太宰治「トカトントン」
「トカトントン」は太宰の晩年の作品だ。話としては、作家の元にある人物から手紙が送られてくるという単純な構造になっている。手紙には、その人物が色々な事に努力しようとするが、そのたびに「トカトントン」という音が聞こえて、そうなると全てのやる気が失われてしまう。
【「と言っても決して、兇暴な発作などを起すというわけではありません。その反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。」】
(太宰治「トカトントン」)
以上のように、手紙の主はすべてのやる気を失わせる「トカトントン」という音に苦しんでいた。それに対して、手紙を受け取った作家は短い返答を与える。この返答が落語の「オチ」のような形になっている。
【「この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想の男であったが、次の如き返答を与えた。
拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもをおそるな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈はずです。不尽。」】
この作品の読解は、この最後の作家の言葉をどう解釈するかが問題になるだろう。
以前、ヤフー知恵袋に「深夜のネオンドクター」というアカウント名の人物がいて、私はこの人には色々教わった。今は活動していないが、私はこの人の知恵袋での発言を隅から隅まで読んで、随分と参考にさせてしまった。この人物は「神谷」という名字で、エリートの医師らしい。
神谷氏は、太宰を嫌い抜いていて、知恵袋内でもよく公言していたが、同時に太宰を天才と評価してもいた。私はこの神谷氏の「トカトントン」の批評が非常に優れていると思うので先にそれを引用し、そこに自分の意見を付け加えて批評を形作ってみよう。
神谷氏は次のように書いている。
【一つは全て語られるものが戦後の価値観なんだよな。
平和であり、名声であり、それに連なる頑張りであり、恋愛であり、人権問題であり、スポーツ・趣味である、ということだよ。
それらは全て虚しいものなんだ。それに夢中になれるということは、要は動物的快楽の追求なんだよな。
伯父が人生とは色と慾だと答えるじゃない。それで納得出来るのが戦後の現代人なんだよ。
でも太宰はダメだったわけ。その価値観を追い求めて来て、太宰の超絶の優秀さがそれが偽物であることを見抜いてしまったんだな。
だから「終戦」から始まっているんだよ。戦前の価値観を知っている人間が、その価値観から移行しようとしてダメだった、ということなんだな。
しかしその一方で太宰は一つの結論を既に持っていたんだな。
それは「もう自分は戦後社会では生きていけない」ということだったんだよ。
差出人の苦悩というのは、戦前の価値観と戦後の価値観との相克であったわけ。それを抱き続けるというのは、戦前の価値観の正しさを痛感することになるんだ。
でも太宰はあくまでも戦後の価値観で行きたかったんだよ。そこに人間としての生き方の正しさがあるに違いないと思っていたの。
だから相克の戦いに疲れ果ててしまったんだな。
あの最後の聖書の引用は、実際の聖書の意味ではないことは太宰にもわかっているんだよ。教養の高い天才なんだから。
でもそれを敢えて「自分を無くする」という意味で用いようとしているんだな。つまり自殺する、ということだ。
自分の人生をつまらないものだと断じて、全てを滅してしまおうとしていたんだな。そのための「勇気」というものだよ。
太宰は自分の天才を知っていた。だから何とかしようともがき続けた。しかし為らなかったんだな。絶対的に間違っていることだとわかってしまったからなんだよ。
もしも太宰が凡人であったのなら、あの伯父のように生きられたと思っていたんだよな。でも実際にはそうじゃなかったわけだから。
現代人と成り切れなかったから自殺した、ということだな。】
(2014年の知恵袋 「深夜のネオンドクター」の解答より)
私はこの批評は非常に面白いと思う。
神谷氏の批評が特に優れていると思うのは、「トカトントン」で手紙の主が夢中になろうとしている事の全てが「戦後の価値観」だと断言している点にある。要するに「恋愛・仕事・趣味」といった考え方だ。
戦前の文学作品と戦後の文学作品には大きな違いがある。太宰治や小林秀雄といった面々は明らかに戦前の作家であり、それ故に彼らは「文豪」だと言える。はっきり言ってしまえば、戦後の作家には文豪はいない。文豪は発生不可能となった。というのは価値観が「恋愛・仕事・趣味」しかないからだ。
ただここで言う「恋愛・仕事・趣味」とは象徴的なものだ。「ファイト一発」で人生を「楽しくしよう」とか「頑張ろう」というのは戦後の価値観であり、我々の常識となっている。
