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 学力がそこまでなかったこと。この学校を選んだ理由などそれくらいだ。中学からの友達と入ったバスケ部も何度かやめようか悩んだ。結局今まで続けてはいるが。

「新騎せんぱぁい。聞いてくださいよー。俺の友達に琉詩って奴がいるんすけど、琉詩ってばテストの順位3位すよ。やばくないすか。」

 順位とか気にしたことなかったな、勉強なんかするもの好きもいるものだな。

「すげぇな。」

 後輩が楽しそうに話すその話に相槌を打ってやる。

「でしょ!って、あ。琉詩じゃん。るうたぁ!」

 夢中になって話していたその視線は俺から別のものへと獲物を変える。

 体育館の大きな扉まで駆けていく後輩の後を追っていく。引き戸のスライド部分に手をかけて外を覗き見る。

 後輩の声に気づき、振り向いた一人の影。一瞬の戸惑いを笑顔に変えてこちらに向けた。正確には俺の隣の後輩に。歯を見せない唇を強調する笑み。大きな目が完全に閉じられるほどの笑み。控えめに頬の横で左右に揺らす右手。ふわふわと俺の心を躍らせる柔らかそうな髪。

「颯真君、頑張ってね。」

 大声を出すことはなく、俺たちにちょうどよく届くほどの声量。

 颯真の横に立つ俺に気づき、右手をおろす。大きな目が上目に俺を見るようにして小さく会釈をした。           目が合うことはなく、気まずそうに目線を逸らされてはしまったが、俺はこの目の前にいる小さな生き物が気になって仕方がなかった。魔法にでもかけられてしまったかのように目線が離せない。ついには背を向けてしまった姿を見えなくなるまで追っていた。

「颯真、あの子なんて言うの?」

「え、琉詩のことですか?えと、鈴木琉詩っす…。」

「あぁ、そうか、ありがとう。」

 可愛い。まず率直な感想が浮かんだ。俺に向けられたわけではないあの笑みが俺の心臓を貫いていた。


 その後は、部活にも身が入らず、久しぶりに激しく動いた脳を支えながら過ごすこととなった。

 慌てた結果、逆説的に時間をかけてスマホを取り出すと、カレンダーアプリに搭載されているメモ欄に名前を記した。

 __鈴木琉詩くん。__ 







 俺は昔から人に合わせて生きている。さすがに人の好意にまで踏み込んでいけば嫌われるということくらいはわかっている。まあ、その心配はいらないほど臆病な俺は、まず誰かに告白をしたことすらない。見た目からして告白されたこともないわけだが。興味がないわけでは無い。しかし、俺には無理だと今までの経験でなんとなく感じていた。

 異性と話せば顏は熱くなり、目も合わせられず、さらには会話もうまくできない。うまく伝わっていないことはわかっていても、どう修正したら良いのかが全く分からない。

 まず、人と話すことが苦手なのだ。話したいことを頭の中で考える。それを話した時の相手の反応を考える。しかし、実際はそんなにうまくはいかず、申し訳ないという気持ちだけが最後に残る。コミュニケーションとは難しいなと毎日思う。

 なんとなく起きて学校に行く。先生という存在を恐れている幼稚な俺は、善良な生徒として生活するため並みに勉強をする。人見知りをする俺は、姉の成功を利用してバイトとして働かせてもらう。趣味と言えるほど夢中になれるものもなくお金はたまるだけ。家に帰って、動画を見て寝るという毎日。






 今日もいつも通りに朝が来て学校へと気の進まない足を動かした。

「琉詩君、数学のワーク終わってたりする?見せてくれない?おねがい!」

 とてもきらきらとして、いい匂いのしそうな生物が俺に話しかけてきた。普通に過ごしていれば関わることはないだろう、陽キャの女子達だった。俺は、使える標的として登録されているようだ。一人は真正面に琉詩を見下ろし、他は囲むように机に手をついていた。髪を一つに後ろで結び、何かを誘惑するように数本の髪束が耳の前でS字を作っていた。前髪は眉下で切りそろえられ、その下には大きな目をさらに大きく強調させるメイクが施されている。

 口元の前で両手をそろえて懇願してくる姿を、琉詩はあまり見上げることができなかった。緊張ともしもに期待していたことに脳から熱さが身体を占めていった。元から断るという選択肢などなかったかのように、机の中から取り出した数学のワークを机上に置いた。

「どうぞ。」

 俺はワークを終わらせているだろうという情報がどこからなのかなどは気にしないでおく。琉詩なら終わっているという彼女たちの偏見だったのかもしれない。

 ワークを終わらせることだって先生を恐れている人間のちっぽけな防衛機制だ。しかし、ワークをやっていなかった彼女たちも、俺のワークを写しただけで先生からの小言が回避される。そう思うと少し悲しくもなる。

