1>>砕けた心・姉動く
アリーチェは母に嫌われていた。
理由なんか知らない。
物心付いた頃にはもう母親から冷たくされて、妹と差を付けられていた。
妹のルナリアはアリーチェの一つ下で、姉のアリーチェから見ても可愛く守ってあげたい女の子だった。
アリーチェの焦げ茶色の髪色とは違うキラキラと光る金髪の髪色に、アリーチェの深緑の瞳の色とは違う晴れやかな空を思わせるような水色の瞳の色。
妹の色はどれも母と一緒だった。
それに比べてアリーチェは母の特徴を全く引き継げなかった。美しく、いつまでも可憐な母には似ずに、平凡な見た目のアリーチェ。
アリーチェは自分が母から嫌われている理由はそういうところにあるのだろうなと思っていた。
だが、嫌われてはいても少なからず娘として愛されているとは思っていた。
厳しく接するのも、貴女がこの家の跡取りだからよと母に言われ続けていたから、それを疑うことなく信じていた。
母が妹と二人で買い物に行くのも、外に遊びに行くのも、二人だけでお茶会を楽しんでいたとしても、その間にアリーチェは跡取りとしての勉強をしなければいけなかったとしても、母に「貴女は跡取りでしょう」と言われれば、それが当然の事なのだと思って妹が羨ましいと思う気持ちに蓋をした。
父も特に何も言わなかったから、アリーチェはどれだけ寂しくても、どれだけ母からの愛情が欲しくても、妹にするみたいに一度ぐらい母から笑顔で抱きしめてもらいたいと思っていても、『自分は将来この家を継ぐのだから』と自分を律して、全ての事を我慢して頑張ってきた。
アリーチェが8歳の頃にできた婚約者、ハーゼン侯爵家の次男グリドとのお茶会に、何故母が毎回ルナリアを連れてくるのかは不思議で仕方がなかったが、義兄と妹が将来の為に仲良くするのは当たり前、姉なのだから我が儘を言うんじゃありませんと母から怒られれば、そういうものなのだとアリーチェは沈黙した。
母親から言われる言葉は全て、『アリーチェが次期当主なのだから当然受け入れなさい』というものだった。
アリーチェは母の言う事に従い、どれだけ心の中では嫌だと思っていたとしても表には出さずに受け入れた。
しかしアリーチェが18歳になった時、その全てがひっくり返る出来事が起きた。
アリーチェの婚約者であるグリドとルナリアが恋仲になったのだ。
二人はアリーチェを居ないものとして扱い、中身の伴わない背徳感を栄養にしてどんどん仲を深めていった。
アリーチェからすれば『分かりきっていた結果』であったように、グリドとルナリアはアリーチェを二人の仲を引き裂く悪者にして親たちに訴えた。
その事は別にアリーチェは気にしてはいない。アリーチェは別にグリドの事をどうとも思っていなかったのでグリドがルナリアを好きだと言い出しても何とも思わなかった。むしろグリドとルナリアはいつか心を通わすだろうなとアリーチェは何となく思っていた。
だから分かりきっていた事に腹を立てるような事はしない。
だがそこで、アリーチェにはもう我慢ができない事が起こったのだ。
あれだけアリーチェに『お前は跡継ぎなのだから』と我慢を強いてきた母が言った。
「こんなに愛し合っている二人を引き裂くなんて可哀想よ。
幸いルナリアにはまだ婚約者がいないんだもの、グリドくんをルナリアの婚約者にすればいいのよ。
そうすれば全てが丸く収まるわ。
グリドくんの婚約者となったルナリアが跡継ぎとなり、この家を継げばいいのよ!
