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少女とまっしろなキャンパス


 その日、少女は、気分も新たにその場所に足を踏み入れていた。父が『有名な進学校じゃ』と言っていた学園だ。



 ひとり佇む学園の廊下は、他に誰の姿もなく、ひっそりと静まり返っている。


 その見た目こそ綺麗だが、隅の方には煙草の吸い殻が放置されている。おそらくはお掃除のおばさんが、うっかりと灰皿をひっくり返してしまったのだろう。

 また白い壁には所々赤いシミがこびりついている。美術の授業に熱中するあまり、生徒達が塗りつけてしまったのかも知れない。


 病院のような湿布の臭いは、おそらく気のせいだ……




 教室の中からは、ガヤガヤした賑わしい声が響いてくる。これがごく普通の学校の授業風景なのだろう。

 その見るもの、訊くもの、匂うもの、全てが、少女にとって新たな緊張感をもたらすに充分だった。ドクンドクンと、胸の鼓動が高鳴る。呼吸するにも、少しばかり辛さを感じていた。


「それでは入りなさい」

 教室の中から担任教師の声が響いた。今日からお世話になる、杉田すぎたという二十歳の女性だ。


 開いたドアの向こうに、その姿があった。派手な化粧だ、少し前まで少女に勉学を教えていた教師とは、明らかに違う雰囲気。その手に握るのは革製の鞭。そんなものを持つ教師は、外国の映画の中でしか見たことはない。


 そして、その向こうに広がるのが、新たなる世界。足を一歩踏み込めば、新たなる人生の居場所となる。


 ゆっくり深呼吸した。

「失礼します」

 気分も新たに足を踏み入れた。



 そこに広がるのは、少女の実家の寝室よりは少しばかり狭い空間。そこに数十人の生徒が所狭しと押し込められている。


 それはそれで驚きの光景だが、現状そんなことは問題ではなかった。


「ケケケ、このオーク学園に転校生だってよ。しかも女」

「どうせどこの学校でも相手にされなかったブスだろうよ」

「確かだわな、この時期にウチに転入だなんて」

 少女に対してあざけるような声と、なめるような視線が注がれていたのだ。



 人の思惑など単純なもの。自分だけの狭い空間に居座り、新たなる者には、好奇の視線を向ける。自分より劣る部分を見つけて、それを攻撃する。もしくは逆手にとって、自分を輝かせる為の道具にする。


 それこそが集団に生きる者の、新参者に対する洗礼。少女はまさに、そのただ中に存在したのだ。



「あの、その……」

 少女は戸惑い、その場に立ち尽くすだけだ。テンパったように瞼を閉じる。

 映画や小説などで、転校生のマニュアルは覚えてきた。それでもこうしてそれに直面すると、どうしても手足が動かなくなる。


 幻聴げんちょうだろうか、なにも聞こえなくなった。……いや幻聴とは逆だ、宇宙空間に投げ出されたような沈黙状態。


 それに堪えかねて、ゆっくりと瞼を開けた。聞こえない筈だと思った。……教室の誰もが声もなく、ただ呆然と視線を向けて、立ち尽くしているだけだから。


 息も出来ぬ程の沈黙だけが、辺りを支配していた。


「あなた達、なにを突っ立っているのです。早く席につきなさい」

 その沈黙を打ち破ったのは杉田。スパーンと鞭を黒板に打ち付けて、生徒達を落ち着かせる。


「杉田、目障りだ!」

 刹那、窓際の生徒が立ち上がった。がっしりした筋肉質の、緑色のモヒカン頭の生徒だ。


「えっ、外国のお方?」

 戸惑う少女。アメリカや中国やロシア、父の交友関係は広い。だが緑色の髪の毛の人物など見たことはなかった。


「チッ」

 そんな彼女の傍ら、杉田が舌打ちした。それも少女からすれば戸惑いの対象。先生というのは、自分より先に生まれて教えを与える存在。故に堂々とした態度であって、絶対的な存在な筈だ。


