4>> 引きずり出される言葉たち
◇ ◇ ◇
「違うっ!!
違う……っ、ただ……」
ルナリアの責めるような言葉にロッチェンは困ってしまう。
お飾りにするつもりはないが『ルナリアは何もしなくていいよ』と思っていたのは事実なので強く否定もできないのだ。
アリーチェがおかしな事を言い出さなければルナリアも『遊んで暮らせる』事を喜んで受け入れたはずなのに、アリーチェがルナリアを馬鹿にした言い方をした所為でルナリアはプライドを傷付けられて怒っている。そこに『遊んで暮らしていいんだよ』と伝えたところでその言葉は言葉通りの意味には取られないだろう。
甘い言葉は逆から見れば単純に馬鹿にしている様にしか聞こえない。『お前にはできないんだから何もするな』と言われて喜ぶ人はあまり居ないだろう。そしてルナリアはプライドが高い。そんなルナリアになんと伝え直せばいいのか、ロッチェンには分からなくなってしまった。
ただわたわたとするロッチェンに痺れを切らしたのかサバサがルナリアに向き合って口を開いた。
「アリーチェは既に旦那様の仕事を手伝っているのだから、アリーチェがこのまま仕事をしていれば貴女の負担も減るでしょう?!」
ルナリアに『貴女の為なのよ』と伝える為に言葉を発したその言葉を、アリーチェはまた正しい言葉に言い換える。
「ルナリアにはどうせ当主の仕事はできない、ですって」
「「アリーチェ!!」」
その小馬鹿にした言い方に両親は揃って非難する。しかしアリーチェはさも正しい主張だと言わんばかりの態度で続ける。
「わたくしがちゃんとしたお父様の娘なら、わたくしが当主の仕事をするならルナリアは要らないでしょう。
そして、わたくしがお父様の血を引いていないのなら、今度は王家への偽申告として然るべきところに訴えねばなりませんね。
そうなったらお母様はどんな罰を受けるかしら?」
アリーチェが目を据わらせて言い出した言葉にロッチェンは動揺した。
「偽申告など……っ」
しかし畳み掛けられた言葉の波に頭は混乱していてその言葉を強く否定する事もできない。ロッチェンの心に引っ掛かってしまった疑心を取り払う完璧な答えなど今は無いのだ。
そんな夫の反応にサバサはショックを受けた。馬鹿なことを言うなと一蹴するところで戸惑いを見せた夫に、サバサは我慢できなかった。
「あぁもうっ!! 頭がおかしくなりそうっ……!
わたくしは旦那様しか知りませんっ!! 貴女の歪んだ妄想など話さないでっ!!!」
ヒステリックに騒ぐ母親にアリーチェはどこまでも冷たかった。
「わたくしだってこんな事を言いたくありませんわ。
でも言わなければ、わたくしはこの家に奴隷のように繋ぎ止められそうなのですもの。もう手段は選んでいられません」
「奴隷などと……」
あんまりな例えにロッチェンはショックを受ける。その横でサバサは怒りのままに騒いだ。
「ならもうさっさと出て行きなさい!!
貴女など……っ、貴女など生まなければ良かったっ!!!」
「サバサっ!!」
妻の言葉にロッチェンは青褪めた。
◇ ◇ ◇
「あぁほらやっぱり。
わたくしはお母様が望んで出来た子供ではなかったのですね」
アリーチェはサバサの言葉を受けて尚、冷静に反応する。言い返されて絶句したのはサバサの方だった。
「なっ?!」
意図しない方に言葉を拾われてサバサは焦る。しかしそんな母を気にすることなくアリーチェは言葉を続ける。
「お母様も人が悪いわ。
望まぬ妊娠でできた子供をお父様の子供だと偽って、そしてその子供を自分たちに都合良く、実子の為の道具として使う為に育てるなんて。
わたくしの人生はお母様の所為で滅茶苦茶です。
わたくしはもうこれ以上、自分を殺して生きていたくはありませんわ」
サバサの言葉を拾って、サバサの意図とは違う話にしてしまうアリーチェに、サバサの心はもう耐えられなかった。
頭を抱えて髪を振り乱し、目をキツく瞑ってアリーチェの言葉を否定する。
「もういい加減にして!!
貴女は旦那様の子供です!!
貴女をっ、貴女をこの侯爵家の為に大切に育てたのになんでそんな風に言われなければいけないの!! この家に生まれたのなら、この家の為に尽くすのが子供の役目でしょうに!!
そんな、そんな許されない嘘を吐くなんてっ!!