 琉詩の真正面に立つ女子は、ワークを手に取ると、ありがと!と、琉詩に4文字だけを残して残りの女子を引き連れていった。

 入れ違いでもう一人陽キャという言葉が似あう男子がせんべいの入ったジッパーの袋を片手に近づいてきた。

「琉詩?顔赤いぞ、熱でもあるのか…?」

 その男子は琉詩に近づいてくると顔をのぞき込んで肌の色彩の変化を確認した。

 やはり赤くなっていたのかと思うと恥ずかしくて、髪の毛で顔を覆うように俯いた。

 異性に慣れていないことをばれたくなくて、顔とは対照的に強る言葉を選んだ。

「だ、大丈夫だよ。」

「そうか…?あ、それより、佐々木たちだったじゃん、何話してたん?」

 五十嵐颯真君はバスケ部に所属していて、話し方やなつき方が陽キャのものだ。そして、俺にも仲良くしてくれている友達の一人だ。しかし、颯真は成績や宿題などの関係で近づいてくる奴らとは違う。素で仲良くしようとしてくれている。と思っている。

 颯真は、宿題をやっていなくても、教科書を忘れても、面と向かって先生に挑みに行くような人間だ。  俺とは正反対なかっこいい性格をしている。負けるのはいつでも颯真なことに変わりはないが。

「数学ワーク貸してって言われてさ。」

 颯真はわかりやすく嫌な顔をこちらに向けてきた。

「琉詩さん、マジですか。で、貸しちゃったんすか。」

 颯真は完全に引いたということを隠さずに表情に出した。

 琉詩は颯真の反応を見て不安気味にうなずいた。

 やはり変わることのない琉詩の性格に颯真は、話題を変えようと、琉詩の一つ前の席へ後ろを向く体制で腰を掛けた。

「よし、話変えるか。なぁ、どうしたら勉強できるようになるか教えてくれよ。」

 懇願するように颯真は自分の顔を隠さず俺に向けてきた。

「俺はやることないから勉強してるだけで、あんまり好きではないからどう教えていいかわからないんだよね。」

 勉強をしているとはいっても、偏差値でいうととても中途半端である。この辺の高校を比較するとちょうど半分といったようなちょいおバカ高校だ。ここで一位をとれていてもあまり誇れないというか。

 しかし、頭の良い学校ではなくても真面目な人間は活用するのに最適な人材であるらしい。

「そうなんか。でもさすがだわ。頭のいい琉詩君にはお菓子あげちゃう。」

 今では颯真と相棒となっている、右手に収まる醤油せんべい。ジッパーとなっている包装から大き目の切れ端を取り出すと、琉詩の顔の前へ持ってきた。

 本当にくれるんだな。

 二本指で持っているせんべいと颯真の表情を上目に確認し、体制を前のめりにして唇をせんべいへ近づけていった。






 琉詩の柔らかく、大きめにぷっくりとした唇が対象物を定めて動いていく。紅いらずの赤く、しっとりと潤んだ花唇だけが、切り取られたかのように鮮明に俺の瞳に吸い込まれていく。

 あぁ、あれ柔らかいんだろうな。

 俺の手元には吸い込まれない、眺めることしかできない恋しい生き物。

 手を伸ばしたくなるこの感覚。太ももの横に垂れている指がぴくりと動いたく。瞬きも忘れて瞳が乾くほど見入ることはコンタクトレンズをしている身には酷だった。

 俺のことを知りもしない小さな姿態に対して欲情しているなんて、本当に最低だ。

 __もう少し__。__あと少しだけ眺めていたい__。

「おい、新騎、遅れる。」

 だいぶ前で立ち止まる友人の声で夢の中から現実へ引き戻される。

「あ、あぁ。」

 邪魔さえ入らなければいつまでも眺めていられただろう。

 俺は、後輩に教えてもらったあの名前と姿を一致させると、この廊下を通る度に見つめる日々を送るようになった。

 早く近づきたくて、あの子と話すイメトレだけで頭がいっぱいになる。






「え、琉詩、口がくっとは思わんかったわ。」

 琉詩の唇が離れた後、時間差で颯真が反応した。想定外の出来事に颯真は体を後ろに倒していた。

「あ、ほんとごめん!。無意識だった。」

 か細く震えた謝罪が地面に向かってこぼれる。

 琉詩は間違えたのだと頭で処理すると、身体が冷えていく感覚が頭の隅から全身へ侵食していき、体は対照的に、熱く、硬くなって動かなくなった。自分ではその気はなくても泣いているような波を打った声が出てしまうことがある。え、あいつ泣いてるの?と言われるのが落ちである。そう知ってからは、大きな声を出すのが怖くなった。

 琉詩が落ち込んでいるのを察すると颯真はそんな謝んなくてもいいけど、と言いながら姿勢を直した。

 

 廊下から聞こえた新騎という名前にすぐ反応したのは颯真だった。颯真が横目に廊下を見ると、確かにこちらを見ていただろう新騎先輩が向きを変えて歩いていくところだった。

「あれ、新騎先輩たちだったな。なんか用事あったんかな。」


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