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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
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054話 Feat.ユリ

「ユリ様は、なぜ助けてくださったのですか?」


 スレスは、何の前触れもなくぽつりとそう呟いた。

 その声音には、心の底からの疑問がにじんでいた。

 彼女を保護すること自体が、一般的な感覚であれば、煙たがられる行為そのものであろう。自らの境遇や、そこに関わることの危うさを理解しているがゆえに、我らの行動が解せないのかもしれない。

 そう考えるのは自然なことだろう。我もそうだったからな。


「……そこで女とイチャついていた男の受け売りだがな。

 貴様を助けたところで、我らが不幸になる確証などない。

 にもかかわらず、目の前の不幸を見て見ぬふりをするのは、何か違う……らしいぞ」


 皮肉混じりにシンの言葉をなぞりながら、我は助けてしまった理由を静かに告げた。

 確かに、無用な危険は避けたいと思っている。だが、我もまた、そうして救われた身だ。

 受け取った恩を、自分だけのものにして終えるなど、そんな不義理はプライドが許さない。


「……そう、ですか」


 スレスは眉を寄せて、納得しかねる様子で呟いた。その表情はどこか曇っていたが、無理もあるまい。我とて、最初から腑に落ちたわけではなかったのだから。


「そもそも、我としては、救ってやったつもりなどないがな」


「……え?」


「匿ってはやったが、貴様の境遇が好転したわけではあるまい。これでは助けたとは言えぬ」


 ただ宿の一室に置いて、食を与えただけ。見ようによっては、それは生かしているだけであって、主体的な救いとは呼べぬ。

 むしろ、飼われているだけの状態と、何が違うのか。


 だからこそ、拾った以上は、その先の生き方を共に考える責任がある。


「貴様は、これからどう生きていきたい?」


「……どうやって……ですか……」


 我の問いに、スレスはふたたび眉を寄せた。その表情は思案というよりも、戸惑いを孕んだ、影のある沈黙だった。


「貴様はこれまで、何かを“楽しい”と思ったことは無いのか?」


「……無い、ですね」


「……そうか」


 予想していた答えだった。だが、実際に口にされたその言葉は、思っていた以上に重く響いた。


 楽しいという感情を知らぬ者に、「どう生きたいか」と問うこと自体が、酷な話なのかもしれない。楽しさを知ってこそ、欲望は生まれ、自分なりの未来を思い描くことができるからだ。


 それは、王が民を率いる上で、強き国を築く上で、最も意識せねばならぬことだ。


 我がこの理を知っているということは、すなわち、我も王族としての教育をきちんと受けていたということなのだろう。

 吸血鬼の中で異端とされ、疎まれていたと思っていたが……案外、思っていたほどには嫌われていなかったのかもしれんな。


「……幸せになりたいか?」


 だから、我はそう問いかけた。


 生きる理由とは、必ずしも“幸せになるため”とは限らぬ。

 だが、我にとっては"今、幸せであること"。それ以上の理由を持たぬのだ。


 概念としては理解している。人は、正義のために、復讐のために、誰かのために、生きるという。

 だが我には、それがない。ただ、今が幸せであれば、それでよい。幸福を感じられるならば、それでよい


 長く生きてきたというのに、その程度の理由しか持たぬ我も“薄く”生を過ごしてきたのだろうな。


「……なりたいです。幸せが何かは、わかりませんけど」


 だが、スレスは上手くない笑みを浮かべて、そう答えた。

 その意思があるというだけで、我には彼女を救える気がした。


 “救ってやる”などと、我ながら傲慢な言葉かもしれぬ。だが、拾ってしまった以上は、掬い上げてやるところまでが責任だ。

 中途半端な情など、他人の不幸を延命させるだけだからな。


 幸せになろうとしない者を、幸せにすることはできぬ。

 だから、彼女が“なりたい”と言ったことは、何よりも大切なことなのだ。


「であれば、人目を気にせず、外を歩けた方が良かろうな」


 自らを否定されるかもしれぬという怯えを抱えたまま街を歩くのは、幸福から遠ざかる第一歩だ。

 ならば、まずはその足枷を外してやらねばなるまい。


「……そんなこと、できるようになるんでしょうか」


 弱々しく問うその声には、半ば諦めが混ざっていた。


「言われても気にならぬ程度には、なれるであろうな」


 我もかつて、街を歩けば、やっかみの視線を浴びるのが常であった。

 だが、それらに煩わされぬほどの力があれば、気に病む必要などない。

 誰に否定されようと、己を見失わぬ意志があれば、それだけで前を向くことはできる。


「……でも、そんな強さ、私にも持てるでしょうか」


 目を伏せたスレスの声には、怯えと憧れが混ざっていた。否定ではない。ただ、それは自分にはあまりに遠く、届かないもののように感じているようだった。


「できる、とは言えんな」


 我は最初から強かった。故に、弱き者の感情など、本質的には理解できぬ。


「ある程度なら、強くなれますよ」


 静かな声が、視界の外から届いた。レイの声であった。

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