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5>> それぞれの…… 






 ムルダは諦めたように頭を振る。


「は〜……ロッチェン卿。

 ここは一旦互いの頭を冷やした方がいい。

 アリーチェは私が引き取ろう。もう荷物もまとめていた様だしな。

 ここに置いておいても(こじ)れるだけだ」


 ムルダの提案にロッチェンは疲れたように項垂れた。それを拒否するだけの気力はもう残ってはいなかった。


「そう……ですな……

 アリーチェは、もう後悔もしないのだな……?」


 苦し紛れにそう聞いてきた父親にアリーチェは到底父親に向ける眼差しではない視線を返した。


「そんな気持ちが残っているならもっと言葉を選びましたわ」


「そうだな……」


 アリーチェの言葉にロッチェンは長女を説得する事を諦めた。


 アリーチェが口にした言葉は全てアリーチェ自身も理解して使っていた言葉だろう。相手を傷付ける為だけに選ばれたあれらの言葉を思い出せば、アリーチェがこの家に残る気がさらさらない事が分かる。


 そして、『自分は不義の子である』と取れる発言。

 サバサを単純に傷付けるだけでなく、侯爵家の醜聞にも関わる事をアリーチェは人目のあるところでわざと大声で叫んでみせた。その言葉の真偽など関係ない。『そんな可能性がある()()()()()()』というだけで問題なのだ。

 この話を噂好きの貴族たちが放っておく訳がない。火消ししたところで一度付いた火種はどこかでずっと(くすぶ)り続ける事だろう。

 それをアリーチェは狙ってやったのだ。母親を(おとしい)れる為だけに……

 これはもう後から謝罪したところで(わだかま)りしか残らない。そんな言葉をアリーチェはわざと使ったのだ。


 修復不可能な亀裂を、アリーチェは自らの言葉で作った。

 そして、それをさせたのはロッチェンとサバサ(自分たち)なのだと、ロッチェンは理解している。それほどまでに、親である自分たちがアリーチェを追い詰めたのだと。

 今更、『家族の話は家族だけで解決する』とは言えない……

 アリーチェがこちらを既に敵視しているのだ。何を言ったところで警戒されてその心には届かないだろう。


 妻の言葉をただ鵜呑みにして、ほとんど言い返して来ずに全てを受け入れるアリーチェの事を、単純に『家の為を考えてくれる優しい素直な子』なのだと思い込んでいた。今日のアリーチェを見てそれが全て自分の都合の良い幻想なのだと気付かされた。


 アリーチェは自分が当主となり誰の指図も受けない立場になることを楽しみにしていたのだろう。大人しく従っていたのも、遠くない未来に確実に自分がこのエルカダ侯爵家の全権を握れる立場になると理解していたからだ。それはアリーチェの『自由』という目標になっていたのかもしれない。

 だとしたら……それを奪った上に人生をかけて『妹に忠誠を尽くせ』と()()されたとなれば、怒りを覚えて当然だろうと……今更ながらロッチェンは気付いた。

 ……だが今更、気付いたところで既に親への不信感しか持っていないアリーチェとどう向き合って話し合えばいいのか、どうやれば親に失望してしまった娘を説得できるのか、ロッチェンにはもう分からなかった……


 自分には無理だと悟ったロッチェンは自ら発言する気力もなく、ただムルダの提案を受け入れる形で簡単に今後の事を決めるしかなかった……






   ◇ ◇ ◇






 そしてアリーチェは伯父ムルダと共にエルカダ侯爵邸を離れた。

 生家を出て行くのに寂しがるどころか精々したような表情で出ていくアリーチェをルナリアは複雑な気持ちで見送った。


 嫌いだった姉が出て行ってくれてこちらの方が清々する、とは、とても言えそうになかった……


 ルナリアはアリーチェ()が嫌いだった。

 いつも暗い顔で常に取り澄ました顔をしていて、笑うこともなく、かと言って悲しむでもない姉がいつの間にか嫌いになっていた。家族をさも他人のように接するアリーチェのその感じがルナリアを毎回嫌な気持ちにさせたから。


 もっと小さい頃はそうではなかった。

 姉の側に行きたいと思ったし、姉と遊びたかった。姉妹でしかできない事をやってみたかった。勉強ばかりを優先して自分と遊んでくれない姉に寂しさを覚えた。母から姉が嫌がるから側に行っちゃいけませんと言われて本当に悲しかった。

