020話
「旦那様、手をお借りできますか?」
広大な暗闇に視線を向けたレイは、迷いなく左手を差し出してきた。
その手を取らない理由はなく、むしろそこに理由が無くとも拒む必要はなかった。
「ん? 構わないけど」
俺は右手で彼女の左手を取った。
「旦那様の魔力を少しお借りしますね」
彼女はそう言った。その次の瞬間に、俺の身体は大きな脱力感に襲われた。地面に倒れたりとか、その場でふらついたりすることはないが、それでも確かに、一瞬だけ身体が重く感じられた。
彼女の左手と、俺の右手から、まばゆいばかりの大きな灯りが作り出された。開かれた暗闇の全てを照らし尽くすほどに強烈な光だった。
「こんなに大きな光も作れるんだな……」
その部屋の中央には玉座が置かれていた。その座椅子の前には、俺たちを見下ろすことのできる階段が備え付けられていた。
「旦那様、魔法よりも玉座があったことに驚いてください。確かにこの光の魔法は大きいのですが……」
文化的な発見に対する驚きと、技術的な出来事に対する驚きでは、瞬発力が違うとは思うが、彼女から見ると魔法よりも玉座の方が珍しいようだ。
この間は、白を基調とした空間になっていて、地べたには使い古された赤い敷布が並んでいた。
寝転がったりするのは勘弁したい。そう思えるくらいには埃っぽい。この場が本来の用途として使われなくなってから、それなりの年月が経っていることを実感させる。
「いや、驚いてはいる。ただ……それなりに既視感もあるからさ」
玉座の間は俺にとっては真新しい印象がほとんどない。実家のような安心感とまでは言わないが、それに限りなく近い感触を受けていた。
「そう……なのですね」
レイは俺の言葉を聞いて、一瞬だけ目を見開いてから、右手を顎に当てて何かを考え始めた。
彼女の左手は俺の右手に繋がれたままで、恐らく手を離すことを忘れているのだろう。時折見せるそうした無意識的な一面は、彼女の美貌も相まってとても可愛らしい。
「少し歩いてみないか?」
開かれたばかりの扉の近くで立っているだけでは、少し味気ないと思ったから、思案顔の彼女を誘った。
「……あ。そ、そうですね」
自分の世界に入っていた彼女は正気に戻ったように、目をぱちぱちとさせてから、俺の手を引いて前に足を踏み出した。
玉座に繋がる階段の前に立ち、俺たちは上を見上げた。
「あのシャンデリアも、それなりに高価そうですよね」
「それなりというか……かなり高価に見えるけどな」
「そうですか? ……確かに、色んな意趣や使われている金属、宝石などは凝られているとは思いますが」
たった数瞬だけ視線を向けた程度で、そこまでわかるものだろうか?
少なくとも、俺にはあまり違いがわからない。かなり高価そうだなと感じるだけだ。
「成金趣味感があって、あまり手放しに素晴らしいものだと言えないなと」
「そう言われるとそうだな。本当に良い奴って、成金の雰囲気は出ないしな」
何となく知っている程度で、もちろん正確な記憶など俺には存在しない。見知らぬ経験から”そんなもんだろ”と考えて喋っているだけだ。
「登ってみよう」
「はい」
踏みしめた階段は、今まで歩いてきた大理石の中でも、より綺麗な物を使っていた。
靴音を鳴らしながら、俺たちは玉座の前までたどり着いた。
「誰も座っていないと、只の椅子ですね」
「こういうのって、玉座に意味があるわけじゃないからな」
玉座とはあくまでも、その国の繁栄を表したり、もしくは、その椅子に座る王の偉大さを見せるために使われる。
どんなに豪華にしても、所詮はただの飾り物で主役には成りえない。
「……旦那様、何か妙な気配を感じませんか?」
「え、そうか?」
俺はレイのように戦闘が得意でもなければ、そういう生物の勘みたいなものも鋭くはない。彼女が気が付いていても、俺が気が付かないことは珍しくはない。だから、こういう場合は基本的に彼女の感覚を尊重することにしている。
「はい。いったいどこから……」
レイはその真っ黒な瞳を凝らして、周囲を観察し始めた。俺も彼女がそう言うならと、玉座の周辺を歩いてみた。
「いってえ」
突然、見えない何かにぶつかった。
それなりに大きな激突音が静かな玉座の間に響いた。
「だ、大丈夫ですか?」
割と本気の声色で心配されたから、本当に大きな音が鳴ったのだろう。
「大丈夫だ。それなりに身体は頑丈だしな」
「それはそうですけど……」
レイは心配そうに俺の顔を覗き込んでから、身体に異常が無いか視線を向ける。やがて、問題が無いとわかると、俺がぶつかった何かに対して視線を向けた。
だが、その何かは、俺たちの目には見えなかった。
彼女は槍を取り出した、普段使いしているそれを、俺がぶつかった何かに突き立てた。
「木の感触? ……扉かもしれませんね」
刃先は間違いなく何かに止められているのに、そこには何もないどころか、その先もしっかりと見えていた。俺がぶつからなければ、何かがあるということにすら気が付けなかっただろう。
「破壊します」
彼女は神速の槍さばきで打突音を鳴らす。その音は数え切れなかった。
「多分、壊すことはできました。この先に行ってみますか?」
何も見えないそこは、何処かに繋がっているらしい。彼女が突き刺した槍先が、俺たちの視界からは消失していた。
「行ってみよう。面白そうだしな」
彼女は槍を片手に、俺の手を決して離さぬようにと強く握ってきた。
だから、俺も強く握り返してやった。
「では、入りますよ」
少し嬉しそうに微笑んだ彼女は、俺の手を引いて、見知らぬ世界へと足を踏みいれた。




