061話
二振りの剣をゆっくりと鞘に収めた。
刃が鳴る音が、静まり返った森の空気に、かすかな余韻を残す。
「ありがとう」
俺は感謝を告げる。その言葉は血の匂いと肉の熱気に満ちた空間に落ちた。風が吹いて、草が微かに揺れると、匂いや熱気と共に言葉も流された気がした。
「この程度の敵でしたら、造作もありません」
レイは静かにそう言った。言葉も表情も、いつもと変わらない。
「神を相手取ったことすらある我らが、いくら数が多かろうと、ゴブリンなどに引けを取るはずもない」
ユリは自信たっぷりに、胸を張ってそう言った。ほんの少し、得意げな笑みすら浮かべていた。
……たしかに、彼女の言うとおりだ。
神と口論になったこともあるし、今回の相手は正直、あの時よりずっと楽だったかもしれない。
だけど、人が死んだ直後に「楽だった」なんて思ってる自分に、どこか後ろめたさを感じた。
そのときだった。
足元の土が、かすかに震えた。
最初は風かと思ったが、違った。地を蹴る、複数の足音。
草を裂く音や、枝葉の揺れが重なり、その中に馬蹄の音が混じっていた。
顔を上げると、森の奥から人影が現れた。
灰色の外套に簡素な胴鎧。胸元に見覚えのある紋章。それはギルドの装備だった。
先頭を走っていた男が、俺たちを見てぴたりと動きを止めた。
何かを言いかけた口が、そのまま閉じられる。
視線が、ゆっくりと俺たちの背後へ向けられる。
折り重なるゴブリンの死骸。血に染まった土。
生々しい匂いがまだ空気の中に残っている。
そして、その中央に、俺たち三人が立っていた。
「……なんだ、これは……」
誰にともなく呟いたその声は、かすれていた。
「お前たちだけで……? 本当に……全てか……?」
信じられないという色が、はっきりと声に滲んでいた。
俺は何も言わなかった。
代わりに、レイが一歩前に出て答える。
「はい。敵の反応はありません。すべて終わりました」
男は目を見開いたまま、ゆっくりとこちらへ歩を進める。後ろにいた者たちも足を止め、誰もが言葉を失っていた。
あたりには、戦いのあとの沈黙が戻っていた。
「ふむ……遅すぎるな」
ユリが、ほんの少し不満そうに呟いた。
「試験官の報告を受けて、本部から救援の指示が出た。急いだつもりだったが……」
男はそこで言葉を切る。その目に浮かんでいたのは、驚きというより……戸惑いに近かった。
「今回の冒険者認定試験、どうなるんだ?」
俺の口から思わずそう問いが漏れた。
この無数の死体よりも、受けたはずの試験がどう扱われるのかが気になった。
「悪いが、それは俺にもわからない。それに……この数だ。下手をすれば、災害と同じ扱いになるかもしれん」
はっきりとした答えは返ってこなかった。
緊急事態なのは見てわかる。試験の判定どころじゃない、というのも理解はできる。
でも、それよりも、男の言葉が引っかかった。
災害と同じ扱い。
竜の次は、数え切れないほどのゴブリンか。この街の周辺、いったい何が起きているんだ?
そういえば、竜も確か……もともとは、魔物のスタンピードの兆候があるかないかって話だったはずだ。
「それより、生きているなら、街に戻ってギルドマスターと話してくれ」
「ギルドマスター?」
聞き慣れない肩書きに、思わず聞き返した。その役職に、俺はまったく心当たりがない。
「あー……行けばわかる。ギルドに着いたら、受付でギルドマスターを呼べばいい」
男はそう言って、軽く肩をすくめた。あまり詳しく説明するつもりはなさそうだった。
「……わかった。じゃあ、俺たちは帰るよ」
返事をしてから、俺はレイとユリに視線を送る。二人が静かに頷いたのを確認した。
もう、この場所に未練はない。というより、元から何も感じていない。森から抜けるのに、戸惑う理由はなかった。
「身体を洗いたいですね」
街の輪郭が見えてきたあたりで、レイがぽつりと呟いた。
「うむ……宿では布で拭くしかないからな」
ユリも、その事実には少し不満そうな様子だった。
これまでの旅では、川に立ち寄って体を洗うこともあった。
けれど、宿での生活に慣れてきたせいか、水を浴びる機会は減ってしまっていた。
「……俺たち、旅をしてた方が合ってるのかもな」
思わず、そんなことを口にしていた。
俺たちは人間のはずなのに、人の暮らしに馴染めていない気がする。
……いや。不老で、変わった力を持っていて、それでいて歳も取らない俺たちが、本当に“人”として扱われるべきかどうか。その方が、よほど怪しいかもしれない。
「街に戻ったら、受付の人に聞いてみましょう。何か良い手段があるかもしれません」
「そうだな。我もそれが良いと思う」
気がつけば、レイとユリの間で、帰ってからの俺たちの行動が決まっていた。
街の輪郭が見えてきたとき、ほっと息が漏れた。
門の近くには、旅人や商人が列を作っていたが、血の匂いをまとったままの俺たちに誰も近づこうとはしなかった。
衛兵に簡単な確認だけされて、そのまま街の中へ入る。
風景は変わらない。最近よく見る石畳、よく嗅ぐ匂い、慣れてきた湿気。
それでも、不思議と少しだけ、街が遠く感じた。
俺たちは会話もなく、まっすぐギルドへ向かった。
レイは黙ったまま前を歩き、ユリは気怠そうな表情をしている。
既に日が暮れかけているし、それなりに戦いに時間が掛かったが、俺の身体は疲れを感じさせなかった。
ほどなくして、ギルドの建物が見えてきた。
通りのざわめきの中でも、その重厚な扉と堅牢な造りは、ひときわ目を引いた。
だが、近づくにつれて空気の違いに気づく。
いつもなら騒々しいはずの建物の周囲が、どこかぴりついていた。
扉を押し開けると、中はざわめいてはいたものの、賑やかさとは違う。
声の調子が硬い。怒鳴り声ではなく、指示と報告の応酬。
木の床を踏みしめる音も、焦りを帯びている。
カウンターの向こうでは職員たちが慌ただしく動いていた。
その中に見覚えのある女性職員を見つけると、俺たちはまっすぐ受付に向かった。
俺たちの姿に気づいた彼女が、わずかに目を見開く。
「お疲れさまです。……ご無事だったのですね」
その一言で、ギルドにはすでに情報が届いていることが分かった。
戦闘の詳細までは知らされていないとしても、ただ事ではない事態として認識されている。
「ああ。ギルドマスターに会わせてくれ。そう言えば通してもらえるって聞いた」
俺の言葉に、彼女は一瞬だけ逡巡するように目を伏せたが、すぐに真顔に戻る。
「……かしこまりました。少々お待ちください。確認いたします」
軽く一礼し、彼女は奥へと姿を消していった。
受付の前で立ち止まりながら、ふと周囲に視線を巡らせる。
いくつもの目線がこちらを向いているのを感じた。敵意ではない。ただ、緊張と、探るような空気。
ギルドの中は、昨日とはまるで違っていた。
訓練場へ向かう者、受付で指示を仰ぐ者、資料を持って駆けていく職員たち。
誰もが急ぎ、誰もが何かに追われているようだった。
「無事だったのか」
俺たちの前に姿を表したのは、ギルドの管理者であるダルトンだった。




