3.はじめてのお誘い(1)
寂れた廃墟、辛うじて残ったであろう窓ガラスから中を覗く人影。もうすぐ夕食時になろうという時間ながら、夏の太陽はまだ沈みきらずに廃墟を暗く照らす。廃墟の周りに人気がないせいか嫌に虫の音色がひびいていた。人影はじっと家の中を覗いてたかと思うと徐に辺りの地面を見回し始めた。目的の物を見つけたのか拳大の石を拾いまたじっと家の中を見つめ続ける。
満足したのかきびつをかえし廃墟を背に歩き出した人影、しかし急に廃墟へ振り返えると先程拾い上げた石を廃墟目掛けて投げた。石は辛うじて残っていた窓ガラスに命中し砕けた。それを見届けた人影は廃墟を後にした。
目が覚めると昨日食べた野菜炒め定食が消化されている事を実感してホッと胸を撫で下ろした。小盛りだからとたかを括った昨日の自分を戒めてやりたい衝動に駆られる。あの店主、小盛りと言っているのに悪びれる様子もなく並盛りで提供してきたのだから。あの店には原価計算や損得勘定の様に経営上必要なものが欠落しているに違いない、そうでなければどこかアラブの石油王にでも資金提供を受けていなければあの量をあの値段で出せるはずが断じてない。いっそのこと店主に苦情を入れることも考慮したが、いかんせん善意に対する苦情など見苦しいにもほどがあるためとても言えやしない。
それに、何より一緒に入った小柄な友人の花御さんが美味しく大盛りを平らげた目の前で並盛りを食べる大柄な男が食べれませんなどとは口が裂けても言える状況ではなかった。結局の所僕は彼女に情けない姿を晒したくなかっただけなのだ、またそれを認める度量を持ち合わせていない惨めな男でもあった。
「但馬君、おはよう」
「おはよう、花御さん。昨日はお昼誘ってくれてありがとうね。」
登校途中で出会った花御さんはつい数日前からは想像が出来ないほど、にこやかに挨拶をしてくれた。
恐らく友達になれた事によって話やすくなったのだろう。確かにこの変化を喜ぶべきなのは自分自身理解はしているつもりだったが、いかんせん出会いの挨拶【ざます】を思い返さずにはいられない。
「どうかした?」
「いや、なんでもないよ。昔からボーっとする癖があるだけだから気にしないでよ」
「癖か〜。…実は私も昔から直せない癖があるんだ。お母さんや桜井先生にもよく言われるんだけど、癖って自分ではやってる実感がないからなかなか直せなくて困っちゃうよね」
「へ〜」
どんな癖なの?と不意に聞きそうになったが余計な勘繰りは僕らしくないとやめた。
「…答えたくなかったら聞き流してくれたらいいんだけど、花御さんって家この辺なの?」
「えっと、本当の家は隣の県にあって、今はここの近くのおばあちゃんの家から通ってるんだ」
勘繰りは辞めようと思った矢先に出た自分の言葉に驚いた。他人に干渉すれば碌なことがないのは身に染みてわかっている。だが花御さんには謎が多過ぎる。自然と興味を惹かれて余計な詮索を繰り返してしまう。そもそもどんな理由で他県まで来て青春真っ盛りな高校生がわざわざ補習授業を受けているのだ。色眼鏡なしでみても花御さんは世間一般の可愛いの基準を上回る容姿、それに加えておっとりとした雰囲気、さらに初対面最初の一言目を噛める才能にまで恵まれていた。それだけでこの先の人生を優位に歩んでいけることが感じ取れる。そんな彼女がなぜ。
「…花御さん、良かったら今日町を案内しようか?」
不干渉をモットーに過ごす僕の口から遂に出てしまった余計な一言だ。だが仕方ない彼女は友達なのだから、友達がこの町で暮らすのに不便があってはこの町の一、住人として無責任極まりない。自己弁論を繰り返す脳内だったが弾ける笑顔で大きく頷く彼女を見てその作業は停止した。
昼を知らせるサイレンが夏の積乱雲によく合う。まるで甲子園球場の夏の始まりに立ち会っている気分にさせてくれる。校門で彼女を待つ間の猛暑を紛らわせるのに幾分か想い馳せるのにやくだってくれた。
「よう但馬、相変わらず暇してるようだな。なんならボール拾いとして戻してやろうか?」