婚約者が姉から妹に代わるだけだもの、大した問題じゃないわ!」
はしゃぎながらそんな事を言う母にアリーチェの心は殺された。信じていた母により、アリーチェは生きてきた人生をその時全て否定されたのだ。
そしてそんな母の言葉を当然の事だと受け入れる妹や元婚約者に、反論もせずに受け入れた父親にも失望したアリーチェは、自分の人生を取り戻す為にペンを手に取った。
◇ ◇ ◇
父ロッチェンの執務室へと顔を出したアリーチェに、最初ロッチェンはアリーチェが妹に婚約者を取られ後継者の権利まで取られたことに泣き付いて来たのかと思った。
しかしそうではないとアリーチェの表情を見て直に察した。
アリーチェは、エルカダ侯爵家の長子として生まれた。年子のルナリアの二人姉妹。父であるロッチェンはエルカダ侯爵家の一人息子としてイフィム伯爵家より次女のサバサを妻に迎え、二人の娘を授かった。
ロッチェンは息子に恵まれなかった事には思う事もあったが、長女のアリーチェが優秀だった事もあり、後続への憂いは早々に解消していた。次女のルナリアは少し奔放で侯爵家の令嬢としては頼りないところもあったが、姉がいるからそれも問題にならないだろうとロッチェンは考えていた。
今回、アリーチェには可哀想な結果になったが、妻サバサが「あの子は聞き分けの良い子だから」と笑っていたので説得もできているのだろうと思っていた。
そんなロッチェンの前に現れたアリーチェの表情を見て、流石のロッチェンも『おや?』と思ったが、まず娘の話を聞いてやろうと寛大な父親の心でアリーチェの話を待った。
そんな父親に冷めた目を向けていたアリーチェが話を始める。
「お父様、いえ、エルカダ侯爵閣下。
わたくしをこの家より除籍してくださいませ」
「っな?!」
予想だにしなかったアリーチェの言葉にロッチェンは目を見開いて驚いた。
しかし娘の口から飛び出した驚きの言葉はそれだけではなかった。
「エルカダ侯爵閣下。
驚かずに聞いて下さいませ。
わたくしは、お父様の子供ではありません」
「なあっ?!?!」
アリーチェの言葉にロッチェンは大口を開けて驚くことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
アリーチェはとんでもない問題発言をしているとは思えない程に冷静に話を続ける。
「ずっと不思議だったのです。
何故こんなにもわたくしは“お母様に嫌われている”のか……
いえ、嫌われているなんて言葉では緩すぎる、恨まれていると言っていいほどに憎まれているのか……ずっと不思議だったのです」
「憎んでいるなど……」
「お父様はお母様からのあの視線を受けた事がないから分からないのです。
わたくしは物心付いた頃にはもうお母様から睨まれておりました。優しい眼差しなど貰った事はありません……」
そう言って少しだけ下を向いたアリーチェが小さく鼻をすする。その事にロッチェンの心が少しだけ軋んだ。
「厳しくされるのは自分が跡継ぎだからだと信じていました。
ルナリアがいつまで経っても無邪気に笑って遊んでいて……あぁわたくしが同じ歳の頃にはもう勉強詰めだったのにルナリアは許されるのだなぁと思っていても、それはわたくしが跡継ぎだから仕方ないのであって、お母様がわたくしに厳しく当たるのも、わたくしが跡継ぎだからこその愛情なのだと思っていました。
だからどれだけ寂しくても耐えられたのです。
ですが今回、わたくしが跡継ぎから外されて、それをお母様が率先して行っているのを見て。
あぁ、全てが違ったんだな……って思ったんです……」
アリーチェの言葉にロッチェンは喉が渇くのを唾を飲み込んで潤し、先を促した。
「そ、それが何故、私の子ではないという結論になったんだ……?」
アリーチェは目を閉じて悲しそうに眉を寄せた。
「……お母様から厳しくされていたのも、冷たくされていたのも、時には叩かれたことも」
「何っ?!」
初めて聞いた事にロッチェンは驚愕した。
「それも全てわたくしが後継者だからこその愛情の裏返しだと思っていたのですがそうではなかったと分かったので、単純にわたくしは『お母様に嫌われていた』事になります。
物心付いた頃からですよ?
わたくしがわたくしとしての自我もまともに理解していない時期から、わたくしはお母様に憎むほどに嫌われていたのです。
一体どんな理由があるというのでしょう。
わたくしは考えました。
色々考えた結果。一番納得する結論が出たのです」
「そ、それは……?」
ゴクリ、とロッチェンの喉が鳴った。
アリーチェはそんな父と目を合わせてジッとその目を見て口を開いた。
「わたくしが、お父様の子ではなく、
お母様が誰かに犯されて授かった“罪の子”だということです」
「なあっ???!!!」
アリーチェの発言にロッチェンはもう顎が外れる思いだった。
◇ ◇ ◇
アリーチェは瞳を潤ませながら訴える。
「それなら辻褄が合うのですっ!