 それなのに姉は自分を遠くから見てくる。その理由が分からなくて……姉のその目が怖かった……

 話しかけてもこない癖にそんな離れた場所から睨んでくるほどにお姉様は自分のことが嫌いなんだと思った。

 まともに話すこともなかったのにそういう小さいことが積み重なってどんどん姉に苦手意識を感じて……そしてどんどん嫌いになった……

 今考えるとあれは睨んでいたのではなく、こちらを(うらや)ましく見ていたのかもしれないと思える。

 常に一人で寂しかった姉が、どんな気持ちで両親に囲まれている自分を見ていたのか……ルナリアには想像もできなかった。


 そして、8歳の時にアリーチェにグリドという婚約者ができた。

 ルナリアはグリドを見て一目で彼にときめいた。そしてそんなグリドに優しくされてどんどん彼を好きになった。

 今思えば、グリドは単純に“自分の婚約者の妹”に優しく接していただけだったし、ルナリアは初めて身近に接する同世代の異性を特別視してしまっていただけだったのかもしれない。

 しかしそんな事をルナリア自身が気付くことはないし、ときめいた心はそのままどんどん膨れ上がって恋心になってしまった。ルナリアはグリドを特別な目で見るようになったし、そんなルナリアの目にはアリーチェのグリドへの対応はとても冷たいものに映った。

 そしてルナリアは思った。

『好きじゃないならわたくしに頂戴よ』

『お姉様が要らないのならわたくしが貰ったっていいじゃない』、と。


 そしてその話を母にしたら、母はルナリアを(たしな)めるどころかその気持ちに賛同してくれた。貴女のその気持ちを大事にしなさいと言ってくれた。

 だめだと叱られると思っていたから認められてルナリアは嬉しかった。グリドに想いを伝えれば、優秀な姉よりも自分を選んでくれてもっともっと嬉しかった。

 でも今になって冷静に考えてみると、姉の婚約者に秋波(しゅうは)を送る妹を(さと)すこともせずにむしろその背中を押す母親はおかしいと思える。……自分の婚約者の妹に言い寄られてそれを困りながらも“自ら受け入れた”グリドは……当事者以外から見た時……どう思われるだろうか、と……ルナリアは初めて自分たちの立場の危うさに気付いた……


 恋が実って浮かれていて……本来ならば一緒に居られないはずの相手と手を握って居られる幸せに舞い上がっていて、まともに周りが見えていなかった。


 姉の婚約者を奪った妹。

 婚約者の妹に手を出した男。

 そんな自分たちを世間はどんな目で見るだろうか……

 物語の中ならば『真実の愛を見つけた二人は皆に祝福されて幸せに暮らしました』で終わり二人は幸せになれるだろうが、現実は甘くない。『婚約』という『契約』を一時の感情で壊した二人を、今後付き合っていく人たちは信じてくれるだろうか……

 ルナリアは初めて自分たちを俯瞰で見ることができるようになっていた。


「お姉様……」


 居なくなってしまうと思うと今まで見えなかった部分が見えてきた。

 これから、アリーチェが居なくなったこの家がどうなるのか……ルナリアの胸に不安がじわじわと湧き上がって、とてもじゃないが笑える未来を想像できそうになかった。


 冷え切った指先を温める様に手を握る。

 しかし冷たくなった手指は冷たいままで、ルナリアの心までもを冷やしてしまう気がした………






   ◇ ◇ ◇






 エルカダ侯爵邸を離れイフィム伯爵邸に向かう馬車の中で、ムルダは自分の向かい側に座るアリーチェを見た。

 窓の外を見ているアリーチェの横顔からはその感情は読み取れない。


 静かな馬車の中でムルダは口を開いた。


「……それで、本当のところはどうなんだ?」


「どう、とは?」


 ムルダの顔を見たアリーチェは不思議そうに小首を傾げる。

 その感じにムルダは少しだけ笑ってしまった。


「アリーチェに似た若い男、だっけ?」


 そう言ったムルダの言葉に、あぁとアリーチェは眉を上げて見せた。そして口元に笑みを浮かべて目を細めた。

 

