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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
51/75

051話

「そちらのソファに腰を掛けてくれ」


 応接室に通された俺たちは、ベルトンと向かい合うようにして腰を下ろした。レイは長い黒髪が前に垂れないよう、自然な仕草で背中に流す。対してユリは、髪を整えることもせず、無関心を装ったまま静かに座っていた。


 部屋にはまだ微かな緊張が漂っている。ベルトンは軽く肩を揺らし、小さく息を吐くと、再びこちらに視線を向けた。


「ひとつ、聞かせてほしい」


 落ち着いた声の奥に、探るような鋭さと確かな関心が覗く。


「竜の頭部だけを所持しているわけではないだろう?」


 予想通りの問いだった。こちらとしても隠す必要はない。


「ああ。他にもある。鱗に爪、骨の一部もな」


「やはりな」


 ベルトンは納得したように小さく頷いた。


「頭部だけでも相当な代物だった。他の素材も相応の質だと見て間違いないだろう」


 彼の目に宿る光は、欲望ではない。職分としての、誠実な興味だ。


「可能であれば、それらも見せてほしい。正式な取引には、全体の査定が不可欠だ」


「ああ、構わない」


 俺が頷くと、ベルトンは背後に控えていた女性に穏やかに指示を出した。


「第一班には既に依頼してあるが、追加の査定対象があると伝えてくれ。鱗、爪、骨も加えるように」


「かしこまりました」


 女性は静かな足取りで部屋を出ていった。


 しばしの静寂のあと、廊下の向こうから複数の足音が近づいてくる。やがて扉が開き、鑑定班の一団が再び姿を現した。先ほどと同じ制服をまとい、木箱と金属の台車を押しながら、慎重に進んでくる。


 その中心に立つのは、白髪交じりの初老の男。革張りの手帳を胸に抱え、ベルトンに黙礼する。その落ち着いた立ち居振る舞いから、この班の責任者であることが自然と伝わってくる。


「追加の素材を提示いただけるそうだ」


 ベルトンの一言に、男は静かに頷き、手帳を開いた。脇に控える補佐役の青年も、淀みない動作で筆記の準備を整える。


 俺はレイに視線を送り、軽く合図した。


 彼女は左腕の輪に指を添え、淡く光が滲む。空間が緩やかに揺らぎ、その中から静かに素材が姿を現す。


 最初に現れたのは、深緑とも紺ともつかぬ鱗の束。一枚一枚が手のひらほどの大きさで、角度によっては刃のように鋭く光を返していた。


 次に現れたのは、黒光りする脊椎の一節。表面にはかすかな赤い筋が走り、ただの骨とは思えぬ妖気を宿している。


 そして最後に現れたのは、長く湾曲した鋭い爪。大人の前腕ほどもあるその形状には、明らかな殺傷性がにじんでいた。


「……これは……」


 初老の鑑定士が思わず漏らした息に、場が静まる。補佐の青年も筆を止め、驚きに固まっていた。


「焼損の痕跡はなく、血痕の付着も最小限……解体の手際が尋常ではない」


 鱗を光にかざしていた鑑定士が、感嘆を押し殺すように呟いた。


「切断面の処理……これは……」


 その先を言葉にできず、困惑と敬意の入り混じった表情が顔に浮かんでいる。


 ベルトンが一歩前に出て、素材の並ぶ台に視線を落とした。


「これも、君たち自身の手によるものか?」


「ああ。自分たちで解体して、持ち帰った」


 簡潔に答える。実際にはレイとユリの働きによるものだが、今はそれを明かす必要もない。


 ベルトンは素材のひとつひとつを改めて見つめ、ゆっくりと頷いた。


「これほど精緻に処理された竜の素材は、私も見たことがない。真贋を疑う余地もない……本物だ。それも、並外れた技術で保存されている」


 空気が変わった。評価が、明確に一段階上へと切り替わったのがわかる。


 ベルトンの目が再び俺たちを捉える。そこには信頼と、静かな期待が宿っていた。


「査定の確定には多少の時間を要する。それまでに、取引の形式についてご相談したい」


 言葉を選ぶように、だが明快に彼は続ける。


「これほどの素材を一度限りで手放すのは惜しい。もし今後も継続的に提供いただけるなら、我々としても相応の対応をする用意がある」


「たとえば?」


 俺の問いに、ベルトンは端的に答えた。


「単発の売却ではなく、定期的な取引を望む。その場合、素材の優先買取権を我々が得る代わりに、街での信用保証、資金支援、素材管理や流通の後方支援をお約束する」


「かなり好条件だが、そこまでして俺たちと組みたい理由は?」


 俺の問いに、ベルトンは薄く笑みを浮かべた。


「単純な話だ。あなた方のような実力者が素性を隠して動けば、いずれ他の勢力が動き出す。ならば、その前に信頼関係を築いておきたいというだけです」


 そこで少し言葉を切り、慎重に続けた。


「加えて、もし望まれるなら、素材の名義は伏せたままの取引も可能です。商会の保護下という扱いにすれば、外部の詮索も最小限に抑えられます」


「名義の保護が受けられるのであれば、悪くない。我らが表に出ず、素材のみで商会と繋がる。それならば妥当であろう」


 俺よりも先に、ユリが口を開いた。それまでの無関心を装った様子とは打って変わり、明確な評価の言葉だった。


 ベルトンはその意見に頷き、穏やかに同意を示す。


「あくまで対等な契約です。条件は文書で明示し、納得いくまで調整しましょう」


 俺はユリ、そしてレイの顔を確認し、小さく息をついて応じた。


「わかった。その方向で進めてくれ」


 ベルトンの口元に、静かな安堵の微笑みが浮かんだ。



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