028話 Feat.ユリ
シンとレイは、我の涙が止まるまで、静かに待ってくれた。
それだけだが、だからこそ、我は彼らの事を好いてしまっていた。
内に秘める彼らの生き方、芯とも呼べるものが、それに触れられる瞬間が酷く心地よかった。
レイは涙を拭いてくれた。我はそれを受け入れた。シンは彼女の意思を尊重せずに、我のことを助けたと思っていたから、彼女の優しさを受け取るとは思っていなくて、その行動に少しだけ驚いてしまった。
「綺麗な顔をしているので、しっかり拭き取った方がいいですよ」
「レイも綺麗だと思うが……」
我ほどではないが透き通るような白い肌に、美しく長い黒い髪と、まるで深淵を思わせる黒い瞳は、彼女を綺麗だと評する以外の選択肢を潰している。
「ありがたいお言葉ですが、旦那様に愛されなければ意味が無いのです」
「まるで、他に女が居るみたいな、そういう悪意の篭もった言い方はやめてくれ」
レイの言葉に鋭く反応したのはシンだった。
やがて、玉座の間から外に出た。
その先には長く続く廊下があった。絵も彫刻も、その他の美術品も壊れることなく並べられていた。
「昔からこうだったのか?」
「うむ、変わらないな」
シンの言葉に頷いた。我の目から見ても、昔からあまり変わらない光景であった。
長い時が流れたようには思えなかった。我が封じられていた期間は、思ったよりも短かったのかもしれない。
「この絵って、誰のことを指しているのですか?」
レイは、白銀の瞳と髪。真っ直ぐな足取り。振るわれた細剣が、陽光を受けて煌めいている人を指差していた。
「それは我だ。わかっていて聞いたのか?」
「やはり、そうだったのですね」
彼女は納得した顔をしていた。
「ユリは本当に特別な吸血鬼なのですね」
「……そう、言われればそうだな」
我は自分のことを異端だと考えていたが、特別と言い換えられると、あたかもその特殊性が祝福されているかのように思えた。
「こうやって見ると、ユリが異端扱いされていたようには見えないんだよなぁ」
「そうですね。とても美しく描かれていますし」
「白い目は向けられていた。それ以外は……今考えてみたら、そうでもなかったのかもしれないな」
レイが美しいと言ってくれた絵は、嫌われ者を象徴した絵には見えなかった。この絵は当時の王が作らせたものだ。簡単にポーズだけ取らされたのは覚えている。
「……すぐ涙が出てくる」
我の頬を雫がまた伝っていた。昔に気が付けなかった事が今は気が付いてしまう。それは残酷なことだ。
酷く他人事のように感じられるのに、我の感情は自分事だと叫んでいる。
「思い出に向き合えるのが、俺にとっては羨ましい」
それはシンの声だった。言葉を聞いて、意味を理解して、我は視線を彼に向けた。
「記憶がない……から」
「ああ、そうだ。……ほんとに、それでも一緒に居てくれるレイには頭が上がらないよ」
「私は常に旦那様の味方ですから」
「ありがとう」
シンはレイの頭を撫でた。
彼も彼なりの苦悩を抱えていて、それを支え続ける彼女にも強い覚悟がある。
素直に"良いな"と思った。
理論や理屈程度では、絶対に越えられない壁を壊してきた関係性が、彼らの間にはあるのだろう。
「だから、ユリは思い出に浸れるうちに、できるだけ浸った方がいい」
彼の言葉は優しくて、それでいて心にずしりと重しが乗った気がした。
「……何故、泣いてしまうのか、我にもわからん」
自分の行動が我には理解できない。こうやって泣いたところで、現実は何も変わらないし、過去も何も変わらないことは、誰だって理解できることのはずだ。それでも涙が止まらない。
「ユリが泣き止んだら、先に行こうか」
「そうですね」
シンの言葉に、レイはゆっくりと頷いた。
「……いや、先に進もう。進ませてくれ」
だが、我はそれを拒否した。この場に居たら、いつまでも泣いていそうだった。
「いいのか?」
「一日二日くらいなら、待っても良いですよ?」
我の言葉に、彼は驚いていて、彼女は心配そうな顔をした。
「……そんなに泣いていたら、涙だって枯れてしまう」
「枯れるまで泣くって大事だと思いますよ?」
「いや、流石にそこまではやらん……つもりだ」
「私はよくありましたけどね。最近は減ったと自分で思います」
「よくあった……か」
少し話をして、気が楽になった。気が付いた時には、我の涙は止まっていた。もちろん色々と混合された感情が、自分の中に渦巻いているのは理解できる。それでも"まあいいか"と思えている自分がいた。
「先に進もうか」
シンは言った。それは一種の宣言のようでもあった。
「はい」
「うむ」
レイに続いて我も頷いた。拒否する理由がないからな。
長廊下を抜けて、上へと続く階段に足を掛けた。見知った階段で、我は戸惑うことなく上を目指して歩いた。
その先にも見慣れた都市が広がっていた。懐かしい半面、大昔の神々と争った跡が残っていた。
何も思わないわけじゃない。むしろ、荒れるに荒れた感情が、我の内で波打っているのがわかった。
だが、そんな言葉にならない感情に対して、何処か呆れてしまっている自分もいた。その感情に対して、もういいよと言っているような気がした。
だから、涙は流れなかった。
「寄りたいところはあるか?」
「無いな。むしろ我は外に出たい」
いつまでも過去に縋りたくない。逃げるための言葉ではなく、訣別の為の意思だ。
「……そうか。なら外に出よう」
シンは一瞬だけ目を細めて、それから未来を決断した。
大きな地下都市を、我はあまり眺めることなく、地上へ繋がる階段に足を伸ばした。