「ふふ、見たのは確かですわ。

 ほら、わたくしの髪も瞳もありきたりな色ですもの。

 似てるって思ったのは本当ですわ。


 だってわたくし、昔からよく“似てる”って言われてきましたもの」


 ──お父様に……─


 すこし悲しげに、それでも笑いながらそう言ったアリーチェにムルダの眉尻は困った様に下がった。


 アリーチェは嘘は吐いていない。

 “自分に似た『当時、若い男性』”には実際に会っている。その男性に優しく見つめられた事も事実だ。

 だが、その男性が『父方の親戚』で『名前も知っているお兄さん』である事を言わなかっただけだ。

 ロッチェンがその事に気付いて指摘してくるかと思ったが、ロッチェンはアリーチェから言われた『妻の不貞』に意識が持って行かれ過ぎていて『自分の親族の可能性』に思い至らなかったのだろう。そしてそれに気づきながらもアリーチェは何も言わなかった。そして『幼少期のおぼろげな記憶』として伝えた。それだけの事だ。

 だからこれに関しては、()()()()()()()()


「ははっ……

 サバサは実の娘にここまで嫌われているとはな」


 エルカダ侯爵家が開いたパーティーで、エルカダ家側の親族の中に見掛けた()()の一人を思い出してムルダは苦笑する。決して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()青年。いや、アリーチェが生まれる前と考えれば()()、か。

 ムルダでも思い当たるのだ。アリーチェの親であればすぐに気付いてもおかしくない事だ。それなのにロッチェンもサバサも二人共その事に思い当たることもなく、ただアリーチェの『言葉』に翻弄された。それだけ、二人がアリーチェに興味も関心もなかったのだと証明したようなものだ。そんな二人を見て、アリーチェはどんな気持ちになっていたのだろうか……


「気付いてやれず……すまなかった……」


「滅多に会えない伯父様に気付けという方が無理ですわ。

 ……今日、来てくださって嬉しかったです……

 ありがとうございます」


 そう言ってアリーチェは小さく頭を下げた。

 ムルダの心は痛む。アリーチェが頭を下げる事でも、感謝を言われる事でもないからだ。

 親戚といっても他家の者、それもムルダは当主で自分の家族も子供も居る。(サバサ)が意図して隠していた事を他人が気づくのは難しいのは分かる。が、だからと言って『自分には関係が無い』と思えるほど、ムルダは無神経ではなかった。

 ムルダが気付いて何かしらの行動を起こしていればここまでの大事(おおごと)にはならなかっただろう。それを申し訳なく思う。


 だが、妹に同情はしない。アリーチェがただ他人を傷付けて喜ぶような人間ではない事をよく知っているからだ。

 ムルダはアリーチェがずっとずっと我慢していた事を知っている。幼いアリーチェが唇を噛んで我慢してきた姿を遠目に見たこともある。大丈夫かと声を掛けたこともあるが、その言葉に大丈夫頑張れると返事をしたのはアリーチェだった。そんな我慢強いアリーチェの我慢を止めさせたのはどう考えても彼女の両親であり母親のサバサだ。

 アリーチェの18年間を考えると実の妹だといってもサバサに同情する気にはなれなかった。


 アリーチェは視線を下げて膝の上に置いていた自分の指先を見つめる。その伏せられた(まぶた)と長いまつ毛が震えるのをムルダは見た。


「……わたくしを次期当主のままにしていれば、お母様も“嘘吐き”にはならなかったのにね。

 お母様が先に嘘を吐いたのです。

 わたくし()嘘を吐いても、それはお互い様でしょう?」


 アリーチェは視線をムルダに向けて眉尻を下げながらも悪戯っ子のような顔をした。その表情が何故かムルダには叱られた幼子(おさなご)のように見えた。

 だがムルダにはアリーチェの本心までは分からない。内心を隠して(おど)けているようにも見えるアリーチェに、ムルダの心は小さく痛んだ。


 彼女はちゃんと泣いたのだろうか?


