのか?」

「ええ、分かってますとも。『48.3』しかないセンパイの偏差値を60まで上げればいいだけですよね?」

「すごくさらっと流すなあ。......てかおい、なぜお前が俺が五月に受けた模試の偏差値を知っている?」

「そんな細かい事はどうでもいいじゃないですか!」

「全然細かくねえ! どちらかと言えば細かいのはお前の方だろうが。なんで小数点以下まで覚えてるんだよ」

「ふふん、私の記憶力をあまり舐めないで貰えませんかね......?」

「ドヤ顔で言っているところ申し訳ないが、それ全くカッコよくないからな」


 そう言うと同時に、またもや俺の口からため息が漏れだす。本当、こいつといると喋るだけで疲れてくるから困る。

 しかし、疲れているのは両者とも同じらしく、櫻田は脊髄反射で言葉を発するのをやめて、話を終わらせるために単刀直入に俺に問うてきた。


「......それで先輩、色々と話が脱線しましたけど、結局どうするんですか? この酷暑の中登校し、数人しかいない教室で劣等感を感じながら補習を受けるのか、この世界一可愛い後輩のお部屋で世界一可愛い後輩からのマンツーマンの授業を受けるのか」

「ううむ、聞けば聞くほど地獄のような二択だな。悩ましい......」

「いやいや、それを言うなら天国と地獄でしょう?」


 こいつの場合、本気でそう思ってそうなところが恐ろしい。というか、地味に補習が地獄であるということを肯定しているのもどうかと思うが。

 まあ、それはひとまず置いておいてだ。

 櫻田の授業が分かりやすいというのは、今回の期末テストの件で十二分に分からされた。だから彼女の実力については何も疑ってはいない。故に、今回の懸念点はマンツーマンの代償としてのパシリと、櫻田が勝手に決定した目標だ。

 まあ、パシリに関してはいつものことだし、それに一応授業をしてもらうのだから、少しくらいその代償を払うのは当たり前の事だろう。

 問題は『秋の模試で偏差値60』という目標設定についてだ。正直、一か月半やそこらで達成できる目標ではないような気がするのだが、どうなのだろうか。

 その旨を櫻田に問うと。


「うーん、どうでしょうね。でもいけるんじゃないですか? センパイ割かし物分かりが良いですし、うんうん」

「.........お前、さては見栄を張ったな?」


 櫻田もバカではない。というか認めたくはないが、何故だか知らないが俺よりも数倍賢い。そんな彼女が、なんの算段もなく適当な数値を本来言うはずがないのだ。

 しかも、今回に関しては、一見目標達成ができない場合に被害を被るのが俺だけのように見えるが、実はそうではない。櫻田は自ら、それも元々予定されていたスケジュールを崩してまで無理を通し、それの交換条件として俺の偏差値を60まで引き上げると約束したのだ。そこまでしておいて、もし目標が達成できなかったとなれば、櫻田の信用は幾分か落ちるのは目に見えている。そこまでのリスクを負っているはずなのだ、彼女は。

 そんなことは彼女も理解していることだろう。だというのに、60という数字にはなんの根拠もない。いや、もしかしたら裏では綿密に計算した結果なのかもしれないが、だとしてもそれを俺に隠す理由もないはず。

 そうなると、もはや残された可能性は櫻田が『見栄を張った』ということくらいしかない。


「さあ、正直に白状しろ」


 なかなか口を割らない櫻田に、俺は追撃するような言葉を発する。すると彼女は、仕方がないといった様子で、ゆっくりと口を開いた。


「...............本当に言ってもいいんですか?」

「? よく意味が分からんのだが、俺としてはこのまま隠し事をされる方が嫌だ」


 櫻田はそんな俺の言葉に対して一言「そうですか」とだけ呟くように返すと、その数秒後、こいつにしては珍しい、少し恥ずかしがった様子で告げる。


「見栄を張った、というか大口を叩いたというのは事実です」

「なんだか歯切れの悪い言い方だな」

「......実は、先生に『いくら学年上位の櫻田とは言えど、あいつが数学を理解できる日なんて来ないだろ』と言われて、少しカチンと来てしまいまして。その、売り言葉に買い言葉と言いましょうか.........」

「...............それで、俺を庇ってくれたのか?」

「か、勘違いしないでくださいよ! これは飽くまで、私に教える実力がないと言われたことに対してカチンと来ただけで.........」

「......まあ、なんだ、一応礼は言っておくよ。ありがとうな」

「だ~~か~~ら~~、違うって言ってるじゃないですか! そろそろ私怒りますからね!?」


 羞恥を誤魔化すように声を張る櫻田。見ている分には面白かったが、やはりこのまま興奮され続けても困るということで、俺は話を元に戻すように仕向けた。

 普段の俺......というか、数分前までの俺だったら絶対そんなことはしなかっただろうが、生憎、今は気が変わってしまったのだ。

 そして、何とか話の流れを元に戻したところで、俺は櫻田に告げる。


「なあ櫻田、夏休みの間、俺の家庭教師を引き受けてくれないか?」


 そう言うと、櫻田はにやりと不敵な笑みを浮かべながら、一言。


「その言葉、後悔しませんね?」


 俺は力強く「ああ」と答えた。......よし、交渉成立だ。







「——にしても、あのセンパイがよく私の話に乗ってきましたよね。どういう風の吹き回しです?」


 校舎を出て、駐輪場へと向かって歩いている途中、櫻田は不意にそんなことを聞いてきた。俺はポケットから自転車の鍵を取り出す傍ら、適当に答える。


「まあ、櫻田の案に乗るのは甚だ不本意だけど、それでも、俺にはやらなければならないことがあった。ただそれだけだよ」

「.........なぁにカッコつけちゃってんですかセンパイ。柄にもないですよそんなセリフ」

「うるせえ。俺だってそれぐらい分かってるっての」


 日傘をさした櫻田に見守られるようにして自転車を駐輪スペースから出しながら、俺は負けじと言葉を返す。そしてそれ以降、言葉を交わすことのないまま、二人肩を並べて学校の出口に向かった。

 その途中、俺は立ち止る。彼女に伝えなければならないことを言い忘れていたのを思い出したのだ。

 隣を往く影の変化に気づいた櫻田は、俺が立ち止った数秒後に同じく立ち止まり、ゆっくりとこちらを向いた。そして彼女は、俺がなぜ立ち止ったのかを知ってか知らでか、その際に、言葉を発することは一切なく。

 一瞬、粒子の流れさえ止まったかとも思えたその空間で、俺は言葉を発する。


「............一つ言っておくが、櫻田は見栄を張ってあの目標を設定したのかもしれないけど、俺は本気だからな。これ以上、もう何からも逃げない。勉強はさることながら、お前のパシリという名の夏休みも満喫してやる! 櫻田の方こそ、後悔するなよ?」


 突然の告白にきょとんとする櫻田であったが、徐々に俺の言葉を咀嚼していき、十秒程度の時が経ったのち、くすくすと笑いながら彼女は言う。


「......だから、そんなセリフ柄にもないって言ったじゃないですか。.........まあでも、私としてもセンパイの本心が聞けて良かったです。いろいろと、覚悟しておいてくださいね?」


 こうして、燦燦と日光が降り注ぐ中、俺と櫻田の長い夏休みは始まったのであった。

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