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2>> 玄関で開戦 






 アリーチェは部屋を片付けていた。

 もうこの家に居るつもりはない。

 何を言われようとも出て行くと決めたのでアリーチェはメイドと一緒に自分の荷物を整理していた。

 もう必要な物は鞄に詰め終わった。残りをどう片付けようかと思案していた時、アリーチェの部屋の扉がノックもなく開いた。


「アリーチェ! 何をやっているの!」


 母サバサだった。


「貴女にお休みを与えた覚えはありませんよ! 早く今日の仕事に取り掛かりなさい!」


 そう騒いだサバサはアリーチェの部屋を見て一瞬驚いた顔をして動きを止めた。


「お母様……」


 アリーチェが衣装部屋の前で突然押しかけて来た母親を振り返って、少しだけ面倒臭そうな顔をした。それに直に気付いたサバサは怒り顔を更にムッとさせてアリーチェを睨む。


「遊んでいないで早く執務室へと行きなさい! 全く、何をやっているのかしら!」


「お母様。わたくしは次期当主を外されたのです。そんなわたくしがこれ以上この家の仕事に関わるのはおかしいですわ。わたくしの仕事は次期当主となるルナリアの仕事です。

 彼女が覚える邪魔をする訳にはいきませんわ」


 そう言ったアリーチェにサバサは更に目を釣り上げた。


「何を言っているの! この家の仕事は貴女の仕事でしょ!!」


「はい?」


 胸を張って怒鳴る母にアリーチェは呆れた顔で聞き返してしまった。

 家の仕事は『当主』の仕事だ。次期当主から降ろされたアリーチェからすれば、もう自分の手を離れたようなものだ。なのに母は何を言っているんだ、とアリーチェは思った。

 しかしそんなアリーチェの反応が更にサバサの怒りを刺激したのか、サバサは顔を赤くしてアリーチェを睨んだ。


「まさか次期当主じゃなくなったからって仕事をしなくていいなんて考えていないでしょうね! 貴女は当主の仕事をする為に育ってきたのです!

 その仕事をさせてあげると言っているですからちゃんとやりなさい! 当主はルナリアになりますが、あの子はその為の勉強は何一つしてこなかったのですから、それを助けるのは姉として当然でしょう!!」


 母がはっきりと口にした言葉にアリーチェの心はスッと(しら)ける。やはりこの人は……とアリーチェの視線が到底母親に向けるそれではなくなりそうになった時、控えめにその場に投げられる言葉があった。


「あ、あのう……

 イフィム伯爵がいらっしゃいました……」


 おどおどとしたメイドのその声から伝えられた言葉に、アリーチェはバッと母親から顔を背けて伝えに来たメイドの方を見た。


「まぁ! もういらして下さったのね!!」


 そう言うとアリーチェは大きな鞄を持って小走りで部屋を出て行った。アリーチェの後をメイドが一人、もう一つの鞄を持って追いかけて行く。

 その後ろ姿をポカンとした顔で見送ってしまったサバサがハッと我に返った顔をすると、


「アリーチェ! どこへ行くの!!」


と言って追いかけて行った。






   ◇ ◇ ◇






「伯父様!」


「やぁ、アリーチェ。久しぶり。

 あの手紙はなんだい?

 驚き過ぎで先触れもなく来てしまったよ」


 ムルダはエルカダ侯爵邸の玄関で久しぶりに会った姪に微笑んだ。そんな伯父に飛び付く勢いで近付いたアリーチェは両手で持っていた鞄を下に置くと伯父の手を取った。


「嬉しいですわ伯父様!

 わたくしもうこの家には居たくありませんの! 伯父様の家に置いて下さいませ!」


 嬉しそうに弾んだ声でそんな事を言うアリーチェに、後ろから追いかけてきた母は驚いて声を荒げた。


「アリーチェ!!」


 しかし直にアリーチェの前に自分の兄が居る事に気付くと慌てて姿勢を正して貴族の夫人としての顔を作る。


「まぁ、お兄様。何故こちらへ? 火急の用事でもありましたの?」


 そんなサバサに兄ムルダは少しだけ冷たい視線を向けた。


「あぁそうだね……

 何も話していないのかい?」


 サバサに短い返事を返したムルダはその流れのままにアリーチェに視線を移した。アリーチェは悲しそうに眉尻を下げて苦笑いを伯父に向ける。


「お母様はわたくしの話は聞いてくださらないもの……」


「何のお話? アリーチェ。説明しなさい」


 不穏な会話をしている二人にサバサは眉間に皺を寄せて問い(ただ)す。その態度は“子を叱ろうとする母親”のそれだったが、そんなサバサを振り返って視線を合わせたアリーチェの目は、とても母を見るそれではなかった。

 姿勢を正してアリーチェは母親と向き合う。


「わたくしはこの家を出て行きます。

 ここにはわたくしの居場所はありませんもの」






   ◇ ◇ ◇






 そんなアリーチェの言葉にサバサは目を見開いた。


「何を言っているの!