 そんな心配をしてしまう。

 だがそれを口にするのは無粋で。本心を隠して何事もなかったかのように振る舞うアリーチェにムルダは合わせた。


「はは、高い代償になったな」


 ムルダの言葉に何とも言えない顔で微笑むアリーチェにムルダは、これ以上この話題をしても彼女の心の傷を深くするだけかもしれないと思い、話題を変えた。


「それで、これからどうするつもりなんだい?」


 わざと明るく言われた言葉にアリーチェはムルダを見る。そして少しだけ躊躇(ちゅうちょ)した様に視線を彷徨(さまよ)わせると伏せ目がちにムルダに視線を合わせた。


「……隣国にでも行こうと思っております」


「隣国に?」


 アリーチェの言葉にムルダは少しだけ驚いた。そんなムルダから視線を外してアリーチェは自分の指先を見た。


「……もうこの国には居られませんもの。

 残っていても噂の的になって、迷惑にしかなりませんわ。

 侯爵家で折角たくさん勉強させられたんですから、この知識を活かして貴族の家庭教師になろうと思っておりますの。

 貴族のマナーなどはこの大陸にある国では共通ですもの。どこに行っても使えますわ。

 その為にも伯父様には後ろ盾になってほしいのですけれど……お願いできますでしょうか?」


 (うかが)うように見つめてくるアリーチェのその瞳の中に浮かんだ不安にムルダは気付いた。

 両親や妹を切り捨てて来たからと言ってアリーチェの心が単純に晴れやかになる訳がない。むしろ切り捨て切り替えたからこそ、これからの事を考えて不安で押しつぶされそうになっているに違いなかった。

 今のアリーチェが頼れる者はムルダやその関係者だけだ。エルカダ侯爵家の親族はこれから本家の醜聞の元となるであろうアリーチェを許さないかもしれない。アリーチェの言葉を信じるなら尚更、アリーチェが頼れるのはイフィム家だけになるだろう。

 アリーチェを迎えに行った時点でアリーチェを引き取るかもしれないと考えていたムルダは、むしろアリーチェの方から手を差し出してくれた事に安堵した。全ての大人に失望して身一つで家出されなくて良かったと、ムルダは内心安心していた。


 不安そうに瞳を揺らすアリーチェを安心させるようにムルダはやさしく笑う。


「大切な姪っ子だもの、それくらいは構わないよ」


 その言葉にアリーチェはホッとした表情を見せた。 

 ムルダはそんなアリーチェに最後にもう一度だけ確認する。


「でもアリーチェはそれでいいのかい?」


 負担にならないように軽い口調で言われた言葉に、アリーチェはムルダの瞳をじっと見た。

 そこにはもう後悔はなかった。


「はい。もう決めましたの」


 しっかりと返事をしたアリーチェにムルダは静かに目を閉じる。


「そうか」


 独り立ちを決めた姪っ子を、これから自分がしっかりと寄り添い支えようとムルダは思った。






   ◇ ◇ ◇






 それから数日後、手紙のやり取りでロッチェンとムルダが話し合った結果。アリーチェはイフィム伯爵家へと養子に入った。

 サバサが謝罪でもしていれば、もしかしたらまだやり直す可能性もあったかもしれないが、アリーチェの覚悟は揺らぐ事はなく、無理に家に戻そうとすればアリーチェが失踪するか最悪自害するかもしれないとムルダに言われれば、ロッチェンはもうどうする事もできなかった。




 アリーチェが居なくなったエルカダ侯爵家はただただ重い空気だけが漂っていた。

 サバサはそれもこれも全部全部アリーチェの所為だと怒り続け、家族だけでなく使用人たちをも鬱屈(うっくつ)とした気持ちにさせた。それが更にサバサを嫌な気持ちにさせてサバサのストレスとなった。


 そして更にサバサの心を乱したのはルナリアだった。

 あんなに懐いて慕ってくれていたのにあの日からルナリアはサバサと距離を取り始めた。お母様お母様と何かに付けて側に来ていた末娘が自分に笑顔を向けてくれなくなった事にショックを受けたサバサは更に荒れた。


 使用人たちが自分を見る目が気になった。外になんて怖くて行ける訳がなかった。


 夫はアリーチェの言葉を信じていないとサバサに言ってくれているが、世間までがそうだとは思えない。サバサは自分に突き付けられた『不貞』や『傷物』という“()()()”に怯えた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()だというのに、それを皆が疑ってくる。

