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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第四章 ~「冒険者との邂逅と魅せる君」〜
36/75

036話

 レイの姿が、黒竜の巨体を縫うように駆けていく。


 一見すると優雅にすら見えるその動きは、しかしすべてが鋭く、正確だった。跳躍一つにも無駄はなく、回避の一歩にも計算が宿る。それはただの美しさではない、確かな“論理”と経験に裏打ちされた戦術だった。


 黒竜の尾が唸りを上げて振るわれる。だが、レイはわずかに重心をずらすだけでそれを躱し、すぐさま足元へと潜り込んでいく。


 槍が突き上げられた。狙いは鱗と鱗の隙間。先ほどと同じ部位へ、今度はさらに深く、ためらいなく突き込まれる。あっさりと突き刺さった。


 竜が咆哮した。空気が震え、耳の奥を刺すような音圧が押し寄せるが、レイは一切動じていなかった。


「……冷静だな」


 俺がそう呟くと、隣にいたユリが頷いた。


「……うむ、さすがだ」


 レイの戦いには感情がほとんど感じられない。ただ粛々と、与えられた任務を遂行するような動きだ。激情や奮い立つような闘志ではなく、終始落ち着いていて、淡々としている。だからこそ、見ている者に圧倒的な実力を印象付ける。


「いける……あれなら、いけるな」


 グランもまた、どこか安心したように小さく漏らす。彼の目にも、確かな希望が宿っていた。


 黒竜が翼を広げ、飛翔しようとした。地を蹴り上げ、逃げ場を得ようとする。


 だが、レイはその動きを読んでいた。木々を蹴ってさらに高く跳躍し、竜の右肩、翼の付け根へ槍を振り下ろす。


 金属が砕けるような音と共に、翼が裂けた。


 黒竜は空を諦め、地面へと墜ちていく。大地が揺れ、土煙があがった。


 レイはその衝撃に一切惑わされることなく、すでに首元へと回り込んでいた。


「無駄な動きがない」


「美しい立ち回りだな」


 俺とユリが言葉を交わす。どちらも、口に出すことで確信を得たようだった。


 レイは戦い慣れている。過信せず、冷静に、常に最適解を選び続ける。誰かのために戦うというより、ただ“すべきこと”を淡々とこなしているようにさえ見えた。


 黒竜の口元に光が集まり始める。魔力のうねりが空気を巻き、熱を帯びる。


 ブレスだ。


「避けろ、ブレスが来るぞ!」


 アッシュの叫びに、他の仲間たちは咄嗟に身を伏せた。


 しかし、レイは動じない。いや、すでにその軌道からは外れていた。


 口元に魔力が集まるその瞬間、彼女は竜の足元をすでに駆け抜け、背後へと回り込んでいた。


 竜の首が、死角を取られたことに反応してわずかに揺れる。


 そのわずかな揺れに合わせて、レイが跳躍した。


 槍を両手で構え、そのまま竜の首元に突き立てる。


 鱗が割れ、肉が裂け、骨が砕ける音が響く。


 次の瞬間、竜の咆哮が止んだ。


 その巨体が、ぐらりと揺れる。


 そして、崩れるように地へと沈み、動かなくなった。


 レイは静かに槍を引き抜き、一歩下がって体勢を整える。そしてこちらを振り返った。


 その顔に、特別な感情の起伏は見られない。ただ、いつも通りの落ち着いた表情があるだけだった。


「……終わりました」


 彼女の声を聞いた瞬間、それまで張り詰めていた空気が解けた。


 グランも、アッシュも、リオも、レイナも、セランも、誰もが息をついた。全員の表情には、驚きと安堵が入り混じっていた。


「……すげぇな、本当に倒しちまった……」


 グランが感嘆混じりに言う。


「レイって、なに者なんだよ……」


 リオがぽつりと漏らす。


 そして、ユリが胸を張って言った。


「我が推しだな」


 俺はその言葉を聞いて、つい吹き出した。これまで一度として、ユリがそんな風にレイを評したことはなかった。

 彼女の言葉は、レイが果敢にも倒したことを自慢したいのか、それとも、単なるその場のノリなのか、それを聞き分けることはできなかった。


 笑ったから、肩の力が抜けた。


 俺たちだけじゃない世界があるっていうのは、思っていたよりも心地良いのかもしれない。ユリも自慢したくなってしまうようだし、俺たち以外の反応があるのはとても新鮮だ。

 これは俺たちしか存在しない旅では、味わうことの出来ない経験だろう。


「おつかれさま」


 俺は戻ってきたレイに声をかけた。


「さすがレイだな」


 ユリは彼女を賞賛した。


「これで、スタンピードの原因が取り除けたら良いのですが……」


「そこら辺は彼らの判断だからな」


 そう言いながら、彼女の頭にそっと手を置く。黒く長い髪が、指の間を静かに流れていく。

 今回は、よく働いた彼女を労う意味もあったが、それ以上に、頑張った彼女に、ただ触れたいと思ったからだった。

 レイは一瞬だけ目を細め、心地よさそうな表情を浮かべる。だがすぐに、いつもの凛とした顔立ちに戻った。


 だから俺も、視線をレイからグランへと移した。


「そっちの用事は、これで一区切りってことでいいのか?」


 もしレイが倒した竜が原因だったのなら、彼らの依頼もこれで果たされたはずだ。


「ああ……そうだな。大方の目的は達した。あとは少しだけ周囲を確認してから、街に戻るつもりだ」


 グランは少し言い淀みながらも、これからの予定を口にする。


「じゃあ、周囲を確認したら解散かな」


 彼らとの短過ぎる付き合いも、そろそろ終わりを迎えそうだ。

 そんなことを考えていた、そんな時だった。


「……良かったら、なんだが。お前たちも一緒に街まで来ないか?」


 グランが、少し遠慮がちに、けれどはっきりとそう言った。

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