表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
55/75

055話 Feat.ユリ

 声のする方へ視線を向けると、いつの間にか、レイが我の手が届くほどの距離にまで歩み寄っていた。


「シンはどうした?」


 近頃の彼女は、異様なほど彼に甘えたがっている。その彼を置いてここまで来たとは思えなかったが、彼女の周囲に視線をやっても彼の姿はない。


「眠ってしまいました」


「……そうか。それで、手持ち無沙汰になったというわけか」


「はい、そうです」


 そのまま隣で眠ってしまえば良いものを。そう思わないでもなかったが、口には出さずにおいた。


「して、“ある程度なら”とは、どの程度を指しておる?」


 我は意識的に話題を戻し、再びスレスの件に焦点を当てた。レイは確かに、ある程度は強くなれると語っていた。


「それは、その人次第です。ただ、人間は武器を扱うことができますし、学びを積み、訓練を重ねれば、それなりに戦えるようにはなれます」


 レイの口調には、誇張も侮蔑もなかった。ただ淡々と、静かに事実を述べていた。感情を交えぬその声音には、彼女なりの誠実さが宿っている。


「訓練の方法……」


「教えて差しあげることもできますが、私の教え方は少々厳しいかもしれません。そのため、まずは書物を通じて基礎を学ばれるのが良いかと存じます」


「……そんな書物、あるのか?」


 強くなるための本など本当に存在するのかと、思わず疑念が浮かぶ。もしそんなものがあるのなら、誰しもが既に手に取っているはずだと、どこかでそう思っていた。


「これと、これと、それから……これもですね」


 そう言いながら、レイはどこからともなく数冊の本を取り出し、我とスレスの間に置かれた机の上へと丁寧に並べていった。


「……す、すごい……」


 スレスは目を丸くしていた。その反応も無理はない。並べられた書物は、いずれも厚みがあり、重厚な装丁が施されている。革表紙には金や銀の箔押しが施され、いずれも長い年月を経てきたことが一目で分かる書物だった。


「もし、よろしければ。読んでみてください」


 レイの声音は穏やかで、押しつけがましさは一切なかった。ただ相手の選択を尊重し、そっと差し出すような、静かな気遣いがあった。


「……はい。ありがとうございます」


 スレスは戸惑いを滲ませながらも、小さくうなずいた。そして、まるで壊れ物に触れるかのように、そっと一冊の本へと手を伸ばした。その仕草には、ほんの僅かな期待が入り混じっていた。


 そして、頁をめくった。


「……読めません」


 スレスが困ったように呟いたので、我もその本へと視線を移した。


「……我も読めぬな」


 そしてようやく気づいた。これは、我にとっては珍しい話ではない。だが、シンやレイと会話を交わせていたからといって、彼らが用いる言語が理解できているわけではなかったのだ。


 会話には“言霊”が宿る。ゆえに、言霊を自在に操ることができる者は、文化や言語圏を越えて意思疎通が可能となる。つまり、言葉の「意味」は共有できる。


 だが、書物は別だ。文字には音がない。つまり言霊が宿らない。読めぬ文字は理解できない。


 もちろん、ごく稀に“言霊”を帯びた文字というものも存在する。だが、それらは特別な技法で刻まれたものであり、日常に流通するようなものではない。


「あぁ、そうですよね。……この"自動翻訳機"を使ってみてください」


 さらにレイが差し出してきたのは、我には馴染みのない道具であった。

 遥か昔、我の故郷を訪れた商人が身に着けていたのを、一度だけ見たことがある。

 目が悪い者が視力を矯正するために使うのだと、彼は話していた。


 視力を矯正したところで、読めぬ文字が読めるようになるとは思えぬが……。


 我の疑念をよそに、スレスはレイに促されるまま、その"自動翻訳機"をおそるおそる身につけた。


「……い、意味がわかります……!」


 スレスは、まるで魔法でも見たかのように目を見開き、驚きと戸惑いが入り混じった声を上げた。


 彼女の手が、机の上に広げられた一冊の本に再び伸びる。震える指先で頁をめくり、その目は食い入るように文字を追っていた。


「……ちゃんと、読める。意味が……頭に入ってきます……」


 ぽつり、ぽつりと漏れる言葉の一つひとつが、驚きと感動に満ちていた。


「不思議な道具だな。言霊の加護でも宿しているのか?」


 我は、スレスの掛けている奇妙な細工を覗き込んだ。透き通る双の硝子面には、微かに魔紋が浮かび、側面を縁取る金属の装飾には、繊細な術式の線が幾重にも刻まれていた。


「いいえ。これは、人が積み重ねてきた技術の結晶です」


 そう静かに答えたレイの声音には、どこか強い思い入れが滲んでいた。


「ですから、本当に強くなりたいと願うのなら、この道具をお貸しします。ただし、できる限り丁寧に扱ってくださいね」


 そうして彼女の唇に浮かんだのは、仄かで控えめな微笑だった。

 それはいつもの柔らかな笑顔でもなく、愛しい彼に向ける甘やかな表情でもなかった。

 それでも、不自然さは一切なかった。ただ、どこかに距離を置きつつも、確かに何かを伝えようとする強い意志が、そこに宿っていた。


「は、はい……!!」


 スレスは勢いよく頷いた。我と語らっていた時の、自信なさげな影は、その表情からすでに消えかけていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小説家になろう 勝手にランキング

ブクマ・ポイント評価お願いしまします!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