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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
56/75

056話

「ん……」


 いつの間にか、眠っていたらしい。寝台の上には、意識を手放す前に確かにいたはずのレイの姿がなかった。

 俺の手を握っていたはずの彼女の姿を探して、身を起こす。

 視線を巡らせると、宿の部屋に置かれた丸机の周囲、二脚の椅子と、その傍らで、女子会……のようなものが、静かに開かれているのが目に入った。


 そこには、ユリとスレス、そしてレイの姿もあった。三人は何やら楽しげに言葉を交わしているようだった。

 その輪の中に入っていく気にはなれず、俺はそっと寝台へと身を戻した。


 目を閉じても、彼女たちの笑い声がうっすらと耳に届いた。内容まではわからなかったれど、どこか安心する響きだった。

 俺だけが取り残されたような気もしたけれど、それは寂しさからではない。

 身近な人たちが笑っている。その空間のすぐそばにいられることが、ただ心地よかった。その輪の中に入らなくても、十分だった。


 俺はそのまま、もう一度ゆっくりと意識を手放した。





「旦那様、お目覚めですか?」


 再び目を開けた視界に、レイの双眸がふわりと映り込む。

 その瞳は、柔らかく微笑んでいた。

 あまりに優しくて、ただそのまなざしに包まれているだけで、もう一度、静かに眠りへと戻ってしまってもいいと思えた。


「旦那様、お寝坊さんはやめてください」


 けれど、それは彼女にたしなめられてしまった。そのたしなめられた事実すら温かく感じられた。


「……おはよう」


 俺は、そっと彼女に手を伸ばす。

 すると、その手を迎えるように、彼女は自らの頬を、俺の手のひらへと柔く擦り寄せた。


「おはようございます」


 俺の挨拶を聞いて、彼女はとても嬉しそうに微笑みを返してくれた。

 こんな何気ない朝を、彼女がどれほど待ち望んでいたのかは、今のその表情を見れば痛いほど理解できる。


 ……できる限り、愛してやらなきゃな。


 俺は身体を起こして、彼女の隣に座った。


「さっき、起きてましたよね?」


 レイは、少しだけ可笑しそうに、面白いものでも見るような目で言った。


「……一瞬だけな」


 あの短い間でも、レイはしっかり気づいていたらしい。

 こっちは見てなかった気がするんだが……まあ、レイだから驚きはない。


「話しかけてくださってもよかったのに」


「さすがに無理だろ」


 女同士の会話に男が首を突っ込むのは、さすがにどうかと思った。


「旦那様、別に女性が苦手というわけではないですよね?」


「……おかげさまでな」


 俺は肩をすくめて見せた。

 これだけレイに構われていて、今さら女性が苦手になることはない。


「俺とレイの出会いって、どんなだったんだ?」


 唐突に、そんなことを口にしていた。

 目覚めたばかりの頃よりも、今の俺たちのほうが、ずっと距離が近づいていたから。

 気になっていたくせに聞かずにいたことを、つい、勝手に問いかけてしまった。


「旦那様が、私を助けてくださったのですよ」


「そうなんだ」


 前にも、彼女は同じことを口にしていた気がする。

 聞いたくせに、それ以上を深く知ろうという気には、やはりなれなかった。


 だからその話を掘り下げる代わりに、俺はふと部屋の中へと視線を巡らせた。


「……あれ? ユリとスレスがいないな」


 そのときになってようやく気づいた。

 色を持たない吸血鬼と赤髪の女。彼女たちの姿が、部屋のどこにも見えなかった。


「外に出かけられましたよ。スレスが“強くなりたい”と仰るので、私が勉強してきた書物をお貸ししたのです。

 けれど、読んでいるだけでは意味がないと……それで、ユリと実戦に出かけられました」


「追われてたんじゃないのか?」


 スレスは暗黒神の復活を志す集団に追われている。外に出ることすら、危険だと思っていた。


 ……そういえば、その集団には名前はあるのだろうか?


「そうですね。ですから、顔は隠してあります」


「……変装って手があったか」


 顔が見えなければ、基本的に身元は割れないか。


「外は、夜じゃないのか?」


 部屋のカーテンは閉め切られていて、外の様子まではわからない。

 けれど、カーテンの端から差し込むはずの光が見えないことを考えると、すでに日が傾いているのは確かだろう。


「夜ですね。ユリの瞳が、爛々としていました」


「まあ、吸血鬼だからなぁ」


 昼間も普通に歩ける彼女だが、良くも悪くも所詮は吸血鬼だ。

 種族として夜を好む傾向は、やはり変わらないらしい。


 俺は再び、寝台に身を投げた。


「お寝坊さんですね」


 くすくすと、レイが笑う。


「寝るのは嫌いじゃない。特に、誰かがそばにいてくれるのは好きだよ」


 人のぬくもりを感じられる空間で、ただ怠惰に眠るのが好きだ。

 そんな、当たり障りのない平和な時間が、俺は好きだ。


 だから実のところ、旅の野宿もそれほど嫌いじゃない。

 もちろん、宿のほうが心も体もずっと休まるけれど……それでも、誰かがそばにいてくれるだけで、その気配を感じるだけで、心は柔く安らぐ。


「旦那様の、そういうところが、私は好きですよ」


「……そっか」


 どんな“ところ”なのか、たずねてみたくなった。

 けれど、それはやめた。


 静かに、ゆっくりと瞼を閉じた。

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