029話 Feat.ユリ
「下がってください」
外の光が見え始めた。足を踏み出そうとしたその瞬間、レイが先に前へと出た。彼女の手には、いつの間にか鋭利な槍が握られていた。
風を裂く音とともに、何かが我へと飛来する。それを、レイは槍の柄で正確に叩き落とした。
「……突然だな」
シンが冷静に呟きながら、階段の先に広がる空を見上げていた。我もそれに倣い視線を上げると、そこには、見覚えのある顔が浮かんでいた。
──我を封印した、あの神の顔だ。
「その者を置いてゆけ。さすれば、命までは取らん」
空に浮かぶ神が告げた。要するに、我をここに置いて去れというのだ。
逆に言えば、彼らは我を置いてゆけば、神々と敵対する必要は無い。
「出会って早々に攻撃してきて、随分な言い草だな。たった一人がよっぽど怖いと見える」
シンの声には皮肉が滲んでいた。だが、その瞳は真っ直ぐに空に向けられている。神は一柱ではなく、いくつもの気配が空に浮かんでいた。
「その者は神に逆らう不届き者ぞ。排除せんとして何が悪い?」
「神の事情は知り兼ねるが、過剰防衛に見えるな。神ってのは、王が民あっての存在であるのと同じく、人があってこその存在じゃないのか?」
神の言葉に対して、シンの言葉はとても理知的に聞こえた。記憶が無いと彼は言うが、自らの経験や知識を、強く形にしているようにも感じられた。
「……まあ、分かり合うつもりもないから、なんだって良いんだけどな」
そう呟いたシンが、空に向けて手を伸ばす。その瞬間、我らと神々のあいだに、あの封印を破壊した黒い渦が生じた。
空間がねじれ、鳥肌が走る。我の全身が、得体の知れぬ寒気に包まれた。やはり、何度か見ていても慣れないな。
「取りあえず、ここを抜けよう」
我とは対照的に、シンは一切動じる様子を見せなかった。レイだけは階段の外に半身を出しており、このままでは狙い撃ちにされかねない。我らは急ぎ、階段を駆け抜けた。
外に出ると、そこは開けた草原になっていた。背後には崩れた建物の残骸が影を落としている。
その刹那、黒い渦を避けるようにして、神の一柱が我らへと突撃してきた。
「あれは、私が」
レイが一歩、前へと踏み込んだ。そのまま槍を構え、突撃してきた神を正面から迎え撃つ。
神が振るった刃を、彼女は迷いなく受け止めた。鋭い金属音が空気を裂く。レイの槍が、刃をはじき返し、その反動を活かして柄の部分をすぐさま振り上げる。
次の瞬間、その硬質な槍の柄が神の顔面を正確にとらえた。
鈍い音が響く。神の身体が宙を舞い、軽々しく弾き飛ばされる。まるで無様な人形のように地面へと叩きつけられた。
「さすがだ」
シンは淡々と呟くと、彼の上空に掲げられていた手が下ろされ、同時に空中に揺らめいていた黒い渦がゆっくりと消えていく。
渦が消えたことで、我らと神々のあいだを隔てていた“視覚的な壁”は取り払われた。空に浮かぶ神々の姿が、より鮮明に見える。我の恐怖心も消えた。
「……貴様、何者だ?」
神々の中でもひと際威圧的な存在が、訝しげな声を発した。眉間に皺を寄せ、その目には警戒の色が滲んでいる。
「名乗る名はない。それより……まだ戦うか?」
シンは、地に横たわった神の姿へと視線を向けながら言った。レイの一撃を受け、草の上に転がるその身体は、意識を失っているのか、まったく動く気配がない。
「もう一度だけ告げる。そこの吸血鬼を置いてゆけ」
先ほどよりもさらに高圧的な声が響く。空から見下ろすようなその声には、苛立ちと焦燥が露わになっていた。
「……嫌だと言ったら?」
シンがわずかに顎を上げて、涼しい顔のまま問い返す。その言葉には、不遜さと共に、微かな嘲りすら込められていた。
「貴様も、その隣の女も、その怪物もろとも処理するだけだ」
神の声には、怒気と断罪の意思が宿っていた。
「さっきも見せたはずだが……"こいつ"をどうにかできるのか?
……お前、随分と調子のいいことを言うじゃないか」
皮肉を滲ませた声と共に、シンの右手に黒き渦が生まれる。
ねじれ、蠢き、視線を吸い寄せるように空間そのものを歪ませるそれは、まるで現実の理から逸脱した“何か”だった。
彼はそれを、あえて神々の方へと掲げるようにして、見せつけた。
空に並ぶ神々の視線が、一斉にその一点へと向かう。わずかに、空気がざわめいた。
「……その力は、なんだ?」
ひときわ鋭い視線の神が、低く問いかける。だがその声音には、抑えきれぬ警戒と、微かな動揺が滲んでいた。
「教えてやる義理はない」
シンは、そこで言葉を区切った。
「ただひとつ──
お前らが感じているその恐怖。そいつが、正しいってことだけは教えてやるよ」
続いたのは挑発めいた口調。だがその奥には、確かな確信と、切り捨てるような冷たさがあった。
シンの掌に生まれた黒い渦。
それは、我の目から見てもこの世界の理からは大きく逸脱していた。
ひと目見ただけで、肌が粟立ち、背中が冷たくなる。理解不能な“それ”を前にすれば、逃げ出したいという衝動が自然と湧き上がる。
神々とて、その感覚から逃れることはできぬのだろう。
「さあ、どうする?」
シンは不敵に笑った。そんな彼の様子は、我には心強かった。