 仕方なく自分に言い聞かせる『先生は女だ。流石に男の人には敵わないのだろう』と。


 その間も少女は、好奇の視線にさらされたまま。重苦しい重圧を感じる。なめ尽くされそうな視線、まるで動物園の檻の中にいる動物のような心境。


「あのー」

 堪り兼ねて上目遣いで見つめた。


「うおーー、最高にカワイイ!」

「マジだ、地上に降りた天使、俺の眼を疑うぜ!」

「ホレたホレた、本気でホレた! ボクちんの彼女にしたる!」

 同時に男達が吠えた。野獣を彷彿ほうふつさせるような、荒々しい咆哮ほうこう。野太い腕を天にかざして、狂気の視線を向けている。


 それで少女はようやく気付いた。……動物は彼らの方。自分は、その檻の中に迷い込んだに過ぎないのだと……


 そしてそれは始まりに過ぎなかった。獲物を見つけた野獣は、それを奪うために、死に物狂いの闘いを始めるのが、自然界の摂理だから。


「あん、てめーなにいってんだ? あれは俺の獲物だぞ」

「馬鹿言えや、俺が先に見つけたんだ」

「ふざけた台詞、こいてんじゃねーぞ。それ以上調子こくなら、表に出ろや!」

 幾多の野獣が、互いを敵と見なして口論を始める。

 そうこうしている内に、あっという間に大乱闘になった。


「落ち着きなさい、あなた達! あまり騒ぐと停学ですよ!」

 杉田がビシバシと鞭を鳴らして鎮めようとするが、それは一向に治まらない。多くの野獣はいがみ合ったまま。まさにクラス全体を巻き込んでの一触即発状態。


「皆さん、どうしたのですか?」

 少女は、もはや生きた心地さえもしなかった。

 所詮この世は力こそが全て。強き者が支配して、弱者はその足元にひれ伏すだけ。それさえも叶わぬ者は、強き者の犠牲になるしかないのだから。



 しかし地獄に仏とはよく言ったものだ。獣じみた集団の中にも、正義を重んじる人物はいる。


「御主ら、こんな状況で女子(おなご)を奪うために、(いくさ)でも始めるつもりか? 武士の風上にもおけん輩よ」

 窓際後方から、低い声が響き渡った。それに呼応して野獣達が身動きを止める。


「おなご? いくさ?」

 同じく少女も、その方向に視線を向ける。


 そこには他とはおもむきの違う、異様な集団が集結していた。制服ではなく様々な衣服に身を包む集団だ。青地に白の衣服や、車掌のような衣服の者も見受けられる。


「女子を見て発情とは、日本国の未来は暗いものだのう」

 その中央で堂々と腕を組むのは、浅黄あさぎ色にだんだら模様、いわゆる新撰組の羽織を着た生徒。腰には大小の刀を携えている。……よくは分からないが、噂に訊くお侍さんだろう。



