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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
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069話



「おい……本当に買うつもりか?」


「はい。今からギルドに行きましょう」


「うむ、今から行くぞ」


 帰ってきたレイとユリは、開口一番に屋敷を買うと言い出した。

 さすがに勢いが過ぎると思って、俺は冷静になるよう呼びかけたのだが……残念ながら、二人の意思は微塵も揺るがなかった。


 スレスを部屋に残し、俺たちは外へ出た。


 街の通りを歩いていると、俺の足取りだけが妙に重く感じられる。一方で、レイの歩みはどこか軽やかだった。

 その背中を眺めているうちに、レイが楽しそうなら、それはそれでいいかもしれないと思えてきた。


 やがて、冒険者ギルドの建物が見えてきた。

 レイはためらうことなく扉を押し開け、俺たちはそのまま中へと入った。


 時刻はすでに昼を過ぎており、内部は昨日に比べて幾分落ち着いた空気に包まれていた。


 昨日のゴブリン討伐も、どうやらひとまず片付いたらしい。人がひとり死んでいるはずだが、一日もあれば片付いてしまうのは、少し寂しさを感じてしまう。


「……話しかけるぞ」


 俺は隣を歩くレイとユリに視線を向けた。二人は無言のまま、わずかに頷いた。


「ギルドマスターはいるか。昨日の件で話があってな」


 受付の職員に声をかけると、すぐに返答があった。


「昨日のゴブリン討伐の件ですね。ギルドマスターに通すよう指示されています」


 こちらとしては屋敷の件で話をするつもりだったが、どうやらギルド側は、ゴブリン討伐について俺たちと話したいらしい。


 そのまま案内され、俺たちは以前、ダルトンと最初に顔を合わせたあの書斎へと向かった。


 扉を開けると、奥にいたダルトンが顔を上げ、ゆるやかに口を開いた。


「おお、来てくれたな」


 その声からは、これまで以上に温かな歓迎の気配が伝わってきた。


 俺たちは室内に入り、それぞれ椅子に腰を下ろす。ダルトンは一度頷くと、手元の書類を軽く叩いた。


「まずは、試験の結果について話しておこうか」


 少しだけ間を置き、静かな声音で続ける。


「正式に、三名とも“Cランク冒険者”として認定された。文句なしの合格だよ」


 予想していた通りの結果だが、改めて口にされると、少しばかり実感が湧いた。


「……ありがとう」


 俺が簡潔にそう答えると、ダルトンはわずかに目を細める。


「本来であれば、Cランクというのはかなりの実力者だ。単独で依頼をこなせる者もそう多くはない。だが、君たちはそれ以上の働きを見せてくれた」


「ゴブリンの討伐ですか?」


 レイの問いに、ダルトンは頷いた。


「ああ。あの数を、あの短時間で殲滅した記録は、街の記録にも残っていない。……特に後半は、もはや討伐というより処理だったと聞いている」


 俺たち三人の目が、一瞬だけ交わる。あの場のことを思い出すには、あまりにも生々しい言葉だった。


「こちらとしても、あの規模の異常発生は見逃せない。君たちの報告はすでにまとめられているが、加えて、いくつか正式な依頼として処理すべき案件がある。……ただし、それはまた後日だ」


