074話 Feat.ユリ
「我は、吸血鬼をふたり作ろうとしている」
その言葉に、スレスはわかりやすく眉を顰めた。
「二人……?」
「うむ。一人は貴様。もう一人は、シンだ」
「……なぜですか?」
その問いは、至極まっとうなものだった。我もそう思った。
「あやつの魂を、さらに強くしてやる必要があるからだ」
もしかすれば、ただの失敗に終わるかもしれぬ。それでも、もしその結果として彼らが幸せを得られるのならば、成す意味はあると我は考えた。
“究極の忘却”と呼ばれる強大な力は、今のシンの魂では抑え込むだけで精一杯だ。だからこそ、記憶は戻らない。
であるならば、吸血鬼化によって生じる魂の強化。それが副次的にでも働けば、あの力を完全に制御することができるかもしれない。
「つまり、吸血鬼にすることが目的ではない……と?」
「うむ。そして、それを行った後、恐らく我は死ぬ」
吸血鬼は、自分よりも強靭な魂を持つ者を眷属にはできない。
主たる吸血鬼の魂が、対象の魂に耐えられぬためだ。
「し、死ぬ……!?」
スレスは目を見開き、言葉を失いかけていた。それも無理はあるまい。
彼女にとって我は、死とは無縁の存在に見えているのだろう。
「なぜ、そこまで……」
口には出さずとも、問いかけは表情に滲んでいた。命を賭してまで成すことなのか――そう言いたいのだろう。
だが、それは我にとって、あまりに自然なことだった。
長きにわたり無為に過ごし、色彩の失われた世界に身を置いていた我を、あの者たちは外へと導いてくれた。
彼らが笑い、穏やかに過ごせる未来を願うことは、もはや特別な感情ではない。
ごく当たり前の、本能に近い欲求だった。
だからこそ、スレスの叫びを、我は否定することができなかった。
「……でも、わかります。ユリ様も、自分がそうだったって言ってましたよね。
私も……ユリ様に“死ね”って言われたら……それは、残念ですけど、多分、死ねると思うんです」
スレスは、何かを飲み下すように、低くつぶやいた。
「そんな長い付き合いでもなかろうに」
思わず肩をすくめて茶化してしまった。我らしくなかった。
「そんなの関係ないですよ」
「……それもそうだな」
我も彼らとはそこまで長い付き合いでもない。だから、命を懸けること自体が、論理の破綻をしていることは自分が一番よくわかっている。同じことを目の前に彼女にするほどに、してしまうほどに、我は彼らに救われてしまったのだから。
……ああ、でも、だからこそ、我が死ぬことで、この恩という呪いの連鎖から、彼女を解放してやることができる。
我が死ぬことは、良いことばかりだな。
「ユリ様、私に協力できることはありますか?」
「……我がそんなにつらい役目を、自分の眷属にさせるわけがないだろう」
恩人殺しをさせるわけにはいかん。自分が救った者であるからこそ、そこに無頓着になってはいけない。
「違います。私は貴女の最後も、恩を感じているからこそ、自分の目に焼き付けたいのです」
その剣幕に、我は負けてしまった。いや、最後の彼女の願いだから、無下にすることができないのだろうな。
「……そうか、ならばひとつ、頼まれてくれないか?」
最後の欠片が、これでやっとはまる。シンに吸血鬼化の儀式を施すための、最後の一歩だ。




