3>> 話し合いという……
アリーチェにムルダ、そしてロッチェンにサバサにルナリアが応接室へと移動する。そしてメイドがソファに座ったそれぞれの前にお茶を出した後、数名の信頼する使用人だけを残して応接室の扉は閉められた。
全員が難しい顔をして口を閉ざす中、アリーチェが最初に口を開く。
それは先程まで向き合っていた母にではなく、後から来て今何が起こっているのか全く分かっていないルナリアに向けてだった。
「ルナリア、聞いて。
お母様とお父様は“馬鹿”で“知能の低い”貴女じゃ当主の仕事なんてできないから、わたくしに当主の仕事をさせようと言っているの」
開口一番にアリーチェが選んだ言葉にその場に居た全員がギョッとした。当然ルナリアは誰よりも反応した。
「馬鹿ですって?!」
座っていたソファから飛び上がらんばかりに驚いたルナリアはアリーチェを睨んだ。
「なっ?!」
サバサは言葉も出ない。
「そんな言い方はしてないだろう?!」
ロッチェンが慌てて否定するがアリーチェは冷めた目を返してきただけだった。そして、母や父には返事をせずにルナリアに向けてだけ話しかける。
「でもわたくしが当主の仕事をするなら、何もしない貴女は居る必要があると思う?」
小首を傾げてそんな事をルナリアに言うアリーチェにサバサが声を荒らげた。
「何を言っているの!?
ルナリアには跡継ぎを産んでもらう仕事がっ」
「あぁ、ルナリアでも“孕み腹”の役には立つわよね。
お母様は貴女が『子作りすることでしか役に立たない』って言ってるのよ」
サバサの言葉をアリーチェは言い換える。ルナリアに理解しやすいように。
「なっ?!」
その言葉にルナリアは絶句した。
「なんて事をっ!?」
サバサはあんまりな言い方に青褪める。
そんな二人を気にすることなくアリーチェはルナリアに語りかけた。
「でも貴女はそれでいいの?
両親から『子供を産むことにしか使えない娘』と思われているなんて」
憐れむように言われる言葉にルナリアは髪を掻きむしりたくなるほどの苛立ちを感じた。握った拳の中でぎりぎりと爪が皮膚に食い込むがそれすらも気にならないほどに腹が立った。
「ふざけないでよ!!
わたくしにはそれしかできないですって?!」
ルナリアは怒りのままに両親を怒鳴った。
「ちがっ!」
「そんな事言ってなっ」
サバサとロッチェンは慌てて否定するがルナリアの目は怒りに燃えている様だった。
そしてそんな3人を更に焚き付けるかの様にアリーチェは言葉を続ける。
嘘など一つも言っていない。全て事実だった。
ただ両親はこの言葉を表向きの言葉で彩って、さも正しいことを言っているように見せかけていただけで、アリーチェはそれを飾らない素の言葉にして口にしているだけだった。
アリーチェから『見た』両親の言葉を。
◇ ◇ ◇
アリーチェは困ったようにルナリアに話す。
「だってお母様やお父様は、この家の仕事をさせる為、だけに、わたくしをこの家に残そうと考えているのよ?
それって貴女が『馬鹿』で、当主の仕事がまともにできないから、仕事ができるわたくしがいなきゃ駄目って言ってるってことよね? わたくしが言っている訳じゃないわ。
わたくしはこの家を出て行くって言っているのに、お父様とお母様が拒否するのよ」
事実を口にして小さな溜め息と共にそんな事を言うアリーチェの言葉にルナリアは怒りで体を震わせる。
そしてその怒りの矛先は言葉を紡いだ姉ではなく両親だった。
「お姉様なんか必要ないわよ!!
お父様もお母様も何を考えてるんですか!? わたくしが次期当主だって言ってくれたのに、なんでお姉様を引き止めるのよ!?
お姉様ができる事ならわたくしにだってできるわ!! わたくしが当主なら、当主の仕事だってわたくしのものよ!!
孕み腹の役目しかできないですってっ?! ふざけんじゃないわよ!! わたくしはお飾りの当主になるつもりなんてないわ!!
お姉様なんて要らないのよ!!!」
喚くようにそう叫んだルナリアに両親は青褪め、アリーチェは同意するかのように頷いた。
「そうよね。わたくしもそう思っていたのにお父様やお母様が……」
アリーチェはルナリアに訴える。その言葉にサバサはもう我慢ができなかった。
「わたくしたちの所為にしないで?!
アリーチェ!! 貴女がおかしな事を言っているのでしょう!! わたくしたちはそんな事は一言も言ってはいないわ!!」
サバサに続いてロッチェンも焦りながらも否定する。
「そうだ!! 娘を孕み腹扱いなどするはずがないだろう!!!」
しかしそんな二人を冷めた目で見るアリーチェの心には何一つ届きはしない様だった。呆れた様な表情を作ってアリーチェは言葉を返す。
「あら? でも同じことですよね?
