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6月10日 広瀬くん(1)

  恋とはなんと素晴らしいものでしょう。私はついに運命の人を見つけてしまったかもしれません。


 入学して一ヶ月は目まぐるしく行事が続き、学力テストですべて満点を取っては天狗になり、体力テストではビリケツで鼻を折られ、大忙しでございました。だから日記帳を開けなかったのも仕方ありません。


 しかし今日のことを書かずいつ日記を書くと言うのでしょう。そういうわけで、素晴らしい今日のことを順々に書いていこうと思います。



 学校生活がひと心地ついた頃、ようやく部活動の入部希望の紙が配られました。私が入部したのはもちろんマリンと同じバドミントン部です。バドミントン部はそれなりに人気がありましたから、新入生は二十人ほどおりました。


 二年生も三年生もそれぞれ二十人ほどおりましたから、大所帯な部活だと言えます。新入生は前に出て、自己紹介をしないといけなかったのですが、私は「心身の健康のための運動として、バドミントンを選びました」とお利口なことを言いました。


 だって、「白羽根マリンが好きだからです」というのは子供っぽくて恥ずかしいでしょう。



 私は村中先生のお家でずっと過ごしてきましたから、運動が不得意なところがございます。それが真面目に練習せず「あの先輩は背いが高くて素敵だわ」だとか、「あの先輩は足が長くて形がいいわ」など見惚れてばかりなものですから、ついに顧問の先生に呼ばれてしまいまして、


「村中さん、君はもう少し基礎を学んでからみんなと練習したほうがいい」


 と言われ、他の部員とは離れて別の練習をさせられることになってしまいました。


 さて、恋というものは唐突なもので、昨日までの路傍の石が、今日には宝石のように輝いてに見えることもあります。私の個人レッスンの相手は、マネージャーの男の子が担うことになりました。


 彼の名前を、広瀬くんと言います。広瀬くんと個人レッスンを命ぜられたときには、


(こんなひょろひょろとした男の子に私の練習相手が務まるのかしら)


 と、正直あまり関心がありませんでした。しかし顧問の先生が言うには、彼は小学生のときにバドミントンで賞を獲ったこともあるほどの選手で、今は病気のためにマネージャーに甘んじているが、本来素晴らしいプレイヤーなのだそうです。


 ですから、私の個人コーチとしては適任だったといえましょう。そうです。マリンは青山コーチに個人指導を受け、私は広瀬コーチに個人指導を受けることになったのです。


「それじゃあ村中さん、僕が投げた羽根を打ってごらん」


 個人レッスンの最初、広瀬くんはそう言って羽根を放りました。私はいいところを見せようと、慎重にタイミングを見極め「エイヤ」とラケットを振りましたが、残念ながらラケットは空を切りました。


 そもそも私はバドミントンをするのが初めてなのです。家で白羽マリンを真似していたときは、架空の羽根に向かって蝿叩きを振っていたのです。



「も、一度行くぞ。それ」

 と広瀬くんはまた羽根を放って、私は三回も連続で空振りしてしまいました。


 一体どういうことかといいますと理由は明白で、広瀬くんがラケットを持つ私の一挙手一投足をじっと観察していたからです。


 これまで男性にじっと見つめられるという経験がありませんでしたから、どうにもドギマギしてしまって、普段の実力が出せないのも仕方のないことでしょう? 


 私は緊張やら情けなさやらで(この人は、どうしてこんなに意地悪なのかしら)と広瀬くんを責めたくなる気持ちになりました。


「君は手先だけでラケットを振る癖があるようだ」


 広瀬くんは顎に手を当てそう言いました。そしていじけた私の後ろにゆっくりと回り込むと、急に私の両腕をワッシと掴みました。


 彼の突然の乱暴な振る舞いに、私の頭は真っ白になりました。彼はそんな私をよそに、私の胸をワッと開かせると、


「こうだ、こうだ」


 と言って私をスウィングさせ始めたのです。同年の男子に肌を触られるなど、初めての経験でございました。びっくりして座り込みますと、


「村中さん、座ってちゃあレッスンにならないだろう」


 と強引に私を引き起こし、再び


「こうだ、こうだ」


 とスウィングさせるのです。その乱暴に私は目が回ったようにくらくらし、私の目には涙が溢れ、


「ひどいわ。ひどいわ」


 と言って走って逃げ出してしまいました。

 しかし制服に着替え、更衣室から出たところで広瀬くんに捕まってしまい、


「すまない。すこし厳しくしすぎたようだ。一緒に頑張ろうじゃないか」


 と謝ってくれましたので、私は渋々練習に戻ったのでした。


 広瀬くんに強く掴まれた手首の感触と、耳奥の「こうだ、こうだ」は耳奥でずっと木霊していて、いつまで経っても眠れませんでした。私の肌は熱を帯び、胸の中で何かがザワザワと動き続けておりました、それはそれは苦しく、私は今まで味わったことのない体の変化に戸惑いました。目を閉じると広瀬くんの声や姿がより近くに感じられました。


 そしてついにこれが恋であると自覚したのです。


 ああ、広瀬くん。広瀬くん。文字に書くだけで私はあなたが恋しくなります。恋とはなんと素晴らしいものでしょう。早く朝にならないかしら。明日広瀬くんに会うのが今からとても楽しみです。


 でも、急に帰ろうとした私を嫌っていたらどうしましょう。バドミントンが下手くそな私を嫌っていたらどうしましょう。

 考えていても仕方ありませんから、明日、広瀬くんに聞いてみようと思います。

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