047話
室内は広くはなかったが、無駄なく整えられ、使い込まれた家具には静かな重厚さが漂っていた。それなりの格式と品格を保っている。
壁際には書棚がずらりと並び、分厚い帳簿や革装丁の文書が隙間なく収められている。木製の机の上には、束ねられた書類とインク壺、油の染み込んだ筆記具が整然と並べられていた。
賑わいや人の気配こそ薄いものの、その場にある物たちからは、確かに人の営みと文明の気配が伝わってきた。
その机の奥、革張りの椅子に腰かけていたのは、白髪混じりの初老の男性だった。
短く整えられた髪に白が混じり、眉間には深い皺が刻まれている。年輪を感じさせる静かな威厳を漂わせつつ、相手の本質を見極めるような眼差しを向けてくる男だった。
目が合った瞬間、何かを見透かされたような感覚が走った。だがそこに敵意はない。ただ黙然と、こちらの内奥を測ろうとする視線があった。
軽い気持ちで接するべき相手ではない──そう直感させるには、十分な存在感だった。
「グラン、アッシュ、ご苦労だった」
男は椅子に座ったまま、短くそう告げた。グランは小さく頷いて脇へ下がり、アッシュも肩を軽くすくめながらその隣に立つ。その一連の動作だけで、彼らにとって目上の存在であることが伝わってきた。
ふたりの後退を確認した男は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、机の前まで歩み出る。革靴の底が床板を踏みしめる、乾いた音だけが室内に静かに響いた。
「君が……“シン”だな?」
落ち着いた声音だった。問いかけというより、確認するような口調。俺は頷いて応じる。レイとユリも軽く頭を下げた。
「私はこの街の冒険者ギルドを預かる者、ダルトン・ロウグレイだ」
名乗る声もまた淡々としていたが、その底には、長年多くの人間と相対してきた者の重みと風格が滲んでいた。
こういう人物とは、できれば日常的に関わりたくない。このように真正面から向き合うだけで、じわりと神経が磨り減る。
おそらく、気軽に隣人付き合いができる相手ではないだろう。いや、隣人にはなりたくない。
「まずは……ご足労、感謝する」
彼は軽く会釈をしてから続けた。
「ここに来てもらったのは、他でもない。貴殿たちが討伐したとされる“黒の竜”についてだ」
訝しげな視線とともに、本題を切り出してくる。
──グランが言っていた。「竜を倒したなんて、どうせ信じてもらえない」と。
その言葉を思い出すまでもなく、この男の目を見れば理解できた。すでに報告を受けているはずの内容を、彼はまるで信じていない。そんな感情が露骨ににじみ出ている相手に、こちらも友好的に接しようとは思えなかった。
……だが、面倒事に発展させたいとも思わない。
「何が……聞きたいんだ?」
俺の中には、言葉を発するのに、わずかな躊躇いがあった。誰にとっても得にならないような会話に、意味があるとは思えない。それでも、自分たちの身を守るためには、応じるしかなかった。
レイやユリと会話をしているときは、少しばかり心が温かくなる。だが、彼に言葉を発すると、心の温度が一段下がったように感じた。
「本当に竜を討伐したのか、できたのか、その証明をしてほしい」
彼は言った。そこには静かながらも明確な疑念が込められていた。
なるほど、単なる報告では信じるに足らず、自らの目で確認しなければ納得しないというわけか。無理もない。常識からすれば、俺たちのような少数で竜を倒したなど、到底信じがたい話だろう。
「何をもって証明とする?」
この男はなかなか性格が悪い。
こちらが実際に竜を討ったとしても、自分の目で確認できなければ信じないというなら、身一つでここへ来た俺たちに証拠を提示しろというのは、あまりに不誠実だろう。
幸いにもレイの”アイテムボックス”には、あの竜の頭がそのまま入っている。見せろと言われれば、できなくはない。だが、それを淡々と突きつけてやるのは気が進まなかった。
「倒した竜の一部を、見せてくれないか」
言葉そのものは穏やかだったが、疑念は拭われていない。こちらが何を示そうと、なお疑いの目を向け続けることも容易に想像できた。
俺が返答に迷っていると、隣でレイが一歩前へと出る。視線を交わすまでもなく、彼女は俺の気持ちを察していた。それでも、彼女は無言で小さく頷いた。
彼女は左手に装着された金属製の輪っかに手を触れると、宝石が淡く光り、何もない空間に静かな模様が浮かび上がった。
「……なんだ、それは?」
ダルトンが低く呟き、模様を注視する。
グランとアッシュも、一歩踏み出すようにして視線を向けていた。訝しむというより、興味と警戒が入り混じった目だった。
これが、レイの“アイテムボックス”。
中に何がどれだけ入っているのかは、すべて視覚的に把握できるようになっている。
浮かぶ模様は収納システムの一覧で、それぞれの枠に、収めた物品の情報が記録されている。
そしてもう一つ。
頻繁に使うものは、あらかじめ“登録”しておけば、操作なしで即座に取り出せる。
いわば、魔法の棚と、呼び出し用のショートカットが合わさったような道具。扱うには集中力と魔力の制御が要るらしいが、レイはそれをまるで呼吸のようにやってのける。
レイは静かに手を動かす。
浮かび上がる四角のひとつに、彼女の指先がそっと触れる。
その瞬間、光が脈打つように広がり、空間が波打つ。歪んだ空気の中から、漆黒の塊が姿を現した。
黒き竜の頭部だった。
巨大な双角、鋭い牙、硬質な鱗の質感。殺意すら宿したその威容が、室内の空気を一変させた。




