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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
63/75

063話

 俺の返事を聞いたダルトンは、肩をすくめながら小さく頷いた。


「私自身が案内したいところだが、あいにく今は手が離せなくてな。代わりに、信頼できる職員をつけよう」


 そう言って、近くの職員に視線を送ると、若い男性が静かに一礼して近づいてきた。


「こちらの者に案内を任せる。屋敷はすぐに見られるよう、鍵も手配してある」


「わかった。案内、頼む」


 俺がそう言うと、職員は「かしこまりました」と簡潔に返し、先導するようにギルドの玄関へと向かった。そして、外に繋がる扉に手をかけた。


 そこで、ふと思った。ダルトンは恐らく、今回の冒険者認定試験や出来事とは関係なく、最初から俺たちをこの街に定住させるつもりだったのだと。

 だって、おかしいだろ。すでに屋敷が見られるように手配されていたことも、鍵が準備されていたことも。

 もとよりその気でなければ、つじつまが合わない。


 だが、あえて指摘はしなかった。する必要もなかったし、彼の思惑に乗ったところで、俺たちが何か損をするとも思えなかったからだ。


 職員に案内され、俺たちは街を歩いていった。やがて道は郊外へと伸び、ほどなくして、大きな屋敷が姿を現した。


 その屋敷は、高い石壁と分厚い木の門に囲まれていた。外壁は灰色がかった石材で築かれ、日差しを受けるたびに硬質な輝きを放つ。いくつもの窓と複数の煙突が、かつての富と存在感を物語っていた。


