ももたろさん
保護者たちからのクレーム対応に、五時間もかかるとは思っていなかった……。
「もう間に合わないから、子供たちに自主的に稽古をさせる」
などという声が強まったのだ。自主的と言ったって……
台本がないのにどうやって稽古をすると!?
明日までに脚本を間に合わせるどころか、これでは今日寝ることすらままならない。
奈良橋は心身ともに極まり、すり減り、枯渇していた。
そして、ついに彼の中で何かがキレた……。
怒りとヤケクソで頭を沸騰させ、深夜3時に『ブドウ糖』と『レッドブルの焼酎割り』を血液に混ぜ込んだ奈良橋は、
いっぺん、『誰も傷つけない文学』否!!! 『誰も怒らせない文学』を真剣に誠実に構築してみたのだ。
まず対ジェンダー対策で、主人公の条件はノンバイナリー、つまり『性別不明』と言う設定にした。
性別問題は結論、何をしたって文句を言われるのだ。
証拠に奈良橋は、分業で家事をするバージョン、おじいさんが家事をするバージョン、おばあさんが家事をするバージョン、
全てのバージョンを提出したが、全てに文句を言われた。
つまり、『性別』という概念そのものが悪だとするなら、唯一許されうる方法が『ノンバイナリー』だった。
それだけではない。肌の色、瞳の色、髪の色を含む種族描写に通ずる種族・外見描写を曖昧にし、登場人物には頭から布を被せて性別を分からなくさせることにした。
環境搾取、暴力、略奪、資源収奪、もってのほかである。
おおよそ、物語が盛り上がりそうな要素を全て廃し、『おかゆ』のような味のしない展開ばかりになろうとも、SDGsの目標をクリアしなければならなかった。
著作権、政治的中立性、宗教的配慮、教育倫理、全て適正化していった。
そして午前5時、奈良橋はついに、『誰も怒らせない文学』を書き上げたのだ……
全てのセンシティブ・コンプライアンスをクリアし、ギリギリ物語に昇華できた、令和のインターナショナルスクール版『桃太郎』。
その実態とは………
* * * * *
『MO-ゼロ』
気づいたら、ボクは“球体”の中にいた。
いや、正確には――目覚めた時には、もう裂けた球体の中心で、周囲から無言の視線を浴びていた。
ここは地球じゃない。
惑星【セントラバランス】――性別も、国も、種族さえも存在しない調和の星。だがそんな平和な世界に、突然の「異物」であるボクが降ってきたのだ。
髪の色も、肌の色も、瞳の色も――「誰とも違う」ってだけで、ボクはこの世界の“特別”になった。
「Mo・ゼロ」
それが、彼らがボクに与えた名だ。
“何者でもなく、ゼロから始まる者”。 つまり――チート主人公あるあるの命名パターンである。
けれど、ボクはこう思った。
《……何をしてもいい? そんな自由、逆に困るっつーの》
だから旅に出ることにした。意味も、目的も、ないままに。
◇ ◇ ◇
ボクが出会ったのは、どこかブッ飛んだ連中ばかりだった。
「……(ゴリゴリゴリ)」
→ 土に詩を書くことでしか会話できない、無言の詩人(名前未設定。ボクが勝手に“詩土”と呼んでいる)
・「ピピピピィィイィ!!」
→ 音にしか反応せず、音楽に命を賭ける全身羽の演奏者(命名:バドリリカ)
・「(グルグルグル……ビクン)」
→ 透明な皮膚から感情が“内臓”でダダ漏れな人(正直ちょっと怖い)
だが、彼らは敵じゃない。 魔王でも、勇者でも、俺のハーレム要員でもない。 ただ、暮らしてきた環境が違うだけだ。
そうしてボクは、“区別されない世界”で、“違いの意味”を知っていく。
◇ ◇ ◇
ある遺跡で、ボクは一枚の碑文を見つけた。
「違いが争いを生むなら、違いに名をつけるのをやめてみよう。あるいは、その名に恐れず、意味を重ねてみよう。」
……その瞬間、ボクの脳内に“球体”の中の記憶がフラッシュバックする。
ああ、そうか。 ボクはずっと、“名を与えられなかった”。 だけど、それは“否定されたことがない”ってことでもあるんだ。
だったら、ボクはやろう。