わたくしが物心付いた頃からお母様に嫌われていた理由がっ!!
お母様が誰かに無理矢理犯されて! 堕ろすことも、誰かに話すこともできずに産むしかなく! 愛してもいない自分を汚した男の血を引く子供が産まれてきたことへのお母様の気持ちっ!!
殺してしまいたいくらいに憎い赤子は、侯爵家の長女として産まれてしまいっ、手に掛けることもできなくなった!!
そして次に産まれた『お父様の血を引く娘』! それがどれだけ可愛い事かっ!
子供が居ないわたくしでも想像が付きますわっ……!
本当ならお母様はわたくしの顔など見たくもなかったでしょう……っ、でもわたくしが長女として生まれてしまった以上、どうする事もできなかった……
お母様は憎い憎いわたくしをどうやってこの侯爵家の跡取りから引き摺り下ろすかを考えたでしょうね……だって侯爵家の血を引いていないのですもの……
汚れたこの紛い物の血をどうやってこの侯爵家から排除するか、随分悩まれたでしょうね……そしてお母様は考えつかれたのです。
わたくしからルナリアへ跡継ぎを変える方法を……」
「まさかそれが……」
「えぇ、婚約者の変更です。
おかしいと思っていたのです。
何故お母様はわたくしとグリド様との時間にルナリアを必ず同席させたがるのか」
「か、必ず、だと?」
アリーチェの言葉にロッチェンは更に驚いた。しかしそんなロッチェンの反応の方にアリーチェは驚く。
「あら? お父様は知らなかったのですか?
ルナリアは最初からずっとわたくしとグリド様の間にいましたのよ?
それもお母様の指示で。
お母様に、貴女は姉なのだからと言われて……未だに何故姉だから自分の婚約者と妹が親しくなっていくのを見守らなければいけないのか分からないのですけれど……それが『婚約者を交換する為』だったのだと考えれば、納得できますわ」
「そ、そんな……最初から、だと、言うのか…………」
アリーチェの言葉にロッチェンはただただ驚き、そして青褪める。『何を馬鹿なことを言っているんだ』と思えないのだ。
アリーチェの話し方は嘘を言っている様には聞こえない上に、ロッチェン自身も自分の妻の長女への対応が次女に比べてキツいものがあるなとは思っていたからだ。
その理由をずっと『後継者だから』だと思っていたのはロッチェンも同じで、今その理由が無くなった状態で『別の理由』を提示されてしまえば、それを否定するほどの理由がロッチェンには思い浮かばなかった。
『サバサはお前を愛しているよ』と言えればいいのだが、ずっとこの母と娘を側で見てきたロッチェンには、そんな言葉は浮かばなかった。
◇ ◇ ◇
突然浮上した妻の不貞行為……と言っていいのかも分からない可能性にロッチェンが青褪め唇を震わせる。
そんな父親に、アリーチェは困った様に眉尻を下げて苦笑した。
「最初の顔合わせの時からルナリアは居たではありませんか。お父様も居られましたでしょ?」
「さ、最初は、だ」
「最初はわたくしも、婚約者との顔合わせに妹が居ても気になりませんでしたわ……」
「そういえば……グリドくんとお前の初めての顔合わせの時にルナリアも同席させるべきだと言ったのもサバサだったな……
あの時はてっきり仲間外れにされるルナリアがかわいそうだからだと思っていたが……まさかそれがずっと続いていたとは…………」
ロッチェンはさすがに思うところがあるのか顎に手を当てて考えるようにアリーチェから視線を外した。
そんな父をジッと見つめながらアリーチェは続ける。
「最初の頃はグリド様も怪訝な表情をされておりましたもの。何故婚約者となる相手の妹がずっと同席しているのかと……
ですが回数を重ねると気にされなくなり、その内にわたくしよりルナリアの顔を見た時の方が嬉しそうにされるようになりましたわ……
そしてある時ルナリアが遅れた時がありましたの。
別にルナリアが常に居る必要など本来ならありませんから、妹が居ない事の方が普通の筈なのですけれど、グリド様はルナリアが居ないことを残念にされていましたわ……
あれもきっとお母様の計算だったのかもしれないと……、後で気づいたのです。
男性を落とす駆け引きというものがあると耳にしたことがありますもの」
「…………」
アリーチェの話に流石にロッチェンも何も言えなくなる。だがアリーチェの話は終わらない。
「お母様はずっとずっと、わたくしに長女だから姉だからと我慢だけを強いてきましたわ。
愛された事もなく、理由の分からぬ憎しみをぶつけられるだけ……
物心付いた頃から嫌われていたのですもの。
『生まれた事自体を疎まれている』と考える方が自然ではありませんか?
