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世界一可愛い後輩が俺にだけ構ってくる理由。  作者: 主憐茜


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第11話 世界一可愛い後輩と訳アリ先輩②

  その日から、櫻田の様子は明らかに変わった。


「センパイ、今日の数学の課題はもう終わりましたか!? まだなら、私が全部見てあげます! 放課後、今日は三時間、みっちりやりましょう!」


 休み時間になるたびに、俺の席に飛んできては、鬼気迫る表情でそうまくし立てる。その目はどこか虚ろで、必死に何かに縋り付いているように見えた。


「おい、お前、最近なんかおかしいぞ。そんなに焦ってどうしたんだよ」

「おかしくなんてないですよお! これが『世界一可愛い後輩』の通常運転ですから! センパイがちゃんと卒業できるまで、私が責任をもって面倒を見るって言ったじゃないですか!」


 無理やり作った笑顔は引きつっていて、痛々しいほどだった。

 俺が、留年する前の友人――今は先輩になってしまったが――と廊下でばったり会って立ち話をしていると、どこからともなく現れた櫻田が、俺の腕を掴んでその場から引き離した。


「センパイ! 私と大事な話があるんじゃなかったんですか!?」

「はあ? なんだよ急に......」

「いいから、ほら行きますよ!」


 有無を言わさぬ力で引っ張られ、俺は友人に「すまん、また今度」と告げるしかなかった。櫻田のその行動は、明らかに常軌を逸していた。まるで、俺が誰かと親しくするのを、極端に恐れているかのように。

 櫻田のそんな調子は日を跨いでも跨いでも続き、俺が詳細を聞き出そうとしても、適当なことを言って誤魔化されてしまう。ついにはそれをも日常の一部になりかけていた、そんな日。


 掃除を終えて教室に戻ると、机の上に『放課後、屋上で待ってます。』と書かれた、櫻田の字のメモが置かれていた。その切羽詰まったような筆跡に、どこか嫌な予感を覚えた。

 今までの彼女なら、こんな不確定な書き置きをせずに、俺の下へと現れては有無も言わせずに連れて行っていただろう。


 だが、さすがに今までの態度とこの書き置きを見て無視するわけにもいかず、俺は若干重い足取りで屋上へと向かった。

 そも屋上なんて開放されているのかと首を傾げながら向かったのだが、そのドアはいとも簡単に開いた。分厚いそれを力を入れて開けると、決して広くない屋上が一望出来る。

 櫻田はフェンスに寄りかかって、沈みゆく夕日を眺めていた。その背中は、やけに小さく、儚げに見える。


「......櫻田」


 俺が声をかけると、彼女はゆっくりと振り返った。その瞳は赤く腫れ、頬には涙の跡が光っている。


「どうしたんだよ、こんなところに呼び出して。それに、その顔......」

「センパイ......!」


 震える声で俺の名前を呼ぶと、彼女は堰を切ったように泣きじゃくりながら、俺に駆け寄ってきた。

 勢いよく飛びついて来る彼女に驚きよろけながらも、なんとかその華奢な身体を受け止める。


「お願いです......! どこにも、行かないでください......!」


 俺の制服の胸元を、必死に掴んで懇願する。そのあまりの剣幕に、俺は完全に狼狽えた。


「は? 行くって、どこにだよ。おい、落ち着け、何の話をしてるんだ」

「聞こえ、ました......! 月曜日に、先生と話してるの......! ここを出て、別の道に行くって......! ちゃんと聞きましたよ......」


 その言葉を聞き、俺は進路指導室での一幕を想起する。

 ああ、あれか。ようやく合点がいった。こいつは、あの会話を盗み聞きして、とんでもない勘違いをしているのだ。


「馬鹿、あれは進路の話で......」


 俺が誤解を解こうと口を開いた、その時だった。櫻田は、それを聞く前に、想いのすべてをぶつけるかのように叫んだ。


「嘘です! どうせ、やっぱり私が迷惑だから、私から離れたいだけなんでしょう!? だったら......だったら、私の気持ち、ちゃんと聞いてください!」


 一度空回りをしてしまった歯車は、狂ったように加速度を上げる。もはや、自棄としか思えない彼女の言葉は、俺の脳天に直撃した。

 彼女は一度、ぐっと涙をこらえると、潤んだ瞳でまっすぐに俺を見つめて、言った。


「私......センパイのことが好きなんですっ! ダブるし馬鹿だし意地悪だし素直じゃないけどっ、それ以上に優しくて気が利いてなんだかんだ付き合ってくれて私みたいなのを受け入れてくれて.........! そんなところが、大好きなんですっ!!

 だから.........だから、お願いです、いなくならないで......!」


 櫻田が放った二文字が、頭の中で延々と反芻される。

 好き? 

 櫻田が、俺を?

 思考が、完全に停止する。心臓が、ありえないほど速く脈打っている。突然の告白に、俺の脳は情報の処理を完全に放棄してしまっていた。

 何と言えばいい? どうすればいい?

 パニックになった俺の口から出たのは、彼女をなだめるための、あまりにも配慮に欠けた言葉だった。


「......おい、櫻田。待て、一旦落ち着け。気持ちは......その、嬉しいけど、まずはちゃんと話を......」


 その、「待て」という言葉。

 何とないそんな言葉は、俺の語気が強まっていたことも相まって、自らの気持ちを跳ね返す拒絶の言葉だと受け取られてしまったのかもしれない。

 櫻田の瞳から、光が消える。掴んでいた俺の制服から、力が抜けていく。


「......待て、ですか」


 彼女は、自嘲するように、ふっと息を漏らした。


「やっぱり、そうですよね......。センパイにとっては、私の気持ちなんて、ただの迷惑な、勘違い......なんですよね......」


 絶望に染まった顔で、彼女は一歩、また一歩と後ずさる。


「あっ、いや、違う、そうじゃなくて......!」

「......ごめんなさい。困らせて、本当に、ごめんなさい......」


 そう言うと、櫻田は俺横をすり抜けるようにして、屋上の出口へと走り出した。


「おい、櫻田っ!」


 俺の制止の声も聞かず、彼女はドアの向こうへと消えていく。

 夕日に染まる屋上に、俺は一人、取り残された。足元には、彼女が落としていった、くしゃくしゃになったハンカチが落ちている。


「......好き、か」


 俺は、そのハンカチを拾い上げ、強く握りしめる。

 何かが、決定的にすれ違ってしまった。彼女の純粋な想いを、俺は最悪の形で踏みにじってしまった。

 胸を締め付ける、後悔と罪悪感。


 翌日、そしてその次の日も、学校に櫻田の姿はなかった。彼女の机は、まるで持ち主の心の空洞を映すかのように、がらんとして、ただ静かにそこにあるだけだった。

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