046話
宿の玄関扉を開けると、ちょうどその前でグランとアッシュが待っていた。
まだ朝の空気が残る街路には、石畳をかすかに濡らす露の匂いが漂っていた。
「おはよう、旦那」
先に声をかけてきたのはアッシュだった。昨日と同じ、どこか飄々とした雰囲気だが、その瞳は周囲に常に注意を払っているようにも見える。
「アッシュも来てたのか。待たせて悪いな」
「いや、そんなに待ってないから気にするな」
グランはそう言って、少し首を傾けるように俺を見た。
「少し顔色が悪いな。部屋で話したときはわからなかったが……寝不足か?」
「まあ……似たようなもんだな」
レイのことは言わない。誰にどう言われようと、あれは俺たちの時間だ。
たとえ冗談でも、口にするべきことではない。
「それじゃあ、向かおうか。ギルドの連中が朝の報告をまとめてる時間だ。今なら、上の者にも話が通りやすい」
アッシュが静かに言い、俺たちは歩き始めた。俺たちを呼びに来たはいいが、決まり切った時間を取っているわけではないようだ。
宿屋の通りを抜け、大通りに出ると、すでに街は活動を始めていた。
荷馬車の車輪が石畳を軋ませ、行き交う人々の声があちこちから響いてくる。
昨日までは、見慣れない風景だったはずのこの街並みに、不思議と馴染みのようなものを感じていた。
俺の隣を歩くグランは、無駄に話しかけてくることもなく、ただ前を見据えて進んでいく。
一方のアッシュは、街の小さな変化を指差して、時折軽口を交えてくる。
「この通り、昔はもっと狭かったんだけどな。……ああ、今の“昔”ってのは、十年くらい前の話だ」
ふと、俺の記憶に何かが引っかかる。
だが、形にはならなかった。ただ、言葉の奥に“懐かしさ”という名の、得体の知れない棘がある。
「そうか。変わっていくんだな、街も、人も」
「もちろん、変わらないものもあるけどな。貴族の汚職とかな」
アッシュは皮肉をたっぷり詰め込んでから、明るい好青年のような笑みを浮かべた。
「アッシュ、ブラックジョークが過ぎる。反応に困ってるじゃないか」
俺がなんて返すべきか悩んでいると、グランが彼を窘めた。
良かったよ。その話題がブラックジョーク過ぎると感じられる文化があって。
最近はそういうのが当たり前なのかと、勘違いしてしまいそうになった。
やがて、石造りの大きな建物が見えてきた。
中央の円形広場に面して、頑丈な柱と高い屋根が構えられたその建物。人の出入りも多く、活気にあふれている。
「……あれが、昨日言っていた冒険者ギルドか?」
「ああ。実は正式名称はもっと長ったらしいから、冒険者のみんな“ギルド”って呼んでる」
グランの口調は淡々としていたが、彼の視線にはわずかな誇りが宿っていた。
「入る前に言っておくが、ここでは俺たちが話を通す。話して良い場面になったら、合図を出すから、そこで色々と語ってくれたらいい」
「了解。任せるよ」
俺は小さく頷き、建物へと歩を進めた。
レイとユリも、言葉を交わすことなく、静かに俺の背を追ってくる。
グランが建物の扉を押し開けた瞬間、熱気とざわめきが一気に押し寄せてきた。
中は広く、天井が高い。そのせいか、人の多さのわりには息苦しさは感じなかった。
正面には立派な受付カウンターが設けられ、数人の職員が慣れた手つきで書類を捌いている。
その奥には階段があり、上階へと続いていた。壁沿いには掲示板があり、様々な依頼書や注意喚起の札がびっしりと貼られている。内容までは見えないが、件数の多さだけでもこの組織の活気が感じられた。
木と石で作られた床を、分厚いブーツが踏み鳴らす音が交差する。
言葉が飛び交い、笑い声が響く。どれも馴染みのない声なのに、なぜか懐かしいような響きに聞こえた。
「……すごい、ですね」
俺の背後から、思わずレイの小さな声が漏れる。
「……うむ、久方ぶりの賑やかだ」
その驚嘆に続けるように、ユリは噛み締めるように言った。
「こっちだ。案内する」
そう言って、グランが前を歩き始める。
広いホールを横切るようにして、受付の左手側にある扉の前で足を止めた。
扉には「関係者以外立ち入り禁止」と刻まれた鉄板が打ち付けられている。
その前に立っていた係員が、グランに気づいて軽く会釈を返した。
「通してくれ」
「はい。どうぞ」
簡単な確認だけで、扉はあっさりと開けられた。
中からは、少しだけ空気の重みが変わったように感じた。
俺たちは一列になって、その扉の向こうへと足を踏み入れた。その先は通路となっていて、中は細長く、薄暗い。人の気配はほとんどなく、静寂が支配していた。
"立入禁止"と書かれた鉄板の通りで、あまりこの廊下を人が通ることはないのだろう。
「ここだ」
やがて、廊下の先にあったひとつの扉に、グランは手を掛けた。アッシュはそれを見て、少しばかり緊張したような面持ちをしていた。
それなのにも関わらず、俺たちに何か説明するでもなく、グランはあっさりとその扉を開けてしまった。
扉の先に居たのは、白髪混じりの初老の男性であった。