そして、その理由を考えた時に……
お母様がお父様とは違う男性に犯されてわたくしが出来てしまったからお母様はわたくしを毛嫌いしてるんだと考えれば、全ての辻褄が合うのです」
「そ、そんな…………」
ロッチェンはその可能性に全身の血の気が引くのを感じた。
そんな父を労るように、アリーチェは少しだけ微笑む。そして……
「お父様のショックはよく分かります。
けど一番ツラいのは……わたくしでもなく……
無理矢理に男に犯されて子供まで産むことになったお母様ですわ……」
アリーチェははっきりと言い切った。
それがただの憶測には到底聞こえないような声の強さで。
「あぁ、サバサ……」
突然浮上した妻の秘密にロッチェンは顔を両手で覆って下を向いた。
あり得ない、と言えないのは昔の事過ぎるからだ。実際に起こった事だとすればアリーチェの生まれる前の出来事になる。しかも事が事だけに人知れず行われた行為だろう。そんな事を昔からいる使用人に聞いても覚えてもいないどころかそもそも知ってもいないだろう。誰かが知っていればロッチェンの耳に入る。
「ですからお父様……いえ、エルカダ侯爵閣下。
わたくしをこの家より除籍してください」
◇ ◇ ◇
「待ってくれ。
しかしその話は全部アリーチェの想像だろう? サバサに直接聞いたのか?」
「なっ!? お母様に直接聞くなんてっ!?! そんな酷いこと考えないで下さい!!」
ロッチェンの提案をアリーチェはゾッとした様な表情で即否定した。
なんて事を言うんだ、とその目がロッチェンを非難する。
「なっ!?」
アリーチェの反応に驚いたのはロッチェンの方だ。
本人に確認を取るのが先だろうと思うロッチェンに対して、アリーチェは自分の体を両手で抱くようにして心底悲しそうにロッチェンを見つめた。
「女が……無理矢理に犯されたのですよ……? そんな記憶を……いくら時間が経っていようとも、思い出させるなんてそんな酷いことをしないでください……っ!
お母様は体だけでなく、心まで汚されたのですよ?! それを今更思い出させるなんて酷すぎます……っ!!」
泣きそうな表情で訴える娘の勢いにロッチェンはたじろぐ。
「し、しかし……」
言い淀むロッチェンに遂にアリーチェはその瞳から一粒の涙を流した。それはロッチェンが初めて見る、長女の悲しみの姿だった。
「わたくしが……この家を出ればいいだけなのです。
お父様に真実をお話ししたのは、知ってもらわなければお父様はずっと、自分の血を引かない不義の子を自分の子だと思い、わたくしを手放しはしないだろうと思ったからです。
お優しいお父様の事ですもの。お母様を信じたい気持ちでいっぱいでしょうけれど、お母様が今までずっとわたくしにしてきたことを考えると、やはりそうとしか考えられないのです」
「しかし…………」
「お母様には言わないでください!
お母様が可哀想ですもの……っ!
昔のツラい体験を思い出して更にお母様を傷付ける必要などありませんわっ!
わたくしをただこの家より除籍してくださればいいのです。
理由は色々と付けられますでしょ?