不快な声色が耳をつく。人を見下した口調にたまらずため息がでた。三島祐希、野球部期待の2年生エース。今まで周りに余程ちやほやされて育ってきたのだろう。彼ほど高慢で自信に満ちた人を僕は知らない。三島は何処に行くにも常に取り巻きを引き連れて歩き先頭に立つ彼がまず喋る、そしてその言葉に合わせて取り巻き達があざ笑う。なにが楽しくてこんなジメっとした生き方を彼らが選んでいるのかは皆目見当もつかない。だが敢えて想像すると井の中の蛙が自分の井戸を一人で出れず徒党を組んで井戸の外を闊歩する様に、彼らも野球部の集団から離れた時とても一人ではいられないのだろう。そらに加え自分達で決めたカーストに則ったうえでターゲットを定め嫌がらせをする。本人達は頭を働かせる事ができないらしく何も考えずにそれができる。そんな彼らは今日も所構わず蛙の騒音を撒き散らし僕を不快にする。
「おいおい、聞こえてるのか?元チームメイトがボッチのガリ勉君にわざわざ話かけてんだからお返事ぐらいしろよ」
「三島さん、なんすかこの根暗」
薄ら笑いを浮かべたノッポの一年生が僕の顔を覗き込む、三島もまた薄ら笑いを浮かべそれを見た。僕はそれはそれは深い溜息を吐き三島の側へと近寄った。
「これはこれは三島君、昔と違って隠れずにハキハキとおしゃべりするから気づかなかった。野球がお上手になるとお話までお上手になるんだな」
「いつまでも昔の俺と思ってんじゃねぇぞ。あんまり舐めてるとやっちまうぞ」
「本当にお前達は何も変わらないな……」
少しの苛つきと共に少し安堵した。最近は花御さんや桜井先生みたいな優しい人ばかりと過ごしていたからどうにも薄れかけていた感情を思い出すいい機会だ。利己的で他人を傷つけても気にしないどころか傷つけた事にさえ気付かずにまた傷つける。人を騙し貶め時に蔑むどうしようもない人種達。どう育てばこんな風に育つのか是非ご教授していただきたいものだ。
「こらー、あんた達何してるの」
校舎からこっち目掛けてくだんの優しい二人が走ってきた。
「三島、但馬を取り囲んで一体なにしてるの?」
「やだなぁ桜井先生、元チームメイトが夏休みなのに学校に居たから少し世間話をしていただけですよ。なぁみんなそうだよな」
取り巻き達がヘラヘラとそうだそうだと口々にする。常日頃から虚言を繰り返すとこうも罪悪感なく嘘が吐けるのだと感心するぐらいだ。大抵の教師達は甲子園常連の野球部に注意する事さえ無い。それをわかっているから彼らも際限無くつけ上がる、結局は周りの大人たちが彼らを作ったと思えばそれはそれで少し同情もするのかと考えが過ったがすぐに考えを改めた。
「もういいからさっさと散らばる、解散よ解散。但馬、あんたは少し残りなさい」
桜井先生が促すと取り巻きを引き連れ三島は校門から外へ出た、もちろん忘れずに僕を睨みつけた後にだが。
「但馬君、大丈夫?」
ひょこっと桜井先生の後ろから花御さんが顔を覗かした。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「但馬、何かあればすぐに私に相談しなさいよ。もうあの時みたいには絶対にならないようにするから…」
「ありがとうサクラちゃん。何かあればちゃんと相談するよ、もうあんな事はしないから安心してよ」
訝しげに花御さんは話を聞いていたが質問するでもなく聞き流してくれた。
「さてと、私は仕事にもどるから後は若者二人で青春を謳歌したまえ」
「っな、何言ってんの、そんなんじゃねぇからな。」
「そ、そうです。私と但馬君はお友達ですから」
高笑いして校舎へ戻る後ろ姿を花御さんと見送りながら変な空気が流れた。違う、決して、自分に言い聞かせて落ち着かせようとするが恐らく僕の顔は赤く染められているのを感じて花御さんに顔を向けられない。
「い、行こうか」
「……はい」
お互いに顔は見れなかったが恐らく同じ顔色をしていることはなんとなくわかった。