 サバサがどれだけ否定しても皆どこか半信半疑で、それでもサバサに対しては「勿論信じている」と言った。今度はサバサの方がその言葉を信じることができなくなっていた。

 皆が心の底ではサバサの不貞を疑っているような気がしてサバサは吐き気がした。

 いろんな心労が押し寄せてきてサバサは部屋に引きこもるようになった。側に置いていた侍女の目すらも怖くなっていたサバサは誰からの面会も拒絶した。


 そんなサバサの元に突然姉が押しかけてきた。

 サバサはイフィム伯爵の『次女』。

 当然『長女』が居る。

 サバサは第一子に長男、第二子に長女の居る3人兄妹の末っ子だった。


 押し掛けてきたサバサの姉ヤーナは部屋に引きこもっていた妹と目が合うと怒っていた顔を更に吊り上げて妹を叱った。

 ヤーナはずっとサバサに手紙を送っていたがそれをサバサが無視していたのだ。長兄のムルダから話を聞いてサバサに会おうと何度も手紙を出したのにサバサはそれを無視した。だからヤーナはこうして押しかけてきたのだ。


 姉の姿を見たサバサは驚いた後にあからさまに嫌悪に顔を歪ませた。それ自体はヤーナは気にしない。自分が(サバサ)に嫌われているのはもうずっと昔から気付いていたからだ。だから結婚して家を出てからはサバサと直接連絡を取ることは一度もなかった。だが今回の事は親族として放置出来なかった。

 ヤーナはサバサの『姉』だから、尚更今回の事には我慢が出来なかった。


 サバサに詰め寄ったヤーナは、サバサに会ったらゆっくり会話をしようとか、順を追って話そうとか、怒らないで話をしようとか考えていたのに、サバサがあまりにも子供のような顔でそこにいたので、考えていたことが全部吹っ飛んで怒りに変わってしまった。


 子供のように拗ねて部屋に引きこもっていた、『母親』の立場にいるはずの妹に。



「貴女は何時まで『妹』でいる気なの!?

 アリーチェは貴女の娘でしょう!!

 “長女”に思うことがあるのなら、わたくしやお母様に言いなさいよ!!」


 突然押し掛けて来てそう怒鳴った実姉にサバサは最初唖然としたがすぐにその表情を怒りに染めて反論した。


「何も分からないお姉様に何も言われたくないわ!!

 何しに来たのよ?! お姉様になんか関係ないわ!! わたくしの家の事に口出ししないでよ!!」


「ならどうしてアリーチェは家に居ないの!!

 貴女がルナリアばかりを可愛がったからでしょう!?」


「何も知らないお姉様は黙っててよ!!

 わたくしの家の事はお姉様には関係ないわ!!!」


 そんな姉妹喧嘩を盛大に行って、慌ててやってきたロッチェンや使用人たちが頑張って止めるまで、姉妹は互いの主張を言い合うだけの喧嘩を続けた。






   ◇ ◇ ◇






 肩を怒らせたままヤーナが帰って行った後も、サバサは部屋で暴れ続けた。

 お姉様なんか。

 お姉様の所為で。

 お姉様が。


 わたくしは悪くない。

 わたくしは間違ってない。


 アリーチェが…………


 騒ぎ叫んだサバサが疲れ切り、大人しくなった頃に改めてロッチェンはサバサの部屋を訪れた。

 泣き腫らした目で夫を見たサバサはまた溢れてきた涙に顔を(しか)めて泣いた。


 その姿をロッチェンは(あわ)れだとは思ったが、だからといってその縮こまる肩を抱き締めて慰めてあげたいとは思えなかった……

 ただ静かにサバサの側に置いた椅子に座ったロッチェンにサバサは最初こそ何も言わずに黙って泣いていたが、その涙が止まる頃には、静かに口を開き始めた。


 サバサは静かにロッチェンに話す。

 今まで誰にも話したことのなかった気持ちを…………



アリーチェ(あの子)が……

 生まれたばかりのアリーチェ(あの子)を見た時……お義母様を思い浮かべてしまったの……あぁ、この子……お義母様に似てるって……

 きっとお義母様みたいな子に育つんだって思ったの…………

 貴方に似てた筈なのに……お義母様に似てるって思ってしまったのよ……だから……だから絶対、お義母様みたいな性格になるんだって……お義母様みたいに優しくない厳しい人になるんだって思ったの……