 ダルトンはそこで言葉を切り、わずかに窓の外へ視線を向けた。

 そして、静かにひと息を吸い込む。


「それよりも、報酬の件だな」


 ダルトンは手元の書類を一枚めくると、さらりと視線を流した。


「本来、試験における戦果に対しては、報酬は発生しない。それが原則だ」


 俺は内心、やっぱりそうかと思ったが、すぐに続く言葉に意識を戻す。


「だが、今回は例外とする。あれは“試験”の範疇を超えていた。……街の防衛という観点から見ても、あの戦果は正当な評価に値する」


「つまり、正式な依頼として扱う……ということですか?」


 レイが簡潔に確認すると、ダルトンは頷いた。


「ああ。実際、現場に派遣されていた試験官からの報告書にも、“試験中止もやむなし”と記されていた。君たちがいなければ、多くの死傷者が出ていた可能性もある」


 ダルトンはそう言って、手元から小ぶりな袋を三つ取り出す。それぞれに、重みのある音が微かに響いた。


「これは、討伐報酬と異常発生に対する緊急対応費。それに加え、特例手当だ。三人分、それぞれに分けてある」


 俺が袋を受け取ると、そのずっしりとした感触が手のひらに残った。金額の多寡はまだ分からないが、少なくとも“形だけ”の報酬ではなさそうだった。


「街としても、感謝している」


 ダルトンの声は、言葉以上に重みを持って響いた。


 ひと呼吸のあいだ、室内には静けさが流れた。


 レイがゆっくりと顔を上げ、ダルトンに向き直る。


「ありがとうございます。それと……もう一件、お話があります」


 ダルトンがわずかに首をかしげた。


「屋敷の購入についてです。昨日ご案内いただいた物件を、正式に購入したいと思っています」


「……なるほど。そう来たか」


 ダルトンは目を細め、少しだけ口元を緩めた。

「だが、金銭はあるのか?」


 ダルトンは俺たちの状況をおおよそ把握している。昨日今日この街に来たばかりの者が、屋敷を買えるだけの金を持っているとは考えにくい。


「具体的な金額を教えてください」


 レイの静かな言葉に、ダルトンはわずかに眉を上げた。

 そして手元の書類の一枚を指先でたぐり寄せ、視線を落としたまま読み上げる。


「屋敷本体の価格は、金貨百枚。そこに登記と維持費を含めた初期契約料が金貨五枚。合計で百五枚だ」


 淡々とした口調だったが、室内にはわずかに沈黙が落ちた。


「あれだけ大きければ……無理もないか」


 今回のゴブリン討伐でどれだけの報酬が入ったのかは、袋の中身を見てみないと分からない。

 だが、竜素材の前金程度では到底届かないと察して、その屋敷がどれほど高価なものかをようやく実感した。


「支払いは一括ですか?」


「基本はそうだな」


 それだと、セレアス商会に卸した竜素材がどれだけの値をつけられるかを確認しなければ、購入の判断すら難しい。

 それに、分割にしてまで――借金をしてまで手に入れるほどのものかと言われると、俺は首を縦に振れなかった。


「それだったら、やめておこう。現実的じゃないだろ」


 俺は、買う気を見せていたレイとユリに言い聞かせるように言った。


「おいおい、そんなにあっさり諦めるのか?」


 意外そうな声が返ってきた。ダルトンだった。


「ああ。そんなに変か?」


「そうだな。貴殿なら、何らかの交渉を持ちかけてくると思っていた」


「交渉して、何とかなるのか?」


 金が足りない以上、いったい何を交渉するというのか。


「ギルドの依頼を優先的に受けてほしい。返済が完了するまでで構わない」


「……いや、その交渉は受けない」


 俺は即座に首を横に振った。


 返済額をあとから増やされる可能性もある。契約の条件が一方的に変更される危険だってあるだろう。

 借金とは、それ自体が人生を縛る枷になり得る。

 この街の相場も、常識も、俺たちはまだ十分に知らない。下手に契約すれば、詐欺まがいの案件を掴まされかねない。


 何より、正しさは強い武器だ。それを自ら手放すわけにはいかない。


「ならば、契約書を作成しよう」


「……内容次第だな」


 契約書にサインするという行為には、どうしても抵抗がある。もちろん、それ自体が悪だとは思っていない。だが、この街の常識も仕組みも、俺たちはまだ何ひとつ知らない。そんな状態で簡単に紙に名前を書く気にはなれなかった。


「それはもっともだ。実のところ、そうなる可能性も考えて、ひとつ用意しておいたものがある」


 ダルトンは机の引き出しから一枚の書類を取り出し、それを静かにこちらへ差し出した。


「これは、立て替え払いの返済に関する簡易契約書だ」


 俺は紙を受け取り、ざっと目を通す。隣ではレイが肩を寄せるようにして覗き込んでいる。


 契約の目的、屋敷の名称と価格、返済条件、債務不履行時の対応、活動制限の有無――必要最低限の要点が簡潔に記されていた。


「物件は……“南通りの屋敷”。金貨百枚、契約手数料が五枚で、合計百五枚……か」


「そう……ですね。特に不利な条件は見当たりません」


 俺とレイの言葉に、ダルトンは項目の一つを指先でなぞりながら補足する。


「ここに記してある通り、君たちがギルド経由で受けた依頼報酬の三割が、自動的に返済に充てられる。支払いはギルドで管理されるから、都度払いに来る必要もない」


「三割か……」


 思っていたよりも、ずっと良心的な数字だった。


「返済期間の上限は五年。早期返済も可能で、違約金は発生しない。だが、滞納が続いた場合には、屋敷は一時的にギルド預かりとなる。その点だけは了承してほしい」


 言い回しは穏やかだが、内容は明瞭だ。契約に不備はなく、脅すような一文もない。


「利息の話は?」


「それはない。ただし、代わりに……ギルドから提示する依頼には、できる限り応じてほしい。強制ではないが、街のためにもな」


 行動の自由が制限されるわけではない。紙面にもそのような文言は見当たらなかった。


「これなら、契約してもいいのでは?」


 レイの声はいつも通り淡々としていたが、どこか背中を押すような響きがあった。


「う、そう……だよな」


 俺は気を張っていた分だけ、素直に頷くことしかできなかった。


 この提案を、ただ感情だけで突っぱねるには、あまりに現実的すぎた。


 俺は静かに息を整えると、契約書の署名欄に視線を落とし――ペンを手に取った。

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