貴女は悪魔よ!! 実の親にそんな事を言うなんて! 貴女は頭がおかしくなったのよ!!」
「まぁ。実の娘を18年間も虐げていた人が言う言葉でしょうか。
操り人形にしようとした娘がちゃんと自我を持っていた事がわかった途端に悪魔呼ばわりするなんて、お母様こそ酷いですわ」
「虐げてなどいません!! この家の為っ、貴女をこの家のっ……!」
泣きながら娘の言葉を否定するサバサにロッチェンは困惑したままだったが、それでも妻に寄り添うように名前を呼んだ。
「サバサ……」
しかしそんな両親のやり取りを見守ることなくアリーチェは自分の主張を繰り返す。
「もうその嘘はいいですわ。聞き飽きましたの。わたくしを『次期当主にする為に厳しく育てた』という嘘は。
わたくしを次期当主の座から下ろしたのは他の誰でもない、お母様ですのよ。
今更そんな嘘を信じるのは馬鹿なルナリアやお父様だけですわ」
「なっ!!」
「アリーチェ!!」
突然暴言を吐かれたルナリアは驚きの声を上げた。ロッチェンも流石に非難の声を掛ける。
「嘘じゃ……っ、嘘じゃない……っ!!!」
サバサはただもうアリーチェの言葉を否定するしかできなかった。涙が止まらないサバサは情けなく娘の前で号泣する。
しかしこれ以上の否定の言葉が出なくて、その事にまた絶望して頭を抱えた。
「あ、あぁ…………っ、あぁあああああっ!!!」
悲痛な声を上げた母にアリーチェはただただ呆れきった目を向ける。
「泣きたいのはわたくしですのに……お母様はそうやって自分を被害者側に置いてしまいますのね……」
小さな溜め息付きでアリーチェは呟く。その言葉は更にサバサの心を抉った。
「違うわ……違う……っ、わたくしは……っ」
全てを否定するように頭を振るサバサに、ただアリーチェは冷え切った視線を返す。
「わたくしの子供時代はもう帰ってはきませんの。
ルナリアみたいに大きなぬいぐるみが欲しかったし、ルナリアみたいにお父様やお母様と一緒にお散歩もしたかった。
お父様に抱っこされているルナリアが羨ましかった。
お母様におんぶしてもらえているルナリアが羨ましかった。
遊び回るルナリアを見て何故わたくしだけがと何度も思ったけれど、それもわたくしがこの家を継ぐのだから仕方がないと全部呑み込んできましたわ。
本当は庭を駆け回りたかった。
お花を摘んで花飾りを作りたかった。
お人形で遊んだり、お人形と一緒にピクニックなんかしてみたかった。
裸足になって川に入ってみたかった。
大きなピンクのリボンだって着けたかったし、ピンクのフリルがたくさんついたドレスも着てみたかった。
わたくしだけの為にケーキを買って来たって言って貰いたかったし、あれが食べたいこれが食べたくないなんて我が儘を言いたかった。
それももう、大人の体になったわたくしには出来ませんわ。
して良いと言われましても理性が働いて子供の様に純粋に楽しむなんてできる訳がありませんもの。
子供の時にしかできない事をわたくしは何一つできずに育ってきましたわ。
それもこれも全て、お父様とお母様の嘘のせい。
ルナリアでも良かったのならどうしてわたくしばかりに我慢させたの?」
アリーチェの声は静かだったが、だからこそ逆に、聞いていた者の心を揺らした。
◇ ◇ ◇
「そ、それは……」
ロッチェンは言葉が出ない。
「あ、貴女が……長女だからです!!」
サバサはその言葉を、それがとても正しい事だと言わんばかりに口にした。
そんな言葉をアリーチェが受け入れる訳がないのに。
「長女だと家の為に都合良く使われて、自分の人生を捨てなきゃいけないの?」
小首を傾げて問い返す長女に両親は困ってしまう。
「そんなつもりは……っ!」
「そんな、こと……っ」
何を言ってもアリーチェには自分が思っていることとは別の意味に取られてしまう。『揚げ足を取られるような言葉を使わなければいい』のだが、ロッチェンにはそんな自分たちにだけ都合の良い言葉は思い浮かんではこなかった。
戸惑う両親にアリーチェは続ける。
「長女だと妹の為に自分の時間を捧げなければいけないの?
自分で望んで長女に生まれた訳でもないのに?