お父様もお母様も、『当主の仕事をさせる為だけにわたくしにこの家に残れ』って言っているのですから。
当主の仕事をしないルナリアなんて、ただの『子を産む道具』ではないですか」
「なっ?!違っ!!」
「そんな事言っていないと言っているでしょう!!」
言葉も出ないロッチェンと髪を振り乱して否定するサバサ。
そんな二人をただただアリーチェは冷めた目で見返した。
そんな中。
「……いえ……お姉様の言っている通りだわ……」
ルナリアは静かにそう言った。
「ルナリア……っ」
サバサはただ絶望を感じた……
◇ ◇ ◇
ルナリアは厳しい目で姉を見る。
「わたくしが当主となるのだから、当主の仕事はわたくしの物よ……!
お姉様に実権を握らせて、わたくしがお飾りになるなんて絶対に嫌……っ!
わたくしは馬鹿じゃないし子供を産むだけの道具じゃない……!!
次期当主がわたくしなら、この家の全てはわたくしの物よ!!
お姉様には何一つ触らせないっ!!」
その言葉に焦ったのは両親だ。
「だ、だが、お前には当主の仕事の仕方は何一つ教えていないじゃないか……っ」
「そうよっ、ルナリアが大変な仕事をする必要はないわっ!
嫌な事は全部アリーチェに任せて、貴女は楽しくグリドくんと笑って愛し合えばいいのよ……!」
可愛い末娘の為に必死に説得しようとする両親の言葉を補足するようにアリーチェは言葉を続ける。
「貴女は『男と裸で腰を振っていればいい』、ですって」
その極端な表現にその場に居たアリーチェ以外の目が見開かれる。ルナリアはその言葉に唖然とした。
「アリーチェっ!!」
「黙りなさい!!」
ロッチェンとサバサはアリーチェを叱る。アリーチェがおかしな言い方をする所為で自分たちが悪者にされようとしている。何故こんな言い方をされなければいけないのかとロッチェンとサバサは焦った。
このままではルナリアに誤解されてしまう。どうにかしなければと考えを巡らせるが、動揺した頭では適した言葉が浮かばなかった。
そんな二人を更に追い詰める声がする。
ルナリアの口から……
「……黙るのはお母様とお父様よ……」
静かに発せられたルナリアの言葉にロッチェンとサバサは青い顔を更に青くして愕然とルナリアを見た。
「なっ?!」「ルナリアっ!!」
しかしそんな二人に視線を向ける事もなく、ルナリアは静かな、しかし強い視線をアリーチェに向ける。
「出て行くのよね、お姉様」
落ち着いたその声にアリーチェもただ静かに返事をした。
「えぇ。だってわたくし、お父様の血を引いていないのですもの」
サラッと告げられた言葉にルナリアは目を見開く。玄関でのやり取りを聞いていなかったルナリアには初耳の言葉だった。
◇ ◇ ◇
「なっ! アリーチェ!!」
「貴女まだそんな事をっ!!」
両親は怒りとも焦りともつかない顔で驚いていた。しかしそんな二人を気にすることなくルナリアはアリーチェを見る。
「お姉様がお父様の血を引いていない?
どういう事ですの?」
「ルナリア! この子の戯言を聞かなくていいの!」
サバサが青褪めた顔でヒステリックに声を荒らげる。しかし二人の娘はそんな母に視線を向ける事すらしなかった。
アリーチェはルナリアと目を合わせたままで、困ったように自分の頬に手を添えた。
「言葉通りの意味よ。
貴女も一度はおかしいと思ったんじゃないかしら? お母様がなんでこんなにもわたくしに冷たいのかって」
「それは……」
ルナリアの言葉にサバサが被せるように反論する。
「厳しくしたのはっ」
しかしアリーチェはそれを無視する。
「“当主にする必要も無い娘”に、何故こんなにも冷たく、キツく当たるのか考えた時に、“わたくしがお父様の血を引いていないと考えれば”、一番しっくりくるのよ」
アリーチェは悲しげに目を伏せた。
そんな娘にサバサは違うと反論する。目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「貴方の妄想だわ!!」
何度も言わせないで!
とサバサが思ったところでアリーチェには届かない。
「それに……」
一度言い淀んだアリーチェは、意を決したかのように一度全員の顔を見回して言葉を続けた。
「それにわたくし見たのです。
まだ小さい頃に。
“自分にそっくりな若い男性”を」
「はぁ?!」
「なっ?!?!」
「まぁ……!」
青天の霹靂の様なアリーチェの爆弾発言に全員が口を開けて驚いた。
「わたくしも驚きましたわ。
まだ小さかったですし、相手の男性がなんで自分をジッと……愛おしそうに見てくるのか最初は分からなくて、でもよく見ればその方はお父様よりもわたくしに似ている気がして驚きましたの」
「嘘よっ!! 嘘よ嘘よ嘘よ!!!
