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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
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067話

 目が覚めた。気がつけば、朝になっていた。

 見知っていて、それでいて初めて見た天井が、視線の先に広がっていた。

 隣では、最愛の妻が眠っていた。かつてと同じように、そっと彼女の髪に手を伸ばし、その頭を優しく撫でた。


「レイ、愛してるよ」


 整った顔立ちの彼女は、今はただ、無防備に眠っている。

 そのあどけない寝顔に、ふと胸が詰まる。

 強くて、賢くて、時に誰より冷静な彼女が、こんなにも幼く、穏やかに呼吸を重ねている。

 相反するその姿が、愛おしさとなって、胸いっぱいに広がっていく。溢れそうなほどの温もりが、静かに、確かに、心の奥へ染み込んでいった。


 君に触れられる、ほんのわずかな時間。それが持てたことが、なにより嬉しかった。

 今の自分と、かつての自分が、少しずつ重なっていくのを感じている。

 けれど、それでも──こうして彼女を想い、手を伸ばすこの瞬間は、やはり“これから”に属している。

 もっと彼女に触れて、もっと抱きしめて。そんな記憶の全てを持って愛せるような、そんな俺になれるのは、まだまだ先の未来になりそうだ。


「……貴様、誰だ?」


 気配は、完全に殺していたつもりだった。

 几帳面で用心深いレイですら目を覚まさないほどに慎重に動いていたはずだ。

 それでも、声は響いた。

 俺たちが眠る寝台の、さらにその隣。吸血鬼のユリが、静かに問いかけていた。


「俺は、シン・エヴァルディア。かつて宇宙全体を統治していた王だ」


 だからこそ、はっきりと名乗った。

 彼女は、今の俺が助けた相手だ。だから、伝えるべきだと思った。


「まさか、記憶が戻ったのか?」


「……いや。この現象は、あと数分で終わる。よくある記憶喪失とは、性質がまったく異なる」


 ユリの問いに、答えるべきか一瞬だけ迷った。だが、不思議とためらいは長く続かなかった。

 伝えてしまってもいいかと、少し投げやりになっていた。


「どういうことだ?」


「俺の記憶も、感情も、技術の大半も。簡単に言えば、俺の魂そのものが“究極の忘却”という、無の象徴を封じるために使われている」


「つまり……?」


「俺は、表に出ることができない。

 過去の記憶をレイと語り合うことも、本当の自分として存在することも、それ自体が“究極の忘却”の封印を緩める行為になる」


「すると、どうなるのだ?」


「“究極の忘却”。君も見たはずだ。あの、身の毛がよだつような黒い渦を」


「……あれは、貴様が封印しているものなのか」


 ユリは、その存在を初めて目にしたときから、ただならぬものだと直感していた。

 それは、今の俺に残された彼女の記憶。あのときの、張りつめた表情からも伝わってくる。


「な? 俺が封印しなければ、この世界どころか、宇宙そのものが飲み込まれる。そう考えれば、少しは想像がつくだろう?」


「……だが、あれほどの存在を封じるなど、人にできることとは思えん」


「だからこそ、普段の俺には記憶がないんだ」


 人には、唯一無二など存在しない。

 かけがえのないものなんて、本来どこにもない。

 あれがなければ生きられない、などというものは、存在しないはずなんだ。


 それでも人は、それをあると信じる。

 一番だと叫び、代わりのないものだと、言い切ることができる。

 その想いこそが、人の可能性であり、人類種が持つ、もっとも強い力だ。


 そして、その力の燃料となるのが、記憶だ。想い出だ。


 宇宙の王にまで上り詰めた俺が、そのすべてを燃やさなければ封じることすらできないのが、“究極の忘却”と呼ばれる存在なんだ。


「……そう、か」


ユリは、少しでも理解してくれただろうか。

 いや、そもそも、理解されることを期待して話したわけではない。


 それなのに、どうして語ってしまったのか。

 たぶん、俺もどこかで、弱くなっているのだと思う。


 だって、こんなにも愛おしいレイに、俺は触れることすらできないのだから。


 それでも、俺は折れない。


 彼女が与えてくれる愛があるからだ。

 いつだって、絶えることなく注がれるその想いが、俺を支えてくれる。

 唯一無二だと信じられるものを、彼女は変わらず、迷いなく与え続けてくれる。


 だからこそ、彼女と語らえなくても、外の世界に出られなくても、

 俺はただ、“封印するためだけの存在”として、ここに在り続けることができる。


「そろそろ時間だ。俺がこうして表に出ていたことは、レイには伝えないでくれ」


「……うむ」


「ありがとう。今の俺と……まあ、レイのことは任せなくても、きっと自分で何とかするだろうけど。

 短い間だったが、任せてもいいか?」


「貴様らに助けてもらった身だ。受けた恩は、最後まで返すつもりでいる」


「そっか。ありがとう」


 そう言い残して、俺はまた、深い深い闇の底へと沈んでいった。





「……あれ? 寝ぼけてたのか?」


 気がつけば、俺は上体を起こして、寝台に腰をかけていた。


「うむ。寝ぼけていたようだな」


 視線の先にはユリがいた。

 彼女は、なんとも言えない表情を浮かべている。

 それは、どんな感情なのか。俺には、うまく読み取れなかった。


「レイは……まだ眠ってるんだな」


 俺の隣で、彼女は静かに横になっていた。起きる気配はない。

 そっと手を伸ばし、その頭を優しく撫でる。


「貴様が早過ぎただけだ」


「そうかもな。俺、いつもは目覚めが遅いのに」


 ……どうして、今日はこんなに早く目が覚めたんだろう。

 まあ、いいか。

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