ルナリアが長女に生まれていたらわたくしにした事をルナリアにさせたの?」
「まさかっ、……!」
「そんなことっ!!」
即否定した両親にアリーチェは笑う。
その寂しげな笑顔がロッチェンとサバサの心に刺さったがアリーチェが気にする事はなかった。
「ふふ、分かっているわ。
もしルナリアが長女なら、あなたたちは『次女のわたくし』を妹なんだからと冷遇したでしょうね」
アリーチェはさも当然だと言わんばかりにサラリと言った。
「そんな、ことは……」
「冷遇、なんて……」
ロッチェンとサバサはその言葉を否定するしかない。
ロッチェンはアリーチェの言葉を否定しながらも、心の中ではその言葉が正しいと思っている自分にも気づいていた……
だから尚更戸惑い……強く否定もできなかった。
◇ ◇ ◇
「……ごめんなさい、お姉様」
ずっと静かだったルナリアがアリーチェを見ていた。
「ルナリア……」
サバサが末娘の名を呟く。サバサはルナリアがアリーチェに謝った事に少なからずショックを受けていた。
そんな母を気にすることなく、ルナリアはアリーチェにツラそうに歪めた表情で視線を向けた。
「わたくし、何も見ていなかったわ。
お姉様が勉強ばかりしているのも、お庭に顔を出さないのも、遊びに誘っても断られるのも……、全部お姉様の意思だと思っていましたわ。
わたくし……何も考えていなかったのね……」
「ルナリ……」
ロッチェンが無意識に言葉を零す。
「あ、貴女が気にする事じゃないわ……っ」
サバサはルナリアを庇おうとした。
そんな両親を気にすることなくルナリアはアリーチェに向けて自分の気持ちを伝えた。
「……わたくし、子供の頃はずっとお姉様と遊びたかったの。
綺麗な花を見つけたらお姉様に持って行って上げたかった……
でもお母様が……、お姉様は勉強で忙しいから邪魔しちゃいけませんって……、わたくしが何故お姉様と一緒にお菓子を食べてはいけないかお母様に聞いた時も、お姉様は勉強の邪魔をされるのが一番嫌いなのよって言われて……」
ルナリアに言われてアリーチェは少しだけ驚いた。
「まぁ、お茶に誘ってくれようとしていたの?
わたくしも一度くらいルナリアと庭でゆっくりお菓子を食べてみたかったわ……
邪魔になんて思う訳がないじゃない。
むしろ誘ってもらえるのをずっとずっと待っていたのよ。だってそんな事がない限り、ずっと机に縛り付けられているみたいなものだったもの」
その言葉にルナリアは母親を睨みつけた。小さい頃に、母が一度でも自分たち姉妹を一緒に遊ばせてくれていたなら、今の二人は違った関係になれただろうと、今の会話だけでも窺い知れたからだった。
そんなルナリアの視線にサバサは心が冷え切り青褪める。
「あ、そんな……、わたくしが悪いというの……?」
酷いわ……、そう言いたそうな母の言葉に、アリーチェは呆れたような声で返した。
「少なくとも、わたくしとルナリアが一緒に遊べなかったのは、わたくしやルナリアが理由ではない、ということですわね」
何か間違ってます?
そう言いたそうな娘二人の視線にサバサは血の気の失せた手を合わせて震え、小さく頭を振った。
「わたくしは……わたくしは…………」
さめざめと泣き出した母親に、ルナリアさえも冷めた視線を向けていた。
◇ ◇ ◇
ずっと静観していたムルダが姿勢を正した。
そして静かに妹に話しかける。
「サバサ。お前は何故アリーチェに厳し過ぎる教育をしたのだ。そして、そんな事をしておきながら、何故アリーチェを次期当主の座から下ろしたのだ」
「わたくしは……」
「今は一旦アリーチェの血のことは置いておこう。
お前が正しくアリーチェが侯爵の子だと認識していたのなら、何故こんなにも露骨にアリーチェとルナリアに差を付けたのだ」
「そ、それは……」
実兄の静かだが怒りの籠もった声にサバサはまた違った震えを体に感じた。
言い淀み、返事をしたがらない母親にルナリアは黙っていられなかった。
「お母様の所為で、わたくしはお姉様との思い出を何一つ作ることができなかったのね。
わたくしはずっとお姉様に嫌われてるんだと思ってた……わたくしに笑いかけてくれないお姉様が嫌だった。いつも暗い顔をしているお姉様が嫌いだった。
……グリド様と一緒にいてもお姉様は嬉しくなさそうだから、それならわたくしがグリド様を貰ってもいいじゃないって思ったの……
でもそうね……
今考えると毎回お姉様とグリド様のお茶会の席にわたくしが居た事が不自然よね……
お母様に貴女も居ていいのよ家族になるのだから貴女もグリドくんと仲良くしなさいって言われて、それが当然なんだと思っていたわ……
あれってなんだったの?
