【EP1】出会い
雨が降っていた。
整理番号順に並ぶこのライブハウスは雨除けが無く開場待ちの列では傘をさしていて隙間から落ちる雫が服を濡らす。私の整理番号は52番、一緒に来た先輩は一桁の番号で、ずいぶん入り口に近いところにいた。
私は自分の服装をもう一度見る。
ハーフツインテールに結った髪、黒を基調に白金のアクセサリーをあしらったスカートにはボリュームたっぷりのパニエを付けている。
底の厚い編み上げの靴もお気に入りのゴスロリスタイルだ。
(久しぶりのライブでちょっと気合入れすぎたかな・・・)
やがて会場が開き、列が少しずつ動き始めた。冷房が効いたハウス内に入ると、雨に濡れた服が冷たい空気に触れて、肌寒さを覚える。それでも、目の前に広がる暗いフロアに一歩足を踏み入れると、胸が高鳴った。音響チェックの音が空気を震わせ、少しずつテンションが上がっていくのがわかる。
「ラスト行くぞー!」
ステージの上から発せられた言葉に歓声が響き、ヒートアップしていく。
ライブが終了すると人波で出口が騒々しくなる。人ごみを抜けて一息
出口にちらほらとアーティストの出待ちをするファンたちが見受けられる。彼女らの熱気はまだ冷めていない。ステージ上の彼らに会いたい、もっと近づきたいという願いが彼女らの行動を支えているのだろう。
目的の人物をみつけ声をかける
「原先輩、私帰りますね」
「OK、鈴、気を付けてね」
「出待ちするんですか?」
「今日シーラ見に来てるはずだから」
今日の出演者ではいない名前
「はーい、原先輩も気を付けて」
ステージの上は幻想。終われば現実。輝く舞台の上で彼らがどれだけ魅力的に見えたとしても、観客である私にできるのはチケットを握りしめ、彼らの演奏を楽しむことだけ。
アーティストの出待ち、入り待ちをしても現実には関われない。
いつでもあこがれだ。私は早々にその場を後にする。雨はやんで湿った暑い夜風が頬を撫でる中、私は肩にかけた鞄を少し強く握りしめた。
駅へ向かう地下道を歩いていると、目を引く男性がいた。スマホを見ながら周囲を気にする様子で立ち止まったり歩き出したりしている。その立ち振る舞いに妙な違和感を覚えつつも、視線は自然と彼に釘付けになった。
すらりとした高身長、艶やかな黒髪は背中まで伸び、柔らかく揺れている。光沢のあるレザーパンツに四つほどボタンを開けた白いシャツ。軽く掛けた薄い色のサングラス。
(どストライク……!)
そんな自分の反応に少し恥ずかしさを覚えつつも、目が離せない。どことなくミステリアスな雰囲気をまとったその姿に見惚れていると、突然、彼がこちらを向いた。
(やば! 気づかれた?)
慌ててスマホに視線を落としたが、その瞬間、低く柔らかな声が響く。
「ちょっと聞きたいんやけど……」
あまりに唐突な声かけに戸惑い、思わず発した言葉
「ナンパ?」
(えっ、何言ってんの私!)
心の中で叫びつつ、恥ずかしさで顔が熱くなる。一方、彼は一瞬目を丸くした後、軽く笑って首を振った。
「ちゃうちゃう、そんなんやない。」
その声は関西なまりが混じっていて、どこか親しみやすい。
「ほんまやさかい。店のこと聞こう思ってな、この辺で女物のバッグ売ってるとこ知れへんかな?」
地下道には色んな店が並んでいる。だが、確かに初めて来た人には迷路のような場所だ。彼はどうやらこの辺りに土地勘がないらしい。
少し緊張しつつも、平然を装って答えた。
「いいですよ、私でよければ。でも、この時間だと空いてる店が少ないかも……。」
「かまへん、かまへん。」
その言葉に、私は軽く考え込んだ。
(この時間で女性もののバッグが買える店って言えば……。)
「女性ものって言ってましたけど、何歳くらいの方へのプレゼントですか? どんなバッグがいいとか決まってます?」
彼は少し考える素振りを見せた後、ゆっくりと答えた。
「二十歳くらいかな。物は決まってないんやけど。」
「あー、それならこの先に一軒ありますよ。」
「じゃ、そこに。」
「え?」
「案内してもらえる?」
急に振られた言葉に戸惑い、時間を確認する。
(まあ、案内するだけなら大丈夫よね……。)
そう思いながら、彼を先導して店まで歩くことにした。
しかし、結局そのバックも選ぶことになる
彼が突然口を開いた。
「なあ、名前教えてくれへん?」
彼の言葉に、不意打ちを食らった私は一瞬息を呑んだ。名前を聞かれるなんて予想もしていなかったし、どう答えればいいのかも分からない。
「えっと……名前、ですか?」
少し間抜けな返事をしてしまったけれど、彼は気にする様子もなく、軽く笑って言葉を続ける。
「そや。こんなに親切にしてもらったんやから、せめてお礼くらいちゃんと言いたいやん。」
(お礼、ね……。)
確かに、ただ道を案内しただけなのにここまで付き合ったのは私だ。それでも名前を教えるかどうか、なんとなく躊躇してしまうのは
「別に大したことしてないですし、気にしないでください。」
軽く流そうとすると、彼は少し首を傾げた。
「そんなん言わんといてや。こういう偶然の出会い、大事にしたいやんか。」
その言葉に、少し胸が高鳴った。偶然の出会い──でもだからといって、この先どうなるわけでもない。ただ、それでも彼の真っ直ぐな視線に、どうしてか嘘をつく気にはなれなかった。
「‘はなみやりん’です」
少し間をおいて答えると、彼は微笑んだ。
「りん、か。ええ名前やな。」
短い言葉だったけれど、その声のトーンが妙に心地よく響く。
「で、あなたは?」
自然と聞き返すと、彼は少しだけ意外そうな顔をした後、また笑みを浮かべた。
「俺は……そうやな、漣でええわ。」
その後、バッグを買い終えた漣は店の外で改めて頭を下げた。
「ほんま助かったわ。りんのおかげで、ええ買い物できた。」
自然と下の名前で呼ばれていた
「いえ、全然。お役に立てたならよかったです。」
「せやけど、これで終わりやったらつまらんやろ?」
「え?」
また意表を突かれる。
「こういう偶然、何かの縁やと思うねん。良かったら、またどっかで会えへん?」
真剣な表情の漣に、心臓が高鳴るのを感じた。けれど同時に、何か引っかかるものもあった。少しだけ不安を感じていたのかもしれない。ふとスマホの画面を確認すると、時刻が目に飛び込んできた。
(やばっ!もうこんな時間!)
「スイマセン門限なんで帰ります」
早口でまくし立てながらその場を去ろうとすると、彼がポケットからスマホを取り出す。
「ちょっと待ちや。」
優しく手を摑まえられた
彼が私のスマホを取り上げた。ロックがかかっていなスマホにQRコードを読み取らせた
「これ、俺のID連絡してもいいかな?」
軽く笑ってスマホを差し出す彼に、私は驚きつつもそれ以上何も言えないまま、時計を確認する。
「本当に行かなきゃ……!」
あわてて電車に乗り込む
(いやーすごい、いい男だったなぁ)
スマホに残るQR番号は、ただの数字の羅列のはずなのに、なぜか特別なもののように思えてならなかった。この出会いが私にとって何かの始まりになる予感がしていた。