「そうだな。そのゴン太の意見には、俺も賛成するぜ。そんなんで男としてどうなんだろうな」

 今度は別の生徒が言い放つ。机の上に座り込む、短い銀髪の生徒だ。数人の仲間と共に、バイク雑誌に視線をくれていた。


「ゴン太と呼ぶな。拙者ひじか……」

 ムカつき加減に言い放つお侍さん。どうやらゴン太という御方らしい。


 一方のモヒカンは悔しげな表情だ。

「くっ、拓未たくみ、何故お前がウチのクラスにいる?」

 言って銀髪を睨み付ける。


「ははっ、仲間と雑誌を見てたら、クラスに戻るのを忘れていたのさ」

 笑顔で言い放つ銀髪。どうやらこのクラスの生徒ではないようだ。ピョンと机から飛び降りると、教室のドア目掛けて歩き出す。


「ここが教室だったことを感謝しろよ。戦場で出会えば、てめぇみたいな外道、完全に始末してるところだ」

 そしてその場を後にした。


 モヒカンはなにも言わない。プルプルとこめかみを震わせて、無言で着席する。


 あの拓未と呼ばれた生徒、少女からすれば立派な人物に思えた。髪の毛が銀髪ということは、英国貴族の末裔なのだろう。


「感謝致します、ナイト様」

 敬意と誠意を込めて、消え去ったドアに深々と頭を下げた。



「チッ、拓未もゴン太も、マジになんじゃねーよ」

「遊びだろ遊び、本気で喧嘩なんかすっかよ」

「……その割にはそいつ、腕が折れてるみたいだがな」

「こいつも脳震盪のうしんとう。弱いくせに、いきがるから。仕方ねー、誰か病院つれてけ」

「しかし俺は本気だぜ。本気であの子が好きになった」

「しかし拓未の野郎ムカつくよな。本牧レジェンドの特隊だからって、幅きかせすぎだろ」

 こうして室内は一応の落ち着きを取り戻す。



 ふーっと深呼吸して、室内を見回す少女。先程まで感じていた、獣のような気配はどこにも感じられなかった。モヒカンを始めとする生徒も、こうして見れば普通の生徒だ。……むしろ実家の若衆の方が、獣のような体格をしている。

 全ては気持ちの持ちようなんだと思っていた。なにもかにもが新鮮で、同じくらい不安の対象だから。それに先程のお侍さんやナイト様のいる学園だ。礼節を重んじれば、必ず乗り越えられると信じていた。


「ありがとう御座いましたゴン太さん」

 感謝の気持ちを込めて、再び頭を下げた。こうして教室内は普段と変わりない平和を取り戻す。



「訊いたかアムロ、電車。拙者に対してゴン太さんだと。武士としてこの上なき誉れだ」

「良いのですかゴン太殿、普段は『この羽織に身を包みしときは、土方歳三と呼べ』って言ってるのに」

「確かにゴン太くんが夢中になるのも分かるよ。サイコーにカワイイ、エリザベート様にも引けを取らない」

 それでもざわめきは残ったまま。誰もが少女に興味を抱いていたのは確かだから。



 こうして担任の杉田が仕切る中で、自己紹介は終わった。


「じゃぁ、あなたの席はあそこ。分からないことは隣の若井わかいさんに訊いてね」

 杉田が指差すのは、ひとつだけ空いた真新しい机と椅子。


「近くでみるともっとかわいい」

「確かにかわいいね。……私には劣るけど」

「マジ惚れたっす」

「ボクの名はアムロ、よろしくお願いします」

「電車です」

「佐藤ゴン太。皆のものは土方とし……」

 こうして歩き出す彼女に、賛辞の言葉が響き渡る。


「マリアちゃんね。私は春菜はるなっていいます。よろしくね」

 席に座った少女に、隣の女生徒が優しく微笑んだ。ほがらかな笑顔の、少しぽっちゃりした生徒だ。


「私はマリアです。よろしくお願いいたします」

 つられて少女も笑った。


 窓から吹き込む風で、白いカーテンが揺らめく。朝の光が射し込んで、キラキラと輝きを放っていた。





 これが少女の、新たなるスタートの一場面だった。長い人生だ、時には新たなる旅立ちをせねばならぬこともある。今までとは180度違う人生かもしれない。憂いや悲しみ、苦しみや戸惑いの方が多いかもしれない。

 しかしそこで躊躇ためらえば、その先には進めない。……そこで踏みとどまれば、未来など完全に闇の中。


 確かに不安はある。それでも内に秘める希望の方が大きかった。

 少女の胸の奥にあるのは、まだなにも描かれない、真っ白なキャンパスだ。なににも汚されていない、純白のキャンパス。


 純白ということは、単なる無知に他ならない。様々な絵の具で塗りたくっていくことが、少女の今後の課題でもある。



 少女だって、いつかは大人の女性へと変貌する。いつかは輝きを放つのだ。希望という鮮やかな絵の具で、全てを包んで。サナギの殻を脱いで、鮮やかに空に飛翔する為に__



愛と修羅な人生に続く

愛と修羅な人生外伝~マリア篇~

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