我々にはこの価値観しかない。恋愛を頑張れ、仕事を頑張れ、趣味を楽しもう、という価値観以外の考え方が全く頭に浮かばない。それ故に「トカトントン」という作品が難解に見えてしまう。少なくとも神谷氏はこの限界を突破している。それ故に私には神谷氏の批評は極めて興味深いものとなっている。
それと、神谷氏が、太宰が戦後の価値観の偽善性に天才ゆえに気づいたから、戦後は生きられないと観念して自殺してしまったという指摘も興味深い。
考えてみれば、戦前の文豪は戦後にみんな死んでいる。物理的に死ななかった場合でも、例えば小林秀雄は、思想の最前線に立つ事なく、一歩引っ込んだところで、自分の芸術の純粋性を保とうとした。小林が自分の身を守る為に、世界とのアクティヴな関わりを自ら断ったのは、小林もまた太宰と同じく戦前の価値観の持ち主であり、戦後の「ファイト一発」的な世界では生きられないと考えていたからだろう。こういう価値観の中では文豪は生まれ得ない。生まれるのは職業作家だけだ。
私は神谷氏と若干、意見を異にするが、太宰は戦後的な価値観に最初からそれほど期待していなかったのではないかと考えている。
最後に引用された聖書の言葉「身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」を太宰が神谷氏の指摘の通り、恣意的に引用しているのも確かだろう。
太宰は、芥川の系列を辿って自分を芸術に身を捧げた殉教者と考えていたのだろう。彼は自分を「身と霊魂とをゲヘナに滅し得る者」と考えていたのだろう。
芥川の晩年の憔悴は太宰に引き継がれた。もっとも芥川と違って太宰には、戦後、社会的な人気を得るという思いもかけない褒美が待っていた。しかしこの褒美を受け取って戦後の価値観に順応すれば「身と霊魂とをゲヘナに滅し得る者」でなくなるという事に太宰はわかっていた。それ故に酒や女で自分の理性を弱らせ、少しずつ自分を死に導いていくしかなかった。
「トカトントン」の手紙の主に作家が共感しないのは、手紙の差し出し主が自己を滅する気がなく、心の奥底では自己を擁護し、自分を守ろうとしていたからだろう。だがこの弱さは太宰自身も共有するものだった。
全ての事柄に対して「トカトントン」という音が聞こえてくるというのは、確かに戦後の価値観では生きられない事という風に考えられる。それら「恋愛・仕事・趣味」といった事柄に耽溺して生きるのは不可能だ。太宰はその虚偽に気づいていた。
とはいえ、戦前の価値観として、例えば、夏目漱石から太宰治に至るまで受け継がけるような「文学に身を捧げる」といった生き方(これらはおそらく封建社会の思想が基になっている)もまた不可能だ。もうそんな事が可能な領域は残っていない。
作品の中で手紙の主が、伯父に質問する。「人生というのは、一口に言ったら、なんですか。」伯父はつぎのように答える。
「人生、それはわからん。しかし、世の中は色と慾さ。」
この答えに対して「案外の名答だと思いました。」と手紙の主は感想を持つ。
この「世の中は色と慾」は「身と霊魂とをゲヘナに滅し得る者」と対になっている。前者は戦後の価値観であり、後者は戦前の価値観を代表している。
作家が手紙の主に同情しないのは、手紙の主が、真の意味で生きる事、すなわち自分の身と霊を滅し得る事を可能にするような生の傾倒、死への傾斜が欠けている為だ。手紙の主はいつもどこかで自分を守ろうとしており、いつも自分の事を考えている。
だが普通の人は手紙の主よりも更に下方に存在すると言ってしまってもいいだろう。彼らは「ファイト一発」的価値観に疑いすら抱かない。少なくとも、手紙の主は、そうした価値観に対する懐疑を無意識的に「トカトントン」という音として耳に聞く。
しかし手紙の主はそこから一歩進める事ができない。一歩進めるとは「身と霊魂とをゲヘナに滅し得る」事だ。だがこれは作家にも極めて難しい事であり、太宰自身自分がそれをしていると信じようとしたものの、おそらく本人の中では信じきれなかっただろう。
作品の構造は私はおおよそ、そのようになっていると思う。太宰自身が挫折した人生を送ったか、文学者としての自己を成就したか。それは解釈によって違うが、太宰自身は努力と労苦の末に文学に身を捧げて、キリストのように死後には復活できると信じたかった事だろう。太宰が信じたかったが、信じきれなかった様が私の頭にイメージとして浮かんでくる。
芸術とか文学とは果のないものであり、どれほど邁進してもどんなゴールも見えてこない。それ故に、本人に見えない死というピリオドだけが、芸術家の全てに区切りをつける。太宰が本当に「身と霊魂とをゲヘナに滅し得る者」かどうかはそれぞれによって意見が分かれるだろうが、少なくとも太宰本人は自分はそうした存在だと信じたかった事だろう。
そしてそんな自分を推して、太宰は作品を作っていった、とだけは言えるだろう。これは現代の我々とは違う考え方だ。だがこの違う考え方が、戦後の価値観の中で生きている我々には全く馴染みのないものなので、それ故に「トカトントン」という作品は難解な作品に見えている。現代の我々がこの作品を評価する際に起こっている事は、そうした現象ではないだろうか。