041話 Feat.ユリ
我は部屋の窓から、宿を抜け出した。理由は簡単で、彼らが良い雰囲気だったからだ。
外に出ると、空は既に日が暮れていて、我が生きるべき世界が顔を出していた。
行く宛てもなく、我は宿屋根の上に寝転がった。
短い旅の中でも、レイの想いがどれほど深く、強いものかは分かっていた。けれど彼女は、自らの感情に蓋をして、それを丁寧に押し隠していた。だから、自身の想いを真に口にしないと我は考えていた。
だから、なし崩し的ではあるが、彼らに恩がある我としては、あんな風に愛されたいと彼女が自ら口にできたことは、見ているだけで胸の奥が温かくなる。
彼女が持つ感情は、とても美しくて、宝石にも等しいと思えるが、何故だか我は羨ましいとは思わなかった。当然ながら妬ましいとも思えなかった。
夜風が頬を撫で、我の鼻腔を擽った。
「へぷちっ」
思わず出たくしゃみに、自分で驚いた。情けない。
宿の屋根から見える、セルマギルムと呼ばれる辺境の都市は、我が住んでいた地下都市とは違い、色の付いた街灯で夜道が照らされていた。だが、その街灯を頼りに歩く人影はほとんど無かった。
何のために街灯があるのだろうか?
大多数の住民が使わぬのならば、こんな風に夜道を照らす必要があるのだろうか?
吸血鬼の我には、街灯という文化は理解できないものだった。街灯という言葉や意味は知っているが、作る理屈や作られた理由は知らぬ。
……暇だな。
部屋に戻るには少し早すぎるが、一人では時間を持て余す。
少し街の探索でもしてみるか。
我は宿の屋根に立ち上がった。そして、深紅のドレスを軽く叩き、屋根伝いに街中を移動することにした。
トンっ、と軽く屋根を叩く音が鳴った。そんなに激しい動きをしているつもりは無かったから、音が鳴ったことが想定外であった。
そこから、そろりそろりと、誰も起こさぬように、物音を立てずに移動するように心掛けた。
そうやって屋根上を歩いていると、街灯の下を歩く女が目に留まった。男たちは何度か見かけたが、女は初めてだった。
なぜか気になって、我はその女を追い掛けてみることにした。興味本位だ。どうせ暇だからな。
その女の衣服はやや乱れており、夜中にもかかわらず、夜道でよく見かけた男たちが携帯している武器すらも、一切持っていなかった。
すると、少し遠くの方から声がした。
「居たぞっ! 捕らえろっ!!」
その声を聞いて、女はその場を振り返ってから走り出した。
ふむ、追われているのか。事情は知らぬが、見ていて心地の良い光景ではないな。むしろ、少しばかり目に毒だ。
……どれ、少しだけ手を貸してやろう。
その女が屋根の下を通ったその瞬間、我は彼女の首根っこを掴み、屋根上へと引き上げた。
彼女の追手はそれに気が付かずに、走って通り過ぎてしまった。曲がり角であったし、暗がりで視界も悪かったから仕方ないだろう。
「……えっ!?」
「静かにしていろ」
思わず強く言ってしまった。追手に見つかるのは避けたかった。シンやレイに迷惑をかけるのはご免だ。
我は彼女の頭を伏せさせて、気配が遠ざかるのを待つ。やがて気配が消えたのを確認して女に問う。
「何故、追われていたのだ?」
「……生贄にされそうになって」
「生贄か、穏やかではないな」
生贄も用いて行使する術が存在するのは、我も知るところではあるが、生贄にされた側からすればたまったものではない。
「何のために、そんなことを?」
「術を使おうとした人たちによると、神を降臨させるため……とか」
降神術か。
そう呼ばれる技術系統には、その中に生贄を用いる儀式が存在するのは知っている。……が、応じる神の質は決してまともではない。
神にも我に片手間で倒される存在もいれば、我を封印する事ができる存在もいる。人と同様に千差万別だ。
「あ、あの……匿ってくれませんか……!!」
女は小さな声ながらも、必死さを感じさせる声で頭を下げてきた。その声淵は震えていて、夜風に溶けていった。
「ううむ……」
我自身が、そもそもシンとレイに頼る立場なのだ。同行させて貰っている身なのだ。
そんな彼らに、この女も匿ってくれと言うのは、あまりに厚かましいお願いだろう。
だがこの女を置いて行けば、間違いなく囚われるだろう。
「……わかった。主君らに聞いてみることにする」
主君とはシンとレイのことだ。
彼女の前では、しっかりと我の上の者として扱うことにした。間違っても無礼を働いてもらっては困る。何が誤ったとしても、彼らはきっと怒ることすらしないだろうが、我が怒りに任せて、彼女を殺してしまうかもしれん。
「あ、ありがとうございますっ!!」
女は泣きそうな顔で我の顔を見て、それから凄い勢いで頭を下げた。まだ、匿ってやれるかも決まっていないのに大袈裟だ。
「我の名はユリ、貴様の名は?」
「私はスレスと言います」
「そうか。では、宿に戻るからついてこい」
我はスレスと共に、彼女の足に合わせながら、ゆっくりと屋根を伝って宿に帰った。
そろりと抜け出した窓の外から、二階からぶら下がる形でノックすると、中から鍵が開けられて、我を迎えたのはシンだった。
普段着ている黒のコートは身につけておらず、少し汗だくなのを見ると、それなりに激しく色々したらしい。
「おかえり」
そんな中で、シンは快く我を迎えてくれた。
「うむ、ただいま。シンとレイに見せたい物があるのだが……」
我はレイの気配がする方に視線を向ける。彼女は既に布団の中に隠れてしまっていた。どうやら既に意識は無く、深い眠りについているようだ。
「お察しの通りだよ。俺が見て決めてもいいか?」
「我は構わない。屋根の上に来られるか?」
「ああ、わかった」
シンは我ほど身軽ではなかったから、既に外にいる我が、超強引に彼を外の世界に引っ張り出した。
宿の屋根に立つと同時に、彼はスレスを見て目を細めた。
「ユリが見せたかったのは彼女か」
「うむ。夜街を散歩していたら、おわれているのを見てしまってな」
「なるほどな、それでつい助けてしまったと。俺に何をして欲しいんだ?」
「このまま放っても、恐らく捕まって終わるだろう。匿ってやることはできぬだろうか?」
「匿う……か」
シンは顔に手をやって、思案顔を作っていた。
「レイが眠ってるのは痛いな」
「そうだな。この手の問題は、シンよりもレイが適切だと我も思う」
レイの方が、彼よりも決断力や経験がある。何より彼は記憶の大半が抜け落ちているからな。
「……匿ってやってもいい。
その代わり、君のことをすべて話してくれ。どこで生まれ、なぜここにいるのか、とかな」
彼の言葉にスレスは一瞬だけ迷い、それから、決意の色を宿して語り始めた。