 貴女の仕事はたくさんあるでしょう!」


 怒りを滲ませて反論する母にアリーチェはどこまでも冷静に言葉を返す。


「それは次期当主となるルナリアの仕事です」


「何を言っているの?! 貴女は『当主の仕事』をする為に育ってきたのでしょう! その仕事をさせてあげると言っているのです!! 可愛い妹の為に陰で頑張るのも姉の務めでしょう!!

 次期当主から外されて拗ねているのね。なんて心の狭い子なのかしら!

 ただ“当主としての表向きの仕事”ができないだけでしょう?! それとも何? グリドくんをルナリアに取られたから嫉妬しているの? でもそれはアリーチェがグリドくんの心を繋ぎ止められなかったからいけないのでしょう?! 魅力の無い貴女がいけないのよ!! ルナリアの所為にしないで!!

 貴女にはそれ相応の相手を見つけてあげるわ。当主補佐の夫として、二人でルナリアたちを支えてもらわなければいけないのですからね! 少しくらい見た目に難があっても、年の差があっても問題ないわ。

 ちゃんと貴女の事も考えてあげているんだから、我が儘を言わないでちゃんと自分の仕事をしなさい!

 アリーチェ! 聞いているのっ??」


 怒鳴るようにそんな事を言ったサバサにムルダは目を疑った。アリーチェに貰った手紙を読んだ時は何を言い出したんだ我が姪はと思ったが、実際に目にするとあの手紙は何ら間違っていなかったのかと思えてしまう。


「サバサそれは……」


 ムルダがなんとも言えない声を出したと同時にアリーチェも母を呼んだ。


「お母様は……」


「何?」


 娘を正しく叱る母の顔でサバサはアリーチェを睨む。

 そんな母と目を合わせて、アリーチェはゆっくりと息を吸い込むとその口を開いた。



「お母様は、どこまでわたくしが嫌いなのですか!


 わたくしが、お母様を無理矢理犯して(はら)ませた男の子供だからって!!

 そんな、わたくしを奴隷のように扱おうとするなんて、酷いです!!!」


 叫ぶ様に放たれたアリーチェの言葉はエルカダ侯爵邸の玄関に響いた。事の成り行きを見守っていた使用人たちもあまりの発言内容に全員が目を見開いて驚く。


「なっ!?!?」


 サバサは驚愕し過ぎて一瞬息が止まった。


「アリーチェ……」


 ムルダは憐れむような視線をアリーチェに向けた。

 そんな兄の反応にもサバサは混乱して唇が震えた。ワナワナと全身が震える。


「な、何を言っているの貴女は!?!」


 突然訳の分からない事を言い出た娘にサバサはそう怒鳴るしかなかった。






   ◇ ◇ ◇






 アリーチェはキツく母を睨む。しかしその瞳は少し潤んでいた。

 アリーチェは声を張り上げて母に訴える。


「わたくしはお母様が、男に乱暴されて出来た子供なんですよね!! 知ってますわ!! 

 お母様は、そんな男の血が混ざっているわたくしが、心底お嫌いなんですよね!!!」


 大声でそんな事を言い出した娘にただただサバサは青褪める。


「何を言うの?!?!」


 反論しようとする母にアリーチェは両手で耳を塞いで目を閉じた。


「嘘は聞きたくありません!!

 わたくしがお父様の血を引いていないから、お母様はわたくしを次期当主の座から下ろしたのだって、みんな知ってます!!

 わたくしが、この家の血を引いていないからっ!!!!」


「止めなさい!!! 何を言うのよっ!?!?!!」


「いいえ、止めません!! お母様こそ、もう嘘は止めましょう!!

 わたくしがエルカダ侯爵家の血を引いているかのように装い、この家に縛り付けようとしないで下さい!!」


 声を張り上げるアリーチェにサバサも負けじと声を張り上げる。訳の分からない事を騒ぎ出した娘の言葉をどうにか消し去りたいかの様にサバサは叫んだ。


「貴女は旦那様の子です!!!」


 しかしアリーチェも負けない。


「そんな嘘っ! もう聞きたくありません!!!」


「嘘ではありません!! どうしてそんな事を言うのっ!?!?!」


 悲鳴にも似た母の声に、アリーチェは少しだけ声量を下げて言葉を続ける。


「……では何故、何故お母様はわたくしを憎んでいるのですか……?」


 悲しげな娘の言葉にサバサはそこで初めて怒りとは違う戸惑いを見せた。


「に、憎んでなど、いません!! さっきから何ですっ?! 何でそんな事を言うのですっ!?!」


「お母様がわたくしを愛してはいないからです!!

 一度も、生まれてから一度もお母様に愛されたことがありません!!!