 そう思ったら……全然可愛くなくて。

 初めての子なのに全然可愛くなくて……

 ルナリアが生まれるまではわたくしがおかしいのかもしれないと思っていたけれど、生まれたばかりのルナリアは本当に可愛くてっ……、あぁ、()()()()()()()()、おかしかったのねって分かったの……

 だってお姉様もおかしかったもの。

 先に生まれたってだけで、わたくしより皆に褒められて……わたくしだって頑張ってたのに、次女だからって、お姉様より二番目の扱いされて……

 だからこのままだったらルナリアがわたくしみたいな扱いされちゃうんだって思ったの……わたくしが頑張らないとルナリアがわたくしの時みたいにかわいそうな扱いをされるんだって思ったの。

 アリーチェ(あの子)は長女に生まれた時点で恵まれてるんだからいいじゃない。男児じゃないから駄目なんだって言われない為に厳しくしたのだってアリーチェ(あの子)の為だもの。全部全部アリーチェ(あの子)の為だもの……っ。

 長女なんだからそれくらい当たり前じゃないっ!

 ルナリアは次女だからどう頑張ったってお姉様にはなれないのっ! だからかわいそうな次女を母親のわたくしが守ったっていいじゃない!! わたくしが守らなきゃいけなかったの!!

 長女なんだから妹の為に我慢して当然じゃない!!! ()()()なんだから!!!

 わたくしはおかしくないわよ!!

 妹を可愛がらない“()()()”がおかしいの!!

 なんでわたくしが叱られないといけないの!?! わたくしは間違ってないのに!?!

 アリーチェ(あの子)は長女なのよ!? なんで言う事を聞かないの?!

 母親はわたくしよ?!

 母親の言う事を聞くべきじゃないの?!

 わたくしの指示に従わないアリーチェ(あの子)がおかしいのよ!!

 なんでよ?! なんでこんな事になったの!?!

 わたくしは間違ってないのに!!

 わたくしは間違ってないわ!!!!」



 最後には泣き叫んでそう言ったサバサにロッチェンはただただ顔を悲痛に歪めた。

 ロッチェンはサバサが『姉』にこんなにもコンプレックスを持っているなんて知らなかった。

 ロッチェンとサバサの婚約が決まった時点で姉のヤーナは婚約者と仲良くしていたし、ヤーナの態度もサバサの家族の態度も誰もサバサに冷たくしているようには見えなかった。どちらかというとサバサの方がツンケンしていて、サバサに笑いかける家族を冷たくあしらっていた様にロッチェンには見えていたが、サバサ本人からすると違ったのかもしれない……

 大声を上げて子供のように泣き続ける妻にロッチェンは慰める言葉も無く寄り添った。

 それしかロッチェンにはできなかったから……


 その日からサバサは癇癪を起こすことはなくなったが、更に部屋に引きこもるようになった。

 そうなってもまだ、アリーチェに謝罪する言葉を言うことはなく、ずっとあの子が悪い長女が悪い次女はかわいそうなのにとサバサは言い続けていた。

 そんなサバサを皆が静観するしかなかった。




 そんなサバサの様子をムルダから聞かされたアリーチェは、呆れたように笑った。


「そんなことだろうと思いました……


 ……大した理由なんてないんですよね。親の心一つで子供なんて自由にできてしまうのだから…………


 あぁでも……まさか実の母親に『姉』である事を求められているとは想像もできませんでした。やっぱり()()()の事は、わたくしには理解できませんわ。


 まぁもうわたくしには関係のない人なので、

 どうでもいいんですけど」


 そう言ってアリーチェは実母のことをバッサリと切り捨てた。

 その、母親への未練など一切ない口振りに、ムルダの方が少し暗い気持ちになった。


 長兄として、もっと妹に寄り添うべきだったのだろうかとムルダの後悔が残ったのだった…………







【次→→→Title『サバサ』】

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― 新着の感想 ―
[良い点] 虐待されて育った子供は負の連鎖を繰り返す。 姉の出来が良すぎた、周りが姉を贔屓しすぎた、姉と比較され続けた 様々な原因があったのでしょうが言い訳にはなりませんね。ただ親というのは求められ…
[一言] おいこら妹。今さら気づいたんかーい。どう見てもあんたはど腐れ外道の加害者ポジションだよ。 しかし屑母親は更に酷い。もはや同情も免罪も一切不可能ですね。
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