アリーチェ! なぜそんな嘘を吐くのっ!!」
◇ ◇ ◇
とんでもないことを言い出した娘にサバサは髪を振り乱して否定した。もう聞いていられなくて両手で耳を塞ぐ。
しかしそんな母の反応にもアリーチェはただただ困ったように小首を傾げるだけだった。
「嘘と言われましても……」
事実は事実ですし……そんな事を言いたそうなアリーチェの声にサバサは怒りと焦りでこんがらがった感情で夫であるロッチェンに縋りついた。
「あなたっ! この子の嘘を信じないで!!
わたくしは貴方しか触れられていませんわ!! この子の言っている事は全部ウソです!!!」
困惑したままのロッチェンは何と返事をしていいのか分からない。ロッチェンの反応を待つことなくアリーチェは母に向けて言葉を放つ。
「ならお母様。
それをどう証明するのですか?」
しっかりと目を見てアリーチェは母に問うた。
「なっ!?」
「随分昔の話ですし、その男性を見たのもわたくしが小さい頃です。
お母様が侍女をずっと側に置いていたならば違いますが、お母様って時々誰も付けずに部屋やサロンに一人で居られましたよね? わたくしお母様が『誰も部屋に入れないで』と言って扉を閉めるところを何度か見たことがありますわ。
そんなお母様が、“男性と二人で会っていない”、とどう証明するのですか?」
「な、そ……っ?!」
「サバサ……」
アリーチェの問に言葉も出ないサバサの耳にロッチェンの困惑した声が届く。その声音にサバサは絶望を感じてロッチェンに向き合った。
「っ!? あなたっ!! 違います! 本当に違うのです!! この子の嘘です!!
わたくしは貴方以外の男性と二人っきりで会った事など御座いませんわ!! 信じてくださいませ!! 全てアリーチェの嘘ですわ!!!」
真っ青な顔でそう言うサバサに続ける様にアリーチェは静かな声で語る。その声はサバサのヒステリックな声よりもロッチェンの耳にすんなり入るようだった。
「口ではいくらでも言えますものね。
昔の事ですもの。証人さえ見つけられるかどうか……
わたくしもなにぶん小さい頃のことなので、自分が何歳だったのかも思い出せませんわ……
でも、実際に会ったのです。
“自分に似ている若い男性”に……その方に優しく見つめられた事を……」
「止めてっ!!!!」
サバサは悲鳴にも似た声で叫んだ。
「止めて止めてっ!! もうたくさん!!
貴女の嘘なんて聞きたくないわ!!」
サバサは叫ぶ。
しかしアリーチェはそんな母親を冷たい目で見返して冷静に返すだけだった。
「嘘じゃありませんもの。
嘘だと証明もできないのに、お母様こそわたくしを嘘吐き呼ばわりしないでください」
ただただ冷たい目で自分を見てくる長女を、サバサは涙が滲む目を憎しみに染めて睨みつけた。
◇ ◇ ◇
「貴女はっ!! 実の母親になんでこんな事をするの!!」
唾を飛ばしながらそう言ったサバサのその言葉に、初めてアリーチェの目が驚きで開かれた。そして……
「母親の自覚はお有りなのですね。
愛してくれた事は一度もありませんのに」
心底意外そうに言われた言葉にサバサは絶句する。
「っ!?!」
そんな母親と姉のやりとりを横で見ていたルナリアが口を開いた。
「……お姉様は拗ねておられますの?」
その言葉にアリーチェは小首を傾げる。
「……はい?」
聞き慣れない言葉を聞いたかのような姉の反応に、ルナリアは内心驚きながらも窺うようにアリーチェに問いかけた。
「お姉様はお母様に愛されなくて拗ねているように見えますわ。
酷いことを言って、気を引きたがっているみたい……」
その言葉はサバサの心にも響いた。
「ルナリア……」
サバサが溢れるように末娘の名前を呼ぶ。
アリーチェは驚いた顔を少しだけ悲しげに歪ませて……そしてルナリアに向けて苦笑いを浮かべた。
「……そう……かも、しれないわね……」
同意を示したアリーチェにサバサの心が揺れた。
「あ、アリーチェ……」
しかし……
「でも、だからって、お母様が他の男の種をどこからか貰って来たかもしれない事は別の話よ」
アリーチェははっきりと言い切った。
「アリーチェ!!」
サバサが非難の声を上げるがアリーチェはサバサを見もしない。
「わたくしも今更両親に幼子のように愛されても困りますもの。それに当主補佐とか言って体よく使われたくもありませんわ。
貴女だって、お飾りの、子を産むだけの当主になりたくないでしょう?」
アリーチェの言葉にルナリアは表情をきつくする。
「当たり前だわ」
そのルナリアの返事にアリーチェは同意するように頷いてみせた。
「だったら貴女からも言って頂戴。
お父様。
わたくしをこの家から除籍して下さい」
いきなり自分を見てそう言ったアリーチェにロッチェンはビクリと肩を跳ねさせて慌てた。
「そ、それは……」
言い淀むロッチェンにルナリアも違和感を覚えて口を開く。
「なぜそこで躊躇うの?
お父様はお姉様が言うように、わたくしをお飾りの当主にするつもりだったの……?」