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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
49/75

049話

 俺たちは、書棚が並ぶ、無駄なく整えられた重厚な執務室を後にした。


「グラン、ひとつ教えてほしい」


「どうした?」


「この街で金を手に入れるには、何をすればいい?」


 今の俺たちは、彼らの厚意で宿こそ用意してもらったが、セルマギルムで生活していく手段は何ひとつ持っていない。


「あー……アッシュ。何か良い手立てはあるか?」


 グランは困ったように眉を寄せ、参謀役のアッシュに視線を向けた。


「俺たちは、ギルドに素材を買い取ってもらってるからなあ……」


 アッシュも腕を組み、少し悩んだような声を漏らす。どうやら、すぐには思い当たる手がないらしい。


「……あ」


 だが、しばらくして、思いついたように声を上げた。


「この街には“セレアス商会”っていう、大きな商会があるんだ。

 そこなら、いろいろと交渉できるかもしれない」


 セレアス商会、か。


「……行く宛もないし、行ってみるか」


「気をつけろよ。あいつら商人は儲け話には敏感だが、ちょろまかすのも一流だからな」


 アッシュはどこか含みのある口調で言った。何か嫌な経験でもあるのだろう。


「場所はどこにある?」


「外に出たら、方向だけ教えてやるよ。大通り沿いだから、行けばすぐわかる」


「助かる。この街のことは、まだ何も知らないからな」


 そう言いながら、俺たちは冒険者ギルドの建物を後にした。

 扉を開けると、内部のざわめきが、外の喧騒にあっという間にかき消される。

 いつの間にか朝は過ぎ、陽は高く昇っていた。

 街道沿いには露店が立ち並び、人々の声や笑いが賑やかに響いていた。


「この通りをまっすぐ行って、噴水広場が見えたら右手。そこから坂を少し下れば、セレアス商会の看板が見えてくるはずだ」


 グランが手をかざして、簡潔に道順を示してくれる。


「白い壁に青い旗が目印だ。初めてでも見逃さねえよ」


 アッシュが補足しながら、軽く肩をすくめた。


「了解した。ありがとう」


 俺たちは二人に礼を告げ、教えられた道を進み出す。


 大通りは朝の名残を残しつつ、すでに昼の喧騒へと切り替わっていた。石畳の両脇には、色鮮やかな布を張った露店が立ち並び、果物や香辛料、見慣れない工芸品が所狭しと並んでいる。


 香ばしいパンの香り、果物を切る音、売り子たちの威勢のいい掛け声。それらが混じり合って、街の鼓動となって響いていた。


「人が多いな……」


 俺がぽつりとこぼすと、隣を歩くユリが、そっと服の裾をつまむ。


「昨日も思ったが、相変わらず賑やかだな」


 ユリは小さく頷き、ふと足を止めて、屋台の向こうを見やった。


「……甘い匂い」


 ぽつりと漏らした声はどこかぼんやりしていて、それが逆に彼女の興味を物語っていた。目元はわずかに緩み、どこか懐かしいものを思い出しているようにも見える。


 その少し先、レイが立ち止まり、通りの先を指差す。


「あれが噴水広場のようですね」


 白い石で整えられた広場。その中央には水を噴き上げる彫像が立ち、何を象ったものかは分からないが、優美な印象を漂わせていた。


 俺たちは広場を右へ折れ、ゆるやかな坂を下る。

 やがて視界の先に、白壁の大きな建物が姿を現した。正面には風に揺れる青い旗。その中心には流麗な筆致で描かれた「セレアス」の文字。


「……あれが、セレアス商会か」


 自然と足を止め、その建物を見上げた。荘厳さと洗練が調和した外観だった。


 三階建ての建物で、正面には石造りの階段と、真鍮の取っ手が付いた両開きの重厚な扉。その上には清掃の行き届いた硝子窓が並び、陽光を静かに反射していた。


 扉の脇には軽装の衛兵らしき男が二人。威圧的ではないが、入館者を静かに見極める視線を放っている。


 壁面には細かな彫刻が施され、入口上の石板には、青の染料で「セレアス商会」の名が記されていた。青い旗も、ただの目印ではなく、格式と誇りの象徴のように見える。


 建物の出入りは多い。商人風の男たちや帳簿を抱えた使用人たちが、慌ただしくも整然と動いている。その動線には無駄がなく、秩序が保たれていた。


 飾り立てた建物ではない。だが、確かな金と手間がかけられているのが伝わってくる。それがこの商会の信頼と実力を物語っていた。


 俺はひとつ息を吐き、正面の扉を見据える。


「さて……どう出迎えてくれるか、だな」


 俺は意を決して、セレアス商会の重厚な扉へと歩を進めた。レイとユリも黙って後に続く。


 扉の前に立つと、左右に控えていた衛兵がちらりと俺たちを見やる。だが、武器を抜くことも、呼び止めることもない。ただ、その鋭い視線が「無意味な真似はするな」と語っているようだった。


 ゆっくりと、真鍮の取っ手に手をかける。滑らかで、冷たくて、見た目以上に重い。だが、重厚なその扉は、軋むこともなく静かに開いた。


 中に入ると、涼やかな空気とほのかな香が肌を撫でた。木と石で丁寧に造られた床と壁、装飾を控えめにあしらった天井の梁、そして空間の中心には、白い大理石のカウンターが据えられている。


 そのカウンターの奥には、一人の若い女性が立っていた。控えめな服装だが、襟元や袖口には品のある刺繍が施されている。化粧も香りも控えめで、ただ一目で「教育されている」とわかるような佇まいだった。


「いらっしゃいませ。セレアス商会へようこそ」


 女性は、声を張り上げることなく、しかし澄んだ声で俺たちを迎えた。丁寧な一礼も、自然な所作だった。


「少し、商会の方と話がしたくて来た」


 そう伝えると、彼女は瞬きもせずに頷く。


「どのようなご用件でしょうか?」


「品物の売却と、今後の取引の相談をしたい。急ぎではないが、正式な対応をしてくれる人がいれば助かる」


 言葉を選びながらそう返すと、女性は微笑みを保ったまま、手元の帳面に視線を落とす。


「少々お待ちくださいませ。現在、商談室はひとつ空いております。責任者に確認を取ってまいりますので、そのままロビーでお待ちいただけますか?」


「ああ、わかった。ありがとう」


 案内されたソファの一角に腰を下ろすと、柔らかな座面が身体を受け止めた。木の温もりを残す床と、差し込む陽光。落ち着いた空間のなかで、緊張は自然と和らいでいく。


 レイは無言のまま傍らに立ち、ユリも無い胸を張っていた。無駄に緊張しているのは、俺だけみたいだな。


 しばしの沈黙のあと、俺は静かに息をついた。


 まだ何も始まっていない。

 だが、この商会とのやり取りが、俺たちの旅の新たな足がかりとなる。

 そんな淡い期待を、心のどこかで抱いていた。


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