お母様は何故わたくしにあんなことをさせたの?」
ルナリアは不意に浮かんだ疑問を母に投げかけた。考えてみたらおかしすぎる事だったが、今この時までルナリアは自分とグリドの関係に疑問を持たなかった。
「あ、あれは……っ」
サバサはどの疑問にも答えられない。
そんな妻を庇う為にロッチェンは口を開いた。
「サバサだけを責めないでくれ……子供の面倒をサバサに全て一任していた私にも非がある。
アリーチェは物分かりの良い大人しく従順な娘だと……、ルナリアは明るくて勉強は苦手だがとても心の優しい子だと……、サバサが言っている事をそのまま受け取り、自分の目では何一つ見ようとはしなかった。
……それがまさかここまでの事になるとは……」
ロッチェンは改めて気付いた問題点に眉間にシワを寄せて項垂れた。そんな夫の姿にサバサは傷付いた顔をした。
「あ、あなた……、そんな……っ」
ちゃんと庇ってはくれない夫にサバサは悲痛な声を出す。
しかしロッチェンはそれに答えてはくれずに、逆に問い質すような視線を向けた。
「……サバサ、答えてくれ。何故なんだ?」
ロッチェンにさえ問われてサバサはただただ戸惑う。
「…………わたくしは……」
◇ ◇ ◇
唇を震わせて言葉を紡ごうとするサバサに全員の視線が集中する。
その視線にサバサの心は恐怖する。
何の理由もなしにアリーチェに厳しくした訳ではない。理由があるからアリーチェとルナリアに違う態度を取った。無自覚でそれをしていた訳では無い。サバサだって自覚していた。
しかしそれを……
それを素直に言える程の勇気がサバサにはなかった。それに母親としてのプライドがサバサの口を閉じさせる。
全てを話してしまえば娘に負けてしまうような気がして、サバサの怯えていた心は一瞬にして怒りに染まった。
「わたくしはただこの侯爵家の事を思って行動しただけですわ!
何も間違った事はしておりません!!」
そう叫んだサバサの言葉にアリーチェは一瞬にして幻滅する。何が侯爵家の為だ。だったらアリーチェを次期当主にしておくべきだっただろう。それを全て壊して、まだ自分が侯爵家の為を思ってしたことだと『嘘』を吐く母親にアリーチェの残っていた全ての情が消え去った。
しかしそんな事に気付く筈もないサバサは自分の考えが正しいのだと全身で主張する。
「適材適所という言葉がある通り、アリーチェとルナリア、それぞれに適した役目を果たすべきなのです!
アリーチェが仕事をして、社交性のあるルナリアが社交界に出る!
なんらおかしいことではないでしょう!?!
姉妹二人でこの侯爵家を支えていってくれればいいと思ったのです!! その時に支えとなる夫に、好きな方と添い遂げられるならその方が良いとグリドくんの婚約者をアリーチェからルナリアに代えただけじゃない?! アリーチェだってグリドくんの事を好きじゃなかったのだから良いでしょう?! もっと貴女に合った男性を探してあげるんだからいいじゃない?! 大人しい貴女には同世代の子より年上の男性の方が合うと思った親心が何故分からないの!?!
わたくしだってちゃんと貴女の為に考えてあげてるんだから!!
それをなんで分かってくれないのよ!! 当主じゃなくなったからって何?! 当主の仕事はさせてあげるって言ってるじゃないの!?! 何が違うって言うのよ!? やることは同じでしょ!!
当主じゃなきゃ嫌だなんてっ、
それこそアリーチェの我が儘だわ!!!
わたくしはっ、……わたくしは、何も間違ったことはしておりません!!
全部この侯爵家の為なのですもの!!
当然、二人共わたくしが旦那様との間に産んだ子供ですわっ!!
他の男の種などと……っ、そんな気持ちの悪い侮辱を受ける謂れはありません!!!」
サバサの声は部屋に響いた。
しかし人の心には誰一人として響きはしなかった。
ムルダは冷めきったアリーチェの表情を見て疲れたように溜め息を吐いた。
これはもうどうすることもできないとその表情を見て悟った。
サバサは誰の疑問にも何一つ答えてはいない。
答える気さえないサバサとでは、このまま会話を続けても無駄だろうとムルダは思った。
ロッチェンに視線を向けたムルダにロッチェンも気付き視線を合わせる。
「こうなってはもう話し合いをしても意味はないだろう。どちらも意見を変える気がないみたいだからな」
そんなムルダの言葉にアリーチェは不思議そうに聞き返した。
「何のどこを変える必要があるのかも分からないのですが?」
そんなアリーチェの言葉にサバサが怒りを込めて反論する。
「わたくしは間違ってはおりませんわ!」
そんな二人のやり取りにムルダは堪らずにまた溜め息を吐いた。