040話
「……いい部屋だな」
アッシュが用意してくれた部屋には、ベッドが三つ並び、全体に清潔感が漂っていた。
宿としては、申し分ないどころか、もったいないほどだ。
「そうですね。埃も、ほとんど見当たりません」
「うむ。王族である我から見ても、かなり丁寧に手入れされているように感じる」
ユリは感心したように、室内をぐるりと見渡していた。
俺も一応“王”だったらしいが、その記憶は曖昧なままだ。だから彼女の評価に、深く頷くことはできなかった。
「……レイ、ちょっと座りたいから、離れてくれないか?」
室内には、二つの椅子と小さな丸テーブルが置かれていた。
今日一日よく歩いたし、旅を始めてからというもの、腰を落ち着けてゆっくりする時間なんてほとんどなかった。野宿でもゆっくりはできるが、所詮は野営でしかない。
「……」
俺の腕に抱きついたままのレイが、黙って見上げてくる。
無言なのに、その視線からははっきりと不満が滲み出ていた。どうやら、離れろと言われたのが不満だったらしい。
「……わかった。じゃあ、このままで」
彼女がくっついているからといって、座れないわけじゃない。
少々座りにくいのは確かだったが、無理ではない。椅子はさすがに狭いので、隣の寝台に腰を下ろす。
程よい柔らかさが、服越しにじんわりと伝わってきた。
「……苦しくないか?」
レイの身体は、俺の腕に引かれて妙な体勢になっている。まるで軟体動物のように、ぐにゃりと曲がっていた。
「少しは、気を遣ってくださっても良いのでは?」
「どうすればよかった?」
できれば気を利かせたい。でも、どうすればいいのかがわからない。
「……甘やかしてください」
「たとえば?」
「……考えてください」
「……むぅ」
レイの心が思った以上に読めない。
何を求めているのか、どこまで応じていいのか、その加減がわからない。
ふと視線を横に向ける。そういえば、この部屋にはもう一人いた。
ユリがいたことをすっかり忘れていた。
助けを求めるように彼女を見やると、ユリは肩を揺らし、笑いを堪えているようだった。
「何が可笑しい?」
「くくっ……まるで子供のようではないか」
「……誰が?」
「二人とも、だ」
レイはともかく、俺まで子供っぽく見えるのか。
一番幼い外見をしているのはユリのはずなのに、彼女にそう言われてしまえば、もう反論もできなかった。
「俺は違う、とでも言いたげだな?」
ユリが、まるで俺の胸の内を見透かしたように言う。
冷や汗が背を伝った。
「……そうなのですか?」
レイが、先ほどとは打って変わった表情で俺を見上げてくる。唇をわずかに尖らせ、不満げに。
「い、いや、そんなことはない」
思わず慌てて否定した。
レイのことを子供っぽいと思っていた、なんて知られたら、本気で怒られるかもしれない。いや、呆れられるかもしれない。
「私は……自分が子供っぽいことをしてしまった自覚はあります。ですから、ユリにそう評されるのは納得します」
その言葉は、先ほどまでの行動に反して、どこか冷静で理知的に聞こえた。
けれどその直後、レイは俺の胸元を押し、寝台の上へと押し倒した。
「……ただ、少しだけ悲しいですね。旦那様のお好きに甘やかしてくださって構いません。その代わり……愛を感じたいのです」
体を起こそうとしたが、レイの力は思いのほか強かった。
もし無理に振り払えば、それは彼女の求めを拒絶することになる。そこまでして否定する気にはなれなかった。
「……我は外に出てくる。好きに楽しんでくれ」
ユリは気を利かせてくれたのか、窓から静かに外へと姿を消した。
「気を遣わせたな」
「ユリだったら、気を遣ってくださるのはわかっていたので」
ユリが幼いのは外見だけだからな。空気を読んで何処かに消えるくらいはする。そこに驚きはない。
「レイが知ってる俺じゃないのに、それでもいいのか?」
「私が知ってる貴方なので、特に問題はありません」
俺は今の俺だとか、昔の俺だとかを気にするつもりはない。好意を向けられたら、それに見合った愛を返すのは当然のことだから。
レイが問題ないのなら、俺だって沢山の愛情を彼女に与えよう。少なくとも彼女には、それを受け取るだけの権利があるのだから。
俺は彼女の力が抜けたのを見計らって、彼女の体を下敷きにして押さえ付けた。
「……さすがですね」
長い黒髪が、まるで染み出した墨のように寝台に広がった。
「レイがどう思ってるか知らなかったからさ。だから、ここまでの行動はしてこなかった」
彼女の身体には、大き過ぎない胸の膨らみ、程よいクビレに槍を振り回すだけの筋肉が同居している。
異性としてはとても魅力的だ。
「……どうなっても知らないぞ?」
「好きにしてください」
酷いことはされないと知っての答えは、少しばかり狡いとすら思った。
だから俺は、彼女の肢体に指を落とした。