 むしろ憎まれ、ずっと嫌われてきました!! 

 そんなわたくしが、今更お母様の言葉を信じられる訳がありませんわ!!」


「なっ!? 嫌ってなど……っ!?」


「ではっ、ではどうしてわたくしを愛しては下さらなかったのです!! ずっと厳しく、笑いかけてすら下さいませんでした!! あからさまにルナリアと差を付けて……っ! それはわたくしがお父様の子じゃないからでしょう!!」


「なっ!? 厳しくしていたのは貴女が次期当主だからでっ!!」


「その権利をわたくしから奪ったのはお母様ではないですか!!

 今更それが理由だと言われても信じられる訳がありません!!

 お母様はわたくしが生まれた時から嫌いだったのです!!


 何故ならそれは! わたくしがお母様を襲った男の子供だったから!!!」






   ◇ ◇ ◇






「止めてっ!!!」 


 遂にサバサは両手で耳を塞いで(かぶり)を振った。


「違うわっ!! なんでそんなおぞましい事を言うのっ?!?!

 貴女は旦那様のお子です!!!」


 声の限りにサバサは叫んだ。本当にアリーチェが何故こんな事を言い出したのか分からなかった。

 そんなサバサに救いの声が届く。


「何をしているんだっ!!!」


 玄関での騒ぎを聞きつけたロッチェンが小走りで近付いて来ていた。サバサはその姿を目に入れて安堵する。耳から離した両手を胸の前で握って夫に体を向けた。


「貴方っ、……アリーチェがっ」


 (すが)る様に話しかけきた自分の妻にロッチェンは鋭い視線を向けた。


「子供と一緒に騒ぐ者があるか!!

 どれだけの耳があると思っているんだ!!」


 その言葉に初めてサバサは周りの視線に気付いた。家の使用人たちやムルダが連れてきていたイフィム伯爵家の執事や侍従や護衛騎士たち。開いたままだった扉の向こうには偶々邸に来ていたと思われる商人らしき人が怯えた表情でこちらを(うかが)っていた。


「あっ……」


 サバサは一気に血の気が引いた。よろよろと数歩扉から下がる。

 そんなサバサを横目にロッチェンは娘にも鋭い視線を向けた。


「アリーチェもっ!」


 父親に怒られてアリーチェはただ口を閉じる。


「…………」


 その反応にロッチェンはある可能性に気付いて息を呑んだ。


「……お前、わざ」


 しかしその先を言う前にアリーチェが口を開いた。


「お父様。伯父様が来て下さいましたの」






   ◇ ◇ ◇






 アリーチェのその言葉にムルダは一歩前に出てロッチェンに頭を下げた。


「ロッチェン卿、ご無沙汰しております。

 先触れもなく押しかけてしまったこと、申し訳なく思います。しかしアリーチェから届いた手紙を読み、万が一の事を考えればゆっくりしている訳にもいかず、手紙よりも早くこの身で駆けてきた次第であります。

 ……その考えは……あながち外れてはいませんでしたな」


 下げた頭を上げながら細めた目を向けてくるムルダにロッチェンは気まずくなって視線を()らした。


「……いや……これは…………」


 言い淀むロッチェンにサバサは焦ったように声を荒げる。


「あなたっ! アリーチェがおかしな事を言うのですっ!! この子はわたくしを、母を馬鹿にしているのです!」


「止めないかっ!!」

「っ、でもっ!!」


 周りを気にせず話を続けようとする妻にロッチェンは苛立った。周りの使用人たちは居た堪れなさそうに視線を彷徨わせている。貴族の夫人なのにそんな事にも気付けない妻に失望を感じる。

 そんな二人を冷めた目で見つめていたムルダが小さくため息を吐いて口を開いた。


「一旦双方落ち着いた方が良い。そして場所も変えた方がいいな。

 ……今更感はあるが……」


 ムルダの提案にロッチェンは疲れたように目を閉じた。


「あぁ…………」


 そんなロッチェンを見て改めてサバサは周りの目に気付く。いくら信用して雇っている使用人たちだったとしても全ての口を閉じさせる事はできない。ましてや家の使用人でもない者たちの口は……


「あ……、あ…………」


 その事に気付いたサバサはただ青褪めて体を震わせた。



「もう、何の騒ぎですの?」


 場違いな声が玄関に響いた。

 その場にいた全員の視線がその声の主に集まる。

 全員の視線が一斉に自分に向けられてルナリアは驚いた。

 そんなルナリアにアリーチェは声を掛ける。


「丁度良かったわ。 

 ルナリア、貴女も来なさい。貴女にも関係のある話だから」


 声を掛けられたルナリアはアリーチェの方に視線を向けてそこに居たムルダに気付いて更に驚いた顔をした。


「あら伯父様!

 え? 一体何があったの……?」






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[一言] 能天気な妹… 正直、コイツにも特大のザマァが欲しい。
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