この世界の“違い”すべてに、“理解しよう”という行動を―― 贈っていく旅を。
◇ ◇ ◇
「……ここが、ボクの居場所かなんて、もうどうでもいい」
「ボクがこの世界を“少しでも広げる存在”であれたら、それで十分だ」
拍手はない。 歓声も、BGMも、レベルアップ音も鳴らない。
けれど――それぞれの方法で、彼らは“肯定”してくれた。
これが、伝説の始まりではない。 これは、ただのボクの旅の――“現在進行形”の記録だ。
ボクの名は、Mo・ゼロ。 ゼロから始まる旅は、まだ終わらない。
* * * * *
ことわざに、
「出る杭は打たれる。出ぬ杭は腐る」
と言うものがある。
つまり、何をやっても杭は杭の運命しか与えられないのである。
……一つの例外を除いて……
そうである。ノンバイナリー、ノンドラマチック、ノンカロリー、
全ての要素を『あやふや』にした結果、出来上がったものは荒唐無稽な物語である。
……人によってはこれを、『異世界転生文学』と言うかもしれない。
国もあやふや、歴史もあやふや、しゃべっている言語ですらあやふや、
全てがあやふやで、訳のわからない世界にいくのだから。
あらゆる不愉快さを排除した物語は、実は『異世界転生』にあったのだ!!
奈良橋は悟りの境地に至り、目を閉じた。
* * * * *
「……excellent……」
原稿を持つ、ミセス福田の腕は震え、原稿用紙には彼女の涙がこぼれた。
「素晴らしい……素晴らしいですよMr奈良橋! あなたはついに『正解』を導き出したのです!!」
「正解を……私が……」
「そうです! あなたが書いた物語に比べたら、『桃太郎』なんて荒唐無稽な夢物語でしかありません!
あなたは、これを書くために今日、生まれてきたのです……
さあ、ホームルームに行ってください。この物語を携えて……。
生徒たちが、これを待ってますよ」
出る杭は打たれる。出ぬ杭は腐る。
だが……
『出過ぎた杭は、打つことができない!!』
これが、杭が己の運命に抗う唯一の方法だ!!
ミセスに背中を押され、奈良橋は教室に向かった……。
* * * * *
事態は解決したかに見えたが、どうしても、放ってはおけない事態がある。
それは、あまりにも時間を消費し過ぎてしまったことだ。
しかも、元々の物語よりも準備が大変な演目となってしまった。
透明な皮膚から感情が“内臓”でダダ漏れな人、なんて、半年でどうやって準備したらいいんだ……
奈良橋は、生徒たちの前で、重たい口を開く。
「本当にすまない。先生は、宿題に……時間がかかり過ぎた……
君たちに、どうしてあげたらいいのか……」
奈良橋は思わず涙ぐむ。
しかし、そこに……
「大丈夫だよ! 先生!!」
クラス委員長の、上林ハレルヤが立ち上がると、
「「「先生!!」」」
と、周りの生徒たちも同調する。
「え……」
「僕たち! 先生のために一ヶ月前から自主練習を重ねてきたんだ!!
だからまだ間に合います!!」
……自主練習?
自主練習!!? え、どうやって!?
「みんな! 先生に今日までの成果を見せてあげようよ!! せーの!!」
上林ハレルヤが、生徒たちに合図を送った。
そして……それが始まったのだった……。
「もーもたろさん♪ ももたろさん♪
おこしにつけた、きびだんご♪
ひとつ、わたしにくださいなー♪
あーげましょう♪ あげましょう♪
これからおにの、征伐に♪
ついてゆくなら、あげましょう♪」
見事な歌だった。
見事な……!!
……生徒たちが密かに自主練習を重ねてきたものは……
奈良橋の苦労などでは到底追いつけない、『誰かのための歌』だった。
しかし、しかし!! しかし!!!!!!!
もうどうすることもできないのだ!!
桃太郎は!! 上演できないのだ!!!!
ああなんという皮肉だろう。神も仏もないじゃないか!
男奈良橋という人生とは、一体なんだったのだろう!?
ここで生徒たちの努力を、全部無駄にするしかないなんて!!
奈良橋は、微笑みながら涙を流し、その瞬間、全ての時間が停止した……。
『桃太郎』をやりたかった 了