3.はじめてのお誘い(3)
いいタイミングで駅に着いた。朝夕以外は一時間に一本の電車が駅に近づいていた。構外のフェンス越しに二人で到着した電車を眺める。一時間に一本さらにその電車が二両編成なのがここがどの程度の田舎なのかを強調した。
「びっくりしたでしょ」
「びっくりした。こんなにたくさん花が飾られてるなんてすごく綺麗だね」
あまりに寂れて、という意味で言ったのだが。確かに駅には至る所に花が飾られている。四季折々の花が一年を通して。確かに都市部の駅ではあまり見られない景色だ。いつも見る景色だから当たり前と思っていたが、改めてこの景色を見ると確かに悪くない。違う角度から物事を見るのは大切なのだと教えられた気分だ。
「確かに、綺麗だね。飲み物買ってくるからそこのベンチで待っててよ」
駅の構内、切符売り場近くの自販機でお茶を二本買い、花御さんの元へと戻るとベンチに座り何かを一生懸命に書き込んでいた。彼女は戻って来た僕を見て笑顔で手を振り書いていたものを鞄に戻した。
「お待たせ、二両編成の短い電車なんてあまり見ないでしょ」
「短い電車、と言うか電車自体をこんな風にしっかりと見たのが初めてかもしれない」
「電車自体を?…そっか、忙しい毎日を過ごしてるんだね」
「過ごしてた……かな」
「過ごしてた…か。…まぁ、今こうして電車や駅の花を眺めながらコロッケを堪能できてるんだからとりあえず、よかったって事にしておこう」
うん、と頷く彼女ではあったが含みがその笑顔には隠れていた。夏の猛暑の中コロッケを食べたが、流石にこれ以上女性を紫外線に晒し続けるのも気が引け喫茶店へ誘い他愛もない話をした。気づけば時計は六時を差していたので、他に見たい場所が無ければ家まで送ると伝えた。
「但馬君の好きな場所があれば教えてよ」
好きな場所、あるにはあるがじじいはもとよりか誰にも教えた事がない本当に自分だけがよく立ち寄る場所なだけに教える事に躊躇した。いつもと変わらない屈託のない笑顔でこちらの答えを待つ花御さんの顔を見るとやはり誤魔化しづらい。諦めて彼女を乗せて自転車を走らせた。
山間に位置するこの町の中央を県を跨いで流れる川、別段特出する点もない川ではあるが、僕はその川を眺めるのが嫌いではない。あまり知られていない自転車一台が通れるほどの細い道で河川敷へ降りる。背の高い雑草が生い茂る中自転車一台分の路が川辺まで続いているのが僕がここへ通う頻度を物語る。路を抜けると開けた場所にでる、そしてすぐ目の前に川現れた。夏の太陽はまだ沈まずオレンジ色の光が世界を綺麗に色づけている。
「好きかはよくわからないけど、ここが良く来る場所だよ」
「すごい、なんだか秘密基地みたいだね」
「小学生じゃないんだから、…でも確かに言われると秘密基地っぽいね」
「この川の名前知ってる?」
「吉乃川だよ。たしか花御さんの住んでいた県にも流れてるはずだよ」
「あっちでは紀泉川って名前だったよ。なんだか同じ川なのに名前が変わるって不思議だね」
今日の彼女の意見はいちいちもっともだ。県境を機に変わる名前、互いの県の人間が同じ川の話をしても名称が違えば印象も変わってしまうだろうに、しかしそれぞれの場所でそれぞれの記憶に残っていればもはや違う物なのかもしれない。川なんてものは自然な物、同じ県内で見たとしても見る場所で印象は大分変わる、結局名前なんてものはそれを呼ぶ為の名称でしかないのだろう。僕は側に落ちていた小石を拾い上げ夕日にかざした。
「不思議か…、例えばこの小石に僕が名前をつけたとして花御さんはその名前でこの小石を呼ぶ?」
