048話
ダルトンが息を呑む音が聞こえた。
先ほどまでまったく信じていなかったのだから、その反応も無理はない。
彼はわずかに目を細め、竜の頭を一瞥したのち、そのままじっと見据えていた。……が、やがて、ゆっくりと口を開く。
「これを、貴殿らが倒したのか?」
誰が倒したのか──そう問う意図が、言外ににじんでいた。
「ああ、そうだ」
三人で討伐したことにしておいた。
その瞬間、グランとアッシュの顔色が目に見えて曇った。
彼らは知っている。実際にこの竜を倒したのは、レイただ一人だということを。
つまり今の俺の言葉が、事実とは異なることを、彼らは明確に理解しているのだろう。
「どうした?」
ダルトンは手を挙げたグランに視線を向けた。
「竜の討伐は、そこのレイという女性が単独で行いました」
「……なんだと?」
その言葉を受け、ダルトンの表情に明確な変化が浮かぶ。
疑念だ。それが、俺に向けられたことは一目でわかった。
「どうかしたのか?」
再び投げかけられた訝し気な視線。俺はその意味を理解した上でとぼけてやった。
その傍らで、レイは竜の頭をアイテムボックスに戻した。
「なぜ、すぐにわかる嘘を吐いた?」
「レイは、俺にとって大切な存在だ。
そんな彼女を、お前みたいに最初から疑いの目で見る人間に、素直に紹介したいと思えるか?」
今までのやり取りで感じていた不満が、自然と口をついて出た。
いや、そもそも初めからそのつもりだった。
わかりやすい嘘をつけば、彼らのどちらかが訂正するとわかっていたし、もし誰も訂正しなければ、その時点でレイの実力を教えるつもりはなかった。
訂正されれば、それはそれでいい。
自然な流れで、俺はダルトンに不満をぶつける口実を得ることができる。
これは試金石だ。この一件に対して、彼がどう返すのか。それ次第で、今後この男と、そしてこの組織とどう付き合っていくべきかを判断しなければならない。
「気分を悪くしたなら謝る。申し訳ない」
そう言って、ダルトンはあっさりと頭を下げてきた。頑固で尊大な性格だとばかり思っていた俺にとって、その素直な態度は意外だった。
言い訳のひとつでも返ってくると思っていたが、返ってきたのは意外なほど素直な謝罪。拍子抜けするしかなかった。
「再確認だが、そこの彼女が竜を倒したというのは、事実で間違いないな?」
「……ああ」
一瞬だけ、それを認めるべきか迷った。だが、もはや隠し通せる状況ではない。素直に認めるしかなかった。
「竜種を、たった一人で討伐したか。まるで、古の勇者のようだな」
ダルトンは、言葉を噛み締めるように静かに呟いた。
「その勇者とやらは知らない。そんなに有名なのか?」
「貴殿が知らないことのほうが驚きだ。
二千年前、“暗黒神”と呼ばれた存在がいた。世界を無に還そうとした、すべての災厄の源とも言われる神だ。そいつを討った人物が、その“勇者”だ」
暗黒神。ついさっき匿ったスレスが言っていた存在だな。
「その暗黒神ってのは、そんなに危険な存在なのか?」
「文献上では、とても人と共存できるような存在ではないな」
「その文献とやら、どこで読むことができる?」
「興味があるのか?
その文献なら、この建物にも写本があるはずだ。組織に所属する冒険者なら、誰でも読むことができるようになっている」
「冒険者なら、か」
ここまでの会話で気が付いた。
ダルトンとのやり取りが、俺たちの組織への勧誘に繋がっていることに。食えない相手だが……話に乗ってやるか。
「冒険者になるには、何をすればいい?」
「まずは、冒険者認定試験を受ける必要がある。
試験に合格すれば、“ランクカード”と呼ばれる、世界のほぼどこでも通用する身分証が発行される」
今の俺たちには、身分を証明する手段がない。それを補えるのなら、冒険者になる価値はありそうだ。
「冒険者になると、何ができる?」
「我々、冒険者ギルドに寄せられる依頼を受けられるようになる。
多くの者は、それを生業として生きている」
「……逆に、デメリットは?」
「既にグランから聞いているかもしれないが、災害などの有事の際には、その国を手伝う義務が発生する。つまり、逃げる自由はない」
「ふむ……なるほどな」
だが、それは大した不利益には思えなかった。
非常時に手を貸すのは当然のこと。むしろ、対価をもらって支援できるのなら、悪くない条件だ。
「もし可能なら、俺たちもその認定試験とやらを受けたい。どうすればいい?」
レイとユリの表情をそっと確認しながら、俺はさらに踏み込んで訊ねる。ダルトンはわずかに顎を引いて、静かに考える素振りを見せた。
「明日の午前なら、枠を確保できる」
「そんなに早く受けられるのか?」
「ああ。もともと試験は定期的に開催されている。
すぐにでも受けられるよう準備しておくのも、我々の役目だからな」
言いながら、ダルトンは机の端から一枚の用紙を取り出し、さらさらと何かを書き込んでいく。その手際に迷いはなく、本気でこちらを受け入れるつもりだということが伝わってきた。
「必要な手続きはこちらで済ませておこう」
彼は手を止めずに、更に言葉を続けた。
「明朝、六の鐘の音が鳴る頃に、ギルド裏手の訓練場へ来い。そこが試験会場だ。
内容は日によって異なるが、君たちの実力なら何の問題もないだろう」
ダルトンはそこでようやく筆を止め、手元の用紙を一枚取り上げた。
それはおそらく、試験に関する登録書だろう。彼はそれを丁寧に革のフォルダに挟み、机の脇へそっと置いた。
「わかった」
そう答えると、俺はほんの少し姿勢を正し、ダルトンに向き直る。レイとユリも無言で頷き、それぞれ静かに立ち位置を整えた。
「他に、何か聞きたいことはあるか?」
「いや。特にはないな」
少し思案したが、今の時点で知っておくべきことは、すでに十分に得られていた。
「そうか。改めてになるが、ご足労、感謝する」
ダルトンはわずかに頷き、落ち着いた声音で礼を述べた。形式的な言葉ながら、その言い方には確かな誠意がこもっているように感じた。
「こちらこそ。有意義な時間だった。ありがとう」
俺も一歩踏み出しながら、率直に感謝を返す。レイとユリもそれに続いて、小さく一礼した。
「グラン、アッシュ。彼らを外まで送ってやれ」
こうして俺たちは、書棚が並んだ、無駄なく整えられた重厚な執務室を後にした。




