桃太郎
国立、ナイアガラバスター小学校は、世界数10カ国以上から子供たちが集まる、名門校である。
インターナショナルスクールであり、いろいろな国籍の、子供たち、並びに親たちが関わってくる。
そんなナイアガラバスター小学校は、半年後の学芸会に向けて準備をし始めた。
どのクラスも、歌に、演劇に、演奏に、ダンスに、とにかく一生懸命に取り組むが、
1年A組は、出し物に日本不朽の名作、『桃太郎』を取り上げ、クラスで劇にすることが決まった。
1年A組担任の奈良橋は、慣れない脚本作業をようやく終わらせて、今、保護者向けのパンフレット用にあらすじを書いたところだ。
あらすじの内容はこうである。
『桃太郎』
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。
すると、川上から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。
おばあさんがその桃を家に持ち帰ると、中から元気な男の子が飛び出してきました。
「桃から生まれたから、桃太郎だね」と、おじいさんとおばあさんは言いました。
桃太郎は大きくなると、悪さをする鬼を退治しに行くことにしました。
きびだんごを持って、犬、さる、きじを仲間にして、鬼ヶ島へ――
そして見事、鬼を退治して、宝物を持って帰りました。
おじいさんとおばあさんは、とても喜びましたとさ。
押しにも押されぬ、名作である。
なにぶん慣れない作業だったので、作業時間が大幅におしてしまい、生徒たちに脚本を渡すのが遅くなってしまったが、
この作業でようやく生徒たちに提出できる。
職員室のデスクで一息ついた奈良橋に、コツン、コツンと、不吉な足音が近づいてきた。
ああ……コイツだ……
教頭の、ミセス『福田・カットスロート』だ。
奈良橋はトラブルを予感した。福田という女性は、教師の中でもセクハラ、ジェンダー問題に特に敏感な教師だ。
何かにつけて奈良橋を目の敵にするために、奈良橋は正直この手の女性が苦手になってしまった。
トラブルに巻き込まれないために、予防線を張って奈良橋はそっと、席を立った……。
「奈良橋先生」
……捕まったーー!!
奈良橋は奥歯を噛み殺し、笑顔を作って、何でしょう? と答えた。
「学芸会の脚本が進んでらっしゃらないようですが、大丈夫なのですか?」
あーー、やっぱりその話題ですか!
「今、あらすじ部分を完成させましたので、明日のホームルームにでも渡せる予定です」
「見せてください」
「え……?」
「その、あらすじを見せてくださいと言ったのです。ごめんなさい主語がなくって」
この人から発せられる、ごめんなさいと言う五文字よりも感情のこもってない五文字はないだろう。
この流れだと普段なら、奈良橋が提出したあらすじを、ミセス福田に一通りdisられるところだが、
今回に限っては大丈夫なはずである。なぜなら、
シンプルに王道の物語、『桃太郎』のあらすじだからである。
今回に限っては怒られないだろう。奈良橋は、自信たっぷりに『あらすじ』をミセス福田に渡した。
ミセス福田は、歯科矯正師のようなメガネをかけて、時間をかけて『あらすじ』を読んだ。
どうだ。非の打ちどころはないだろう。奈良橋は、さも自分が描いた物語かのように自信で満ち満ちていた。
ところが、返ってきた答えは意外なものだった……。
「…… ……これ、このまま上演するつもりですか?」
「はい? ええ。『桃太郎』ですので」
「それはわかってます。だからってこれを、『この』小学校で上演するおつもりですか? と聞いているのです」
「何か問題が……?」
奈良橋が言うと、ミセス福田は『信じられない』と言う表情で奈良橋を睨んだ。
「本気で言っているのですか……?」
「え、ごめんなさい。何が問題なのでしょう」
「そうですね……」
ここから、ミセス福田の添削タイムがはじまった……。
「まずー……冒頭にこうあります。『おじいさんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました』これがもう、大問題です」
……大問題も何も、原作にこう書いてあるのだから仕方がないではないか。
「性役割の固定化が露骨すぎますね。2025年現在、男女の役割を明確に分ける表現は古典的ステレオタイプの再生産と受け取られて、
保護者からご意見をいただくことになりますよ」
……始まったよーージェンダー警察福田劇場がー!!
しかし、堪えることにした。ここで何かを言い返したらさらに面倒臭いことになるからだ。
……奈良橋のこの決断が、ミセス福田の添削劇場の上演時間を引き伸ばした。
「『桃から子供が飛び出してきた』と言うのも非常にまずいですね。
これは、明確な無許可の出生描写です。倫理的、生物学的の欠如に加えて、LGBTQの『非出産』イコール『非家族』と言う価値観の否定的示唆に受け取られます。
保護者からご意見をいただくことになりますよ」
何を言ってんだ!? 『桃から子供が飛び出してきた』と言うだけでそんな話になるのか!?
「私は海外生活が長かったもので、『桃太郎』には明るくないのですが……
『きび団子を餌に動物に労働を強いる』と言う話なのですか? だとしたらこれも問題でして……
2025年の考え方として、動物はパートナーであり、合意形成なしの同行は、強制労働と位置付けられる可能性があります。
この学校はインターナショナルスクールですよ!? ユダヤ系の子だっているんです!! その子たちの事を一瞬でも考えなかったのですか!?」
合意形成!? 犬と雉と猿にか!? どうやって合意を取れと言うのだ!?
「『鬼を退治』……とありますね。はいでましたこれ。こう言う思想を『古典的他者ヘイト』と言うのです。
鬼は私にはよくわかりませんが……特定種族を一括りに『悪』とする描写は、文化やマイノリティに対するヘイトスピーチに発展しますよ。
…… ……次。
鬼ヶ島から『宝を持ち帰る』。これは略奪行為ですね。鬼ヶ島の地域的持続可能性を破壊しております。これは、
SDGs目標16、『平和と更生を全ての人に』に真っ向から反抗しています。それから……」
「まだあるのですか!?」
「次で最後です。そもそもの物語の構成です。
学生に発表するような『知育コンテンツ』の標準にするには、『感情の葛藤、選択の代償、失敗の学び』が不可欠です。
それで言うとこの物語はどうですか?
『桃→仲間→鬼退治→帰宅』という構成になってます。何もないのですよ! 学びが!!
これはそもそも『知育コンテンツ以下』です!! こんなものを全学年の前で発表するなんてことは、私が許しません!!」
オイ『こんなもの』って言ったか!? 日本人なら誰でも知ってる『桃太郎』と言う物語を、『こんなもの』って言ったか!?
…… ……結局、コテンパンにされてしまい、奈良橋は大規模な脚本の修正を強いられた。
ため息をついて修正作業をしていると、右隣のデスクのアメリカ人教師、メアリーに声をかけられた。
「どうかしたのですか? 奈良橋先生」
「メアリー先生。それが……」
と、『英語』で受け答えし、奈良橋は先ほどの地獄を説明した。
「ジェンダーに、LGBTQに、SDGsまで……そうでしたか……」
「はい。全く、教師にとって難しい世の中になりました……」
「全くですね。……ところで、今この『あらすじ』私も読ませていただいたのですがー……」
「はい?」
「『桃』と言うのはpeachのことですよね?」
「はい」
「peachと言うのは、『尻』を連想させるスラングでして……
私と同じ国の生徒からすると、『尻から生まれた男の子』と言う表現になってしまい、センシティブな性的比喩として受け取られてしまいそうで、ちょっと……」
…… …… ……こうして、奈良橋が桃太郎を上演させるための戦いが始まったのである。