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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第一章 〜「記憶にない世界と一途な君」〜
10/75

010話

 風が吹いていた。

 ただそれだけのことが、今の俺には新鮮だった。

 長い眠りの中で忘れていた感覚が、肌を撫でて、髪を揺らし、胸の奥に細かい波紋を広げていく。


 俺たちは、森林と草原が混ざり合い、溶け合うような道を歩いていた。

 進む先はまだ曖昧だが、ただ旅をしている実感が、足を迷いなく前に動かしていた。


 既に繋いだ手は離れていたが、少し伸ばせば届く距離にレイの姿はあった。

 ほんの少しだけ先を歩く彼女は、長い髪を風にはためかせていた。

 それが揺れるたびに、どこか遠い記憶がくすぐられるような、そんな気がした。


 重ねられた言葉はそこまで多くはなく、新たに盛り上がるような会話もなかった。

 でも、歩くたびにふと振り返る、その微笑みだけで十分だった。

 言葉を重ねるよりも、その穏やかな笑みがすべてを語っていたから。


 そうやって緑が混ざった道を歩いていると、時おり、物陰から見知らぬ獣が飛び出してくる。

 音もなくそれが姿を現すたびに、俺はほんの少し身を強ばらせる。

 それでも彼女は、何のためらいもなく、自慢の槍で穿いた。


「旦那様、少し戦ってみませんか?」


 彼女は振り返って、そんな提案をしてきた。旅立ちから、既に五回ほど陽が登っていた。

 行く宛てのない旅路が、身体に馴染んできた頃だった。


 その直後だった。草原の影がうねるように動き、何かが地面を蹴って飛び出してきた。

 それは人の形をしているようにも見えたが、腕は異様に長く、握られた棍棒がゆらりと重たそうに揺れる。

 次の瞬間、そいつは背を向けていたレイに向かって、とてつもない勢いで棍棒を振り下ろした。


「レイっ!?」


 俺は思わず叫んだが、それは杞憂だった。

 彼女は驚いた様子もなく、手に持った槍を半身で構えると、その棍棒の軌道を斜めに受け流す。

 変化した軌道は地面へと向かい、鈍い音ともに土煙が上がった。


「少し、距離を取ります」


 レイは棍棒の行方に視線を合わせると同時に、俺を肩口に抱えて跳び退った。

 彼女が着地したとき、俺は初めて相手の全体像を認識できた。

 巨大な人の形をした怪物。

 身の丈は六、七メートル。俺の四倍はあった。


「あれはサイクロプス。

 魔物に分類される生物です。

 一つしか目がないのが特徴ですね」


 距離を取った彼女は、俺を地面に下ろして冷静に口を開いた。

 その言葉通りで、頭にはぽつんと一つだけ瞳があった。


「戦ってみませんか?」


「えっ!?

 ……こんなの倒せんのか?」


 不意な提案に、俺は思わず足踏みをしてしまう。


「旦那様なら余裕ですよ。身体が覚えているはずです」


 そんな無責任にも聞こえる彼女の声に、かろうじて背中を押された。

 腰の左右に手を伸ばし、鞘から一対の剣を抜く。それぞれの手に吸い付くような感触があった。


 視線の先の怪物は咆哮した。それと同時に棍棒を再び振り上げた。

 その動きに、俺の意思に関係なく、俺の身体は勝手に反応していた。

 気が付いた時には、怪物の懐に飛び込んでいた。


 そして、剣の柄を腹部に叩きつけた瞬間、鈍い手応えと共に、肉が裂け、骨の砕ける感触が腕を伝った。

 腹のあたりがぐしゃりと潰れ、空間ごと消えたようにぽっかりと穴が空いた。


 サイクロプスは、力無く地面に倒れ込んだ。


「たった、それだけで?」


 自分の動きだったはずなのに、どこか他人事に見えていた。

 倒した、という事実は、俺の思考のずっと先を歩いていた。


「流石ですね。お見事です」


 彼女の落ち着いた声が聞こえて、ようやく、俺の思考が事実に追い付いた。


「……自分でも驚いてるよ」


 勝手に身体が動いたこと。

 でも、誰かに操られている感覚ではなかったこと。

 強いて言うならば、本能的な何かに近かったこと。


「旦那様ですから、私はあまり驚いてませんよ?」


 レイはアイテムボックスに、魔物の死骸を収納しながら、俺の顔を見つめてきた。

 その瞳は、俺にはそれくらいできて当たり前だと、そう告げていた。


「そっか。……レイの期待が重すぎるな」


「あぁ、別に圧をかけようとしたわけでは……」


 彼女はばたばたと両手を振り、焦ったように言葉を続けた。


 そうやって、倒れた魔物からレイに視線を移した時に、その端に何かが紛れ込んでいた。


「……あっ」


 すぐに飲み込めなかった違和感が、数瞬遅れてから意味を持ち始めた。


 草木が広がる大地に、ぽつんと立っていた。

 それは草でも木でもない。ましてや自然の岩とも違う。

 直線と直角で構成された“人工的な影”が、地平線の光を真っ二つに裂いていた。

 その輪郭は風に揺れもせず、そこだけ時が止まったように沈黙していた。


「なあ、レイ。あれ……なんだ?」


 指をさして、彼女に問う。


「……街の残骸、ですね」


 目を細めた彼女はそう言った。


 その言葉を聞いて、俺は初めて人の気配を感じた。

 そこに誰も居なくとも、何も無くとも、出来る限り近くまで歩いてみたいと思った。


「近くまで、行ってみてもいいか?」


 少しだけ考えるような間があってから、


「いいですね。行ってみましょう」


 レイは力強く頷いた。


 だから、俺たちは再び歩き出した。


 残骸の影に近づくにつれて、風の匂いがほんの少し、鉄に似たものへと変わっていった。

 これにて一章は完結です。

 既に第二章は出来上がっていますが、まだしばらく添削作業に時間がかかりそうです。

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