036話
レイの姿が、黒竜の巨体を縫うように駆けていく。
一見すると優雅にすら見えるその動きは、しかしすべてが鋭く、正確だった。跳躍一つにも無駄はなく、回避の一歩にも計算が宿る。それはただの美しさではない、確かな“論理”と経験に裏打ちされた戦術だった。
黒竜の尾が唸りを上げて振るわれる。だが、レイはわずかに重心をずらすだけでそれを躱し、すぐさま足元へと潜り込んでいく。
槍が突き上げられた。狙いは鱗と鱗の隙間。先ほどと同じ部位へ、今度はさらに深く、ためらいなく突き込まれる。あっさりと突き刺さった。
竜が咆哮した。空気が震え、耳の奥を刺すような音圧が押し寄せるが、レイは一切動じていなかった。
「……冷静だな」
俺がそう呟くと、隣にいたユリが頷いた。
「……うむ、さすがだ」
レイの戦いには感情がほとんど感じられない。ただ粛々と、与えられた任務を遂行するような動きだ。激情や奮い立つような闘志ではなく、終始落ち着いていて、淡々としている。だからこそ、見ている者に圧倒的な実力を印象付ける。
「いける……あれなら、いけるな」
グランもまた、どこか安心したように小さく漏らす。彼の目にも、確かな希望が宿っていた。
黒竜が翼を広げ、飛翔しようとした。地を蹴り上げ、逃げ場を得ようとする。
だが、レイはその動きを読んでいた。木々を蹴ってさらに高く跳躍し、竜の右肩、翼の付け根へ槍を振り下ろす。
金属が砕けるような音と共に、翼が裂けた。
黒竜は空を諦め、地面へと墜ちていく。大地が揺れ、土煙があがった。
レイはその衝撃に一切惑わされることなく、すでに首元へと回り込んでいた。
「無駄な動きがない」
「美しい立ち回りだな」
俺とユリが言葉を交わす。どちらも、口に出すことで確信を得たようだった。
レイは戦い慣れている。過信せず、冷静に、常に最適解を選び続ける。誰かのために戦うというより、ただ“すべきこと”を淡々とこなしているようにさえ見えた。
黒竜の口元に光が集まり始める。魔力のうねりが空気を巻き、熱を帯びる。
ブレスだ。
「避けろ、ブレスが来るぞ!」
アッシュの叫びに、他の仲間たちは咄嗟に身を伏せた。
しかし、レイは動じない。いや、すでにその軌道からは外れていた。
口元に魔力が集まるその瞬間、彼女は竜の足元をすでに駆け抜け、背後へと回り込んでいた。
竜の首が、死角を取られたことに反応してわずかに揺れる。
そのわずかな揺れに合わせて、レイが跳躍した。
槍を両手で構え、そのまま竜の首元に突き立てる。
鱗が割れ、肉が裂け、骨が砕ける音が響く。
次の瞬間、竜の咆哮が止んだ。
その巨体が、ぐらりと揺れる。
そして、崩れるように地へと沈み、動かなくなった。
レイは静かに槍を引き抜き、一歩下がって体勢を整える。そしてこちらを振り返った。
その顔に、特別な感情の起伏は見られない。ただ、いつも通りの落ち着いた表情があるだけだった。
「……終わりました」
彼女の声を聞いた瞬間、それまで張り詰めていた空気が解けた。
グランも、アッシュも、リオも、レイナも、セランも、誰もが息をついた。全員の表情には、驚きと安堵が入り混じっていた。
「……すげぇな、本当に倒しちまった……」
グランが感嘆混じりに言う。
「レイって、なに者なんだよ……」
リオがぽつりと漏らす。
そして、ユリが胸を張って言った。
「我が推しだな」
俺はその言葉を聞いて、つい吹き出した。これまで一度として、ユリがそんな風にレイを評したことはなかった。
彼女の言葉は、レイが果敢にも倒したことを自慢したいのか、それとも、単なるその場のノリなのか、それを聞き分けることはできなかった。
笑ったから、肩の力が抜けた。
俺たちだけじゃない世界があるっていうのは、思っていたよりも心地良いのかもしれない。ユリも自慢したくなってしまうようだし、俺たち以外の反応があるのはとても新鮮だ。
これは俺たちしか存在しない旅では、味わうことの出来ない経験だろう。
「おつかれさま」
俺は戻ってきたレイに声をかけた。
「さすがレイだな」
ユリは彼女を賞賛した。
「これで、スタンピードの原因が取り除けたら良いのですが……」
「そこら辺は彼らの判断だからな」
そう言いながら、彼女の頭にそっと手を置く。黒く長い髪が、指の間を静かに流れていく。
今回は、よく働いた彼女を労う意味もあったが、それ以上に、頑張った彼女に、ただ触れたいと思ったからだった。
レイは一瞬だけ目を細め、心地よさそうな表情を浮かべる。だがすぐに、いつもの凛とした顔立ちに戻った。
だから俺も、視線をレイからグランへと移した。
「そっちの用事は、これで一区切りってことでいいのか?」
もしレイが倒した竜が原因だったのなら、彼らの依頼もこれで果たされたはずだ。
「ああ……そうだな。大方の目的は達した。あとは少しだけ周囲を確認してから、街に戻るつもりだ」
グランは少し言い淀みながらも、これからの予定を口にする。
「じゃあ、周囲を確認したら解散かな」
彼らとの短過ぎる付き合いも、そろそろ終わりを迎えそうだ。
そんなことを考えていた、そんな時だった。
「……良かったら、なんだが。お前たちも一緒に街まで来ないか?」
グランが、少し遠慮がちに、けれどはっきりとそう言った。




