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レモン太郎


 奈良橋は家に帰ってから、大幅な脚本の『手直し』を迫られた。

 なんとしても明日までに、1年A組の生徒に学芸会の上演台本を渡さないと、諸々準備が遅れてしまう。

 すでに生徒の保護者からは、「そろそろ練習させないと、うちの子は覚えが悪いので心配でして……」みたいな不安の声が上がっている!

 

 奈良橋は、とりあえず大規模な『直し』を実行した。


 奈良橋は挙げられた問題点を整理した。


 ・「夫婦の役割を明確に分ける行為がジェンダー問題に直結」

 ・「桃から生まれた子を、自分の子供にするのはコンプライアンス違反」

 ・「犬、猿、きじ をきび団子で連れていくのは強制労働と捉えらえ、PETA案件に直結する」

 ・「鬼を退治する行為が、暴力を正当化しているとみなされている」

 ・「宝を持ち帰る行為がSDGs目標16『平和と公正を全ての人に』に反している」

 ・「桃は、スラングで『尻』」


 ……まず大きな問題としては、そもそものタイトルを変えなければならないことだ。

 これは仕方がないことだろう。桃がダメだってんだから。

 それに、ここまで原作にメスを入れられてしまってはそれは到底『桃太郎』とは呼べないので、

いっそタイトルから変えてしまい別作品として上演するほかなかった。

 しかし、奈良橋の本職は教師。作家でも、劇作家でもない。

 脚本の改訂なんてどうすればいいのか

 だからとりあえず……いただいた指摘を修正することにした。

 以下が改訂案。そのあらすじである。




『レモン太郎』 *桃太郎とは別の物語です。


 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。

 おばあさんが風邪をひいてしまい、おじいさんはお婆さんのために山へしばかり、川へ洗濯をしにいきました。

 すると、川上から大きな『レモン』がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。

 おじいさんがその桃を家に持ち帰ると、中から元気な男の子が飛び出してきました。

 「レモンから生まれたから、レモン太郎だね」と、おじいさんとおばあさんは言いましたが、一応役所に養子縁組の届けを出しました。

 レモン太郎は大きくなると、悪さをする鬼を退治しに行くことにしました。

 きびだんごを持って、犬、さる、きじを仲間にして、

『あなたは、このきび団子を食べた瞬間から、弊社との恒久的契約を結んだとことみなすことを同意したとし、ここに署名いたします』と言う紙に署名させました。

 これで犬、さる、きじは労働者ではなく、れっきとした契約社員です。

 鬼ヶ島へ―― レモン太郎は、最初対話での解決を求めましたが、悪い赤鬼が対話に応じることはなく、止むを得ず戦いになってしまいました。

 そして見事、赤鬼を退治して、宝物の、写真だけ記念にとって帰りました。 

 

 *宝物を取らないで帰ったことに、レモン太郎の心はひどく葛藤しましたが おじいさんとおばあさんは、とても喜びましたとさ。 おしまい。

 

 


 これで問題点はクリアだろう。奈良橋は、職員室のコピー機で脚本を生徒分コピーしていると、不穏な足音が近づいてきた。

 ミセス・福田・カットスロート女史だ。

 逃げようとしたが、彼女はすでに例の歯科矯正士を連想させるメガネをかけており、奈良橋を詰める気まんまんで現れた。

 

 嫌な予感は少ししたが、諦めて奈良橋は改訂版のあらすじをミセス福田に手渡すと……


「ひぃ!!!」

 

 なんと彼女は最初の一行であらすじを床に落としたのだ。


「え、何か!?」


「ああ、ごめんなさい。まさかそんなこと書いてないだろうと思ったのですが……

 書いてありましたね! 奈良橋先生! これはどう言うつもりですか?!」


「あ……いえ……桃が、海外でよくないスラングだと聞いたものでして、『レモン』に書き換えました」


「そこじゃありません!!」


「え?」


 ミセス福田は、なんとあらすじの中の『*』の部分を指差している。


「……アスタリスクが何か?」


「この記号は!! 子供が見たら『アヌス』に見えるから気をつけるようにと言う説明を聞いてなかったんですか!?」


「えー……知りませんでしたけどねえ……」


「嘘です! 確信犯です! だって『*』の次の文字は『桃』じゃないですか!! お尻の穴を連想させたいのでなければ、こんなことしません!!」


「ああ……すいません。違う記号にします……」


「後、内容もなんですかこれは! 私は訂正を依頼したんです! 改悪されて返ってくるとは、どういうことですか!?」


「え……と……すいません。僕は訂正したつもりなのですがー……」


 そして再び、ミセス福田の地獄の添削コーナーが幕を開けたのであった。


「まず、お婆さんが風邪を引いた設定になってますね?」


「はい……。男女関係なく病人だったら休まないとダメだろうという配慮で……」


「そういう、一見ジェンダーに見せてる配慮が悪意に繋がるのです!