 門の前で立ち止まり、しばし屋敷を見上げた。


 高い石壁と重厚な門構え。その風格は、どう見てもただの空き家には見えない。

 むしろ、今もどこかの貴族が住んでいてもおかしくないほど、立派すぎる造りだった。


 建物の雰囲気もそうだが、門や庭の手入れまで行き届いている。

 管理に人の手が入っている以上、単なる空き物件とは考えにくい。

 加えて、ダルトンの性格を思い返してみると、やはり違和感が拭えなかった。


 彼は必要以上に飾らず、言動も実直で、まさに現場の人間といった印象だった。

 昨日も今日も、身につけているものは簡素で実用的。見せびらかすような装飾品もなく、振る舞いも控えめだった。


 そんな男が、この屋敷の持ち主だというのは、どうにも釣り合っていない。


 これほどの建物を、ダルトンがなぜ所有しているのか。

 ギルドの人間に、こんな貴族めいた屋敷が渡っているのは、少し引っかかる話だった。


 屋敷の前で一息ついたところで、俺は案内を務める職員に声をかけた。


「ちょっと、聞いてもいいか」


「はい。何でしょうか」


 職員は立ち止まり、俺の方を振り返る。


「この屋敷、もともとは誰のものなんだ?」


 職員の表情が、わずかに固まる。


「それは……あくまで私の知る限りですが、以前は地方の貴族が所有していた物件です。ただ、その一族が数年前に領地を手放し、街からも引き払いました」


「じゃあ、今はダルトンの所有ってことか?」


「はい。買い取りはギルド経由で行われましたが、正式な所有権はギルドマスター個人のものとなっています」


 なるほど。筋は通っている。だが、貴族の土地をギルドが買い取り、それを個人に引き渡すという流れが、少しだけひっかかる。


 この街のギルド、思っていたよりもずっと大きな影響力を持っているのかもしれない。


 門がきぃ、と軋んだ音を立てて開く。

 職員が手馴れた動きで鍵を外し、俺たちを振り返った。


「どうぞ、中へ」


 促されるまま、一歩、また一歩と敷地内へ足を踏み入れる。

 内側には、小ぢんまりとした石畳の中庭が広がっていた。

 両脇には低木が整然と植えられ、中央には装飾のない小さな噴水が据えられている。


 敷地は屋敷本体のわりに余裕があり、開放感がある。

 壁沿いには物置と思しき小屋が建ち、裏手には畑に転用できそうな土地もあった。


「庭は元々、薬草の栽培に使われていたと聞いています。噴水も水源は生きておりますので、簡単な整備で再利用可能かと」


 職員が実務的な口調で説明を加える。


「なるほど。かなり整ってるな……」


 俺がそう呟くと、レイは噴水に近づいて水の澄み具合を確かめていた。

 ユリはというと、石畳の隙間の草をじっと見つめている。


「我は……ああ、これは良い土だな。踏み固められておらぬ」


 職員が微かに目を丸くする。


「ご興味が、おありで?」


「む、あくまで居住の適性として見ただけだ」


 すました顔で返すユリの横で、レイがさらりと一言添える。


「私たちは、意外とこういう環境を気にしますので」


 その言い方に、職員が小さく頷いた。表情には、僅かな緊張が残っていた。


 庭をひと巡りしたあと、職員が玄関の扉へと向き直った。


「中もご覧になりますか?」


「頼む」


 俺が答えると、職員は無言で扉の鍵を開ける。古びた音と共に、重たい木扉がゆっくりと開いた。


 中は、思ったよりも暗かった。だが、湿気や埃の臭いはほとんどない。

 踏み込むと、わずかに床板が軋む音がする。だが、それも古さというより、造りの重みを感じさせるものだった。


 広めの玄関ホール。右手には応接にも使えそうな居間、左手には階段と廊下が続いていた。

 内装は簡素だが、柱や梁には良質な木材が使われており、ところどころに細かな彫刻が施されている。


「この屋敷は、街の木工職人たちが何代にもわたって手を加えてきたと聞いております。構造自体は古いのですが、定期的に修繕が入っているため、使用に問題はございません」


 職員の言葉を聞きながら、ユリが廊下を一瞥する。


「ふむ、天井も高く、音の響きも悪くない。我は気に入った」


「私は風呂場の場所を教えてください」


 レイは食い気味に問いかける。


「……こちらです。地下に浴室がございます。ご案内いたします」


 職員が少しだけたじろぎながらも、手元の鍵束をひとつ手に取り、廊下の奥へと歩き出す。


 それに続きながら、俺は小さく息を吐いた。

 まだ、住むと決めたわけじゃない。

 ……なのに、ふたりとも、もう完全にその気で動いているようにしか見えない。


 屋敷の奥にある扉を職員が開けると、ひんやりとした空気が流れ込んできた。

 その奥には、石造りの階段が下へと続いている。


「地下は換気口が通っておりますので、湿気は溜まりにくくなっております。足元にお気をつけて」


 職員の言葉に従い、俺たちは階段をゆっくりと降りていった。

 照明代わりの魔道灯が壁に数箇所取り付けられていて、淡い光が足元を照らしている。


 石壁に囲まれた通路を抜けると、扉がひとつ現れる。

 職員が鍵を回して開けたその先には、想像していた以上に広い空間が待っていた。


 床も壁も磨かれた石材で整えられ、部屋の中央には人ひとりが余裕で寝転がれそうなほどの浴槽が据えられている。

 端には洗い場が設けられ、湯の供給源と思しき蛇口のような装置と、魔術刻印が組み込まれた操作盤が並んでいた。


「浴槽は地下の温水脈を利用したものです。常に一定の温度が保たれる設計になっております」


 職員が説明を続ける横で、レイが静かに一歩踏み出す。


「……予想以上ですね。これは、かなり良いです」


 レイの声は珍しく少しだけ弾んでいた。

 ユリは浴槽の縁を指先でなぞりながら、感心したように呟く。


「この温度なら、入浴に適していよう。浄化の印も刻まれているな。水質にも問題はない」


「いや、詳しいな……」


 俺が思わず漏らすと、ユリは胸を張るようにして答える。


「我も千年は生きておる。風呂の一つや二つ、心得ておるぞ」


 真顔で言うのはやめてほしい。


 一通り浴室の様子を見終えたところで、職員が控えめに口を開いた。


「ご希望であれば、このまま仮契約という形で抑えることも可能です。詳細は帰り際に書面でご案内できます」


「いや、今日はここまででいい」


 俺は軽く手を上げて、言葉を遮った。


「お二人とも満足そうですが、ご購入は……見送りということでしょうか?」


「見送りっていうか……そもそも、金がないんだよ。今すぐどうこうできる話じゃない」


 レイとユリが、わずかにこちらを振り返る。


 レイは無表情のまま、静かに確認してきた。


「ですが、手持ちで足りる可能性はあります。確認しますか?」


「いや、レイ。それって、もう買う流れになってるだろ」


「……いけませんか?」


「ダメとは言ってない。でも、流されるのが早すぎるんだよ」


 ユリはふんと鼻を鳴らした。


「我は、住めるところであれば即断即決でもよいと思っているが。後で考えれば済む話であろう」


「それが一番危ない。せっかく住むんだから、もっと冷静になって考えたい」


 ため息をついた俺に、職員が控えめな笑みを浮かべた。


「では本日はこれにて。ご検討いただけるよう、鍵の複製をお渡しすることも可能です」


「いや、預かると本気で流されそうだからやめとく」


 案内を終えた職員に礼を伝え、俺たちは屋敷をあとにした。


 まだ何も決めていない。けれど、この場所を見てしまったことで、少しだけ気持ちが揺れたのは確かだった。

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