婚約が無くなり、後継ぎでもなくなったわたくしはこの家のお荷物ですもの。早くこの家から居なくなった方がいいのですわ」
その言葉にロッチェンは思わず反応した。
「そんな事はない! ……お前にはルナリアの補佐について欲しいと思っているのだ……」
「まぁお父様! お父様の血を持たない他人の子を、それもお母様を汚したかもしれない男の子供を、お父様はこれからも娘として側に置けるというのですかっ?!」
「っ……!」
アリーチェの言葉がロッチェンの心に刺さる。
妻を疑いたくはないが、それを否定できる証拠など今のところ何もない。それどころか『妻は長女を昔から冷遇していた』という事実がロッチェンの頭を満たした。
そんなロッチェンに畳み掛けるようにアリーチェは訴える。
「わたくしは自分が、お母様が無理矢理男に犯されてできた子供だと思っておりますが……もし、もし万が一……
お母様が自ら受け入れて、お父様以外の男性に抱かれていたとしたら……」
「っ?!」
アリーチェの言葉にロッチェンは頭を鈍器で殴られたような気がした。
◇ ◇ ◇
さらに浮上してきた『妻の不倫の可能性』がロッチェンに追い打ちをかける。
「……それこそ、尚更この家に……お父様やルナリアの側にわたくしが居ることは出来ませんわ…………」
「……そん、……な…………」
サバサが不倫したかもしれない……
サバサが自ら自分以外の男に体を許したかもしれない……
その可能性に、ロッチェンは目の前が暗くなる思いだった。
そんなショックを受けている父にアリーチェは優しく声を掛ける。
その眼差しは、本当に、心から父親を思っている様だった……
「……大丈夫ですわお父様。
ルナリアにはグリド様が居てくれます。むしろわたくしがこのままルナリアの側に居ては、それこそルナリアの心の負担となりますわ。
あの子は優しい子ですもの。わたくしがあの子の側にいれば、あの子はずっと『姉の婚約者を寝取った女』のレッテルを貼られて生きなければならなくなりますわ。
そんなことになる前に、お父様の血を引かないわたくしを、この家から除籍してくださいませ。
わたくしの事は心配いりません。
ムルダ伯父様にお手紙を出しました。2、3日もすれば迎えに来てくださいますわ」
「なっ?! ムルダに知らせたのか?!」
ロッチェンの混乱した頭に更に混乱しそうな事を言われてつい大声を出してしまった。
ムルダとは妻サバサの兄だ。今は家を継いでイフィム伯爵当主をしている。
驚く父のそんな反応にアリーチェは不思議そうに小首を傾げた。
「えぇ、当然お知らせしましたわ?
だってわたくしを引き取って欲しいとお願いするのですもの、その理由を話さないことには理解してもらえませんもの」
「なんということを……」
手で顔を覆ってしまった父にアリーチェは不思議そうに聞き返す。
「間違ってはおりませんでしょう?
むしろわたくしがこの家に居ることが間違っているのです。
わたくしはお父様の血を引いてはおりませんが、お母様のお腹の中から生まれてきたことには間違いがありませんもの。でしたらわたくしは間違いなくイフィム伯爵家の血は引いておりますわ。
ですから少しだけイフィム伯爵家にお世話になろうと思いますの」
「ま、待ってくれ……」
決定事項のように話すアリーチェにロッチェンはついて行けない。話を整理する間も与えてくれない娘にロッチェンはそんな言葉しか返せなかった。
そんな父にアリーチェは寄り添うような優しい声を掛ける。
──あぁ、かわいそうなお父様……妻に裏切られていた事も知らずに今まで他の男の血を引く娘を育てていたなんて……それすらも知らずに生きていたなんて……かわいそうに……嘘吐きな妻で、汚れた妻で、他人の手垢の付いた女が貴方の妻だなんて……かわいそうに……──
そんな声が聞こえてきそうな同情に満ちているかのように思わせるアリーチェの声音に、ロッチェンの頭はただただ混乱した。
そんな父を理解しているかのようにアリーチェは優しく声を掛ける。
「こんな話を突然されて、混乱されているのはわかりますわ。
ですがお母様の為にも、伯父様が来るまでにはわたくしの除籍処分状を用意しておいて下さいませ。
お母様が、これ以上、“自分を無理矢理に犯した男”の娘の顔を見て、心を傷付けずに済むように……」
さもそれが事実かのように話すアリーチェの言葉を、ロッチェンは否定することすら出来なくなっていた。