 この文章では、病気イコール『役立たず』という構図になっており、逆に女性の役割を『機能停止装置』として描写している可能性があります。

しかも、『しばかり』と『洗濯』を一人で担うだけで美談になるのは、男性への低ハードル賛美構造です!」


 めんどくせ!! という言葉を、

 奈良橋は奥歯で噛み殺した。


「輪をかけてマズいのがその後です。

 なぜか、桃がレモンになってますが……

 これが最悪です。レモンは英語圏では『ポンコツ』を意味するスラングです。

 それを子どもの名前にするとは、『無自覚に差別的な命名』とされかねません。

 しかも柑橘類から生命誕生という描写は、『自然分娩』『体内出産』ではないLGBTQ当事者へのメタファーに対して、

 誤解を生む危険性あります!」


 舌が回転し出したミセス福田の破壊装置が止まらない。


「それと、きび団子を渡した後に有無を言わさず契約書を渡しましたね!?

 『強制的かつ一方的な契約』を締結させた上で、食料を渡すという構図は、ブラック企業の採用戦略を連想させます。

 ……第一、前から気になっていたのですが、なんでよりにもよって、犬と猿とキジなんですか!?

 犬! つまりDOG! ……これは英語圏では軽蔑語として使われているのを知らないんですか!?

 『Bitch』の男性版のことを、『(you) dog』と言うことを知らないんですか!?

 次! 猿!! これはアジア人への人種差別用語でしょう!

 つまり奈良橋さん!? あなたがこの本で伝えたいことは、

 『だらしない男』と、『アジア人』と、『日本人しか知らないようなマイナーな鳥』は、ブラック企業にでも就職しろ!

 と言う、到底小学生に見せられないような危険思想です!!」


 言い過ぎじゃないのか!?

 しかし、言葉の銃弾を喰らい、奈良橋はもう目が回っていた。

 まだ、ミセス福田のターンは続く。


「次!! 文章に、『最初対話での解決を求めましたが、悪い赤鬼が対話に応じることはなく、止むを得ず戦いになってしまいました。』

 とありますが、『対話したけどダメだったから殴った』は暴力の正当化ロジックの典型です!

 しかも『やむを得ず』などと言う文言は、国家間の戦争理由と全く同じ構文です! 戦争を連想させます!

 この学校にはロシアからの学生も通っているのです! もちろんその隣からもです!!

 よく考えてください!!


 次!! 宝箱を持って帰らず、写真に撮ればいいと思ったのでしょうがこれが新たな火種を産んでます!

 写真を撮って帰ると言うのは、『現代的カルチュラル・アプロプリエーション』つまり文化盗用問題に直結してます!

 相手の許可なしに『文化や所有物を勝手に記録する』行為とされ、

 SDGs目標10『人や国の不平等をなくそう』にも抵触しかねません!!

 前の方がまだ良かった! 最悪ですこれは!! とても認められたものじゃあない!!」


 言葉にボコボコにされて、奈良橋はペローーーンとデスクに戻っていった。

 そんなに細かいことを気にする一方で、言葉の刃で相手を刺しまくるのはどうなんだろう? と、正直思ったが、

今はそんなことを考えている場合ではない。

 急いで脚本の修正と、あらすじの書き直しをしないと、放課後までに生徒たちに渡すことができない……


「はああ」


 涙まじりのため息を漏らすと、左隣のデスクの教員マイキーが肩を叩いてきた。


「だいぶ絞られたな」


「うん……最悪だよ。なあ、これ、そんなに悪いか?」


 奈良橋は、マイキーに『レモン太郎』のあらすじを読ませた。


「えっと……奈良橋?

 レモン太郎ってのはつまり、『Lemon BOY』の事か?」


「え?」


「言いずらいけど奈良橋……『Lemon BOY』はな……。TikTok文明圏では、“拗らせ系男子”を指すネットミームなんだ」


「…… ……」


 奈良橋の戦いはまだまだ続く。


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