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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第三章 〜「半怪半人の者と異常者な君」〜
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022話

 俺ってそんな名前だったんだな……


 シン・エルヴァディア、か。

 その名を聞いても、何か特別な感情が湧き上がることはない。そこまで思い入れも無いのだろう。自分の名前なんて、所詮はそんなものか。


 俺は目の前の十字架に視線を向けた。

 そこには一人の少女が埋まっていて、顔だけを外から見ることができた。

 こんな場所で、たった一人放置されているのだから、ただの少女でないことは明らかだ


 少女の顔は、陶器のように白いレイの肌さえも霞むほどに白く、まるで色素が抜け落ちてしまったかのようだった。

 髪の色も、白というよりは透明と形容する方が、しっくりくるように思えた。


「……我が名は、ユリ・ヴァルフェイン。この国の異端者である」


 その声は掠れていた。長らく人と話していなかったのだろう。


「この国の異端者?」


 不穏な言葉を聞いて、聞き返さないわけにもいかなかった。


「そうだ。同種族の誰からも、救いの手を差し伸べられることもない」


 その透明感の高い顔は、酷く儚げな表情を作っていた。全てを諦めてしまったかのような、それは"人"が作るべきではない表情だった。


「何から救って欲しいんだ?」


 その問いかけは、半分くらいは反射的なものであった。もう半分は、俺がきっと許せなかったからだろう。人が人にあるまじき表情をしていることが。


 すると、ユリは何度か瞬きをした。


「……何から、だろうな」


 彼女は迷ったように、言葉を探すように吐露した。


 きっと、救われたい一心で、何から逃げたいのか、何から救われたいのか、考えてこなかったのだろう。

 人とは往々にしてそういう所がある。だから、目の前の少女を見ても、特別に珍しい精神状態だとも思わない。


 今の俺に他者と関わった経験はほとんど無い。つまり、これも昔の俺の経験なんだろうな。


「その十字架から、か?」


 こういう場合は、限定的な質問をすれば良いと知っていた。だから、そうやって少女の答えを促した。


「それはできぬはずだ」


 だがしかし、その答えは"はい"でも"いいえ"でもなかった。


「なぜだ?」


 できるかできないかを聞いたわけではない。それでも、彼女の言葉の続きを促すことにした。


「この十字架は、複数の神々が力を合わせて、我を封じるために作った。ちょっとやそっとで壊せるわけがない」


 ユリは少女らしからぬ口調と、投げやりな表情でそう言った。

 目の前の少女ひとりを封じるために、複数の神々が関わったのか。


「それは、並の出来事ではありませんね」


 レイは俺の感じていたことを、上手く言葉にしてくれた。

 そもそも、神が人に干渉するなど、本来は起こり得ない出来事のはずだ。

 何故なら、神と人では生きる時間も、そこにある価値観も根底から違うからだ。

 ごく稀に、人が神に成ろうとして、神の不興を買うことはあるが……


 そこまで考えてから、どんな質問をすべきか明確になった。


「何故、この国は神を怒らせた?」


 神の不興を買った──そんな確信が芽生えたからだ。


「吸血鬼は最強の怪異であり、だがしかし、全てを自由にすることはできない種族だ。

 ……簡単に言ってしまえば、更なる力を求めたのだ」


 ユリは言った。その声には呆れの色を含んでいた。


「で、結果がこれか」


 十字架に縛られた状態に、視線を向けて答え合わせをする。


「いや、我は残ったが、他の者の大半は灰になった。……死んだよ」


 そこには哀しみの感情はなかった。そこにある感情は平坦過ぎた。


「その十字架、何とかしてやろうか?」


 この十字架の封印は、恐らく壊してやることができる。


「そもそも壊すことはできぬと思うが、壊せたとしても止めておけ。神が怒るぞ」


 それは端的な拒否だった。様々な理由を付けて、自らが自由になるのを拒んでいるような、そんな印象すら受けた。


「それに、貴様らは、今が幸せなのだろう?

 表情を見ればわかる。だから、他人の不幸を拾う必要などない」


 俺たちが幸せに見える、か。

 俺はレイに甲斐甲斐しく世話をされているから、幸せであるに決まっている。

 レイは……まあ、時おり幸せそうな表情を見せてくれるから、きっと今は幸せなのだろう。


 他人の不幸を拾う必要はない、か。

 そう言われて、それはそうだと納得する自分がいた。

 所詮は赤の他人である。神が怒ると言われているのに、故意にその不興を買う必要はない。


「……だが、解放されたいだろう?」


 ユリの表情は、俺たちに幸せだと揶揄した割には、こうやって会話していることを喜んでいるようにも見えた。


「……否定はしない」


「なら、助けてくれと言えばいいだろ」


「ならば、他人を自分の不幸に巻き込んでまで、貴様は自由になりたいと思うのか?」


 確かに、そう言われると、そうは思わない。

 自分の為に他人の幸せを差し出せ、などと烏滸がましいことは言わないな。


「君を解放すると、俺たちが不幸になるのか?」


「なるだろうな。神々と敵対するのだから」


 神々と敵対すると不幸になる……か。


「レイ、どうなんだ?」


 素直に意見を求めた。


「……何とも言えませんね。

 そもそも、一言で敵対と表現しても、どれだけ本気で敵対するかによっても、変わってくると思います」


 レイらしい理屈っぽい答えが返ってきた。


 目の前の少女を解放することで、神々と敵対するかもわからないのだから、そんなに深く考える必要はない。そもそも、不幸になるための不確定要素が、とても多いように感じられた。


「じゃあ、助けるよ」


 だから、俺は決断した。


 彼女を解き放つことによって、確実に不幸になるのならば、助けないという選択肢もあるのだろう。

 だがしかし、それすらも確実性が無いのであれば、見て見ぬふりをすることはしない。


 俺が"俺"である為に。

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