「呼ばない…かな」
「だよね、きっと誰も呼ばないよ。だって僕という人間に影響力も支配力も洗脳力も何もかもないからね。結局名前にしろ何にしろ力のある人達が勝手につけてそう呼んでいるんだよきっと」
「但馬君って、普段ふざけてるのにたまには哲学者みたいなことも言うんだね」
「…今のは聞かなかった事にして。」
普段表に出さない自分を見られて恥ずかしくなり頭を抱えて座り込む。
「但馬君、て、提案がありまふ」
僕の恥ずかしさをいとも簡単に吹き飛ばす新たな呪文【ありまふ】今度は某発行部数No.1漫画の大きい人達の王国のお名前かと、耳を疑ったが僕は数日とはいえ彼女と接して他の呪文を聞いていたからわかる。噛んだのだ。
僕は人に期待しない、信じない、交わらない。これを大事にしようと一年前に決めた。決めた。そう、僕は心に決めたはずだ。なのに花御さんの真っ直ぐさは僕の軟弱な決意を容易く解いてしまう。
「どんな提案?」
本当は【どんな提案でふか】と言いたかったがそれを言うと彼女を馬鹿にしているようで言えなかった。
「わ、私と交換日記しませんか?」
そう言って差し出した手の先にはさっき買ったばかりのピンク色のウサギとカメのイラストが描かれたノートが握られていた。おいおい、そんなに強く握ったらノートにシワがつく。なんてどうでもいいことを考えて頭を誑かそうとするが、やはりだめだ。真っ直ぐな人には真っ直ぐな答えを。だ。
「…俺、字、結構汚いんだけど。」
「わ、私も綺麗じゃないから問題ないでしゅ」
噛んだことにツッコミを入れたくなる、関西人の悲しい宿命だ。真っ直ぐなのが正義だとは思っていないが真っ直ぐな人と接するとつい心地良くなる。
「…交換日記って、何を書けばいいの?」
「好きに書いてくれたらいいよ、もう私が先に書いたから返事書いてくれたら…嬉しい」
「上手く書けるかわからないけど、…書いてみるよ」
花御さんが手に握り締めた皺がしっかりと刻まれたウサギとカメのピンクのノートを受け取ると、夕日が一層際立たせた花御さんの笑顔が目に飛び込んできた。駅のベンチで書いていたのこれだったのか、夏の太陽が照りたく炎天下に僕へ向けたメッセージをしたためていたとは考えもしなかった。歪んだ僕は花御さんの真っ直ぐさをまだどこ怪奇な目で見ているのだろうか、歪んだ人間は世界が全てそうであると考えがちなのだ。
二人で夕日を眺め日が落ち切る前に帰路についた。家まで送ると言う僕にもう近くだからと、花御さんは自転車を降りた。
「今日は案内してくれてありがとう。すごく楽しかった」
「俺の方こそコロッケご馳走様。暗くなってきたから気をつけて帰ってね。…それじゃ、また明日」
送り終えた僕は自転車を着た道へと向きを直した。日が落ちきると昼間ほどの暑さを感じなく済むので助かる。のう思って自転車を漕ぎ始めると今日一番の花御さんの大声で呼び止められ振り返った。
「但馬君、私のこと【かこ】って呼んでくれていいから、春一君て呼んでもいいかな」
「…君は付けなくてなくていいよ、また明日な。かこ」
思い上がりでなければ、僕が出会って一番の笑顔がそこにはあった。
「うん、また明日ね。春一」
日本特有の蒸し暑い夏の夜もスピードに乗った自転車を漕いでいると通り過ぎる風が熱を奪ってくれる。しかし、それしきの風ではこの火照った熱の全てを取りきるまでには至らない。じじいご自慢の愛車グリーンフラッシュ号に備え付けられたライトをつけると、自転車にはにつかわしくない光量で前方を照らし僕が進む道を明るく